一縷の望(秦氏遣唐使物語)
都までの旅も快適で、あっと言う間に奈良まで着いてしまった様な気が致しました。最新式の瓦屋根の羅城門を潜って平城京の都に入ってから言われた通り辺りを見回すと、明らかに唐の都を模したと思われる町造りでしたが、全てが出来たばかりの為都全体が美しく青丹(格子の青や建物の柱の赤)に輝くばかりで、活気に満ち溢れております。朱雀大路を踏み締めながら、東西の市の間を新築や普請中の寺や貴族や皇族の舘を眺めながら通り過ぎました。ただ内部の建物の殆どは瓦屋根では無く、檜皮葺だったのが印象的です。その中で特に目についたのは、平安宮の入り口のすぐ近くに在った舘で、その敷地の広さはまるで宮城と見まごうばかりで、屋根も瓦でした。後に宇合様に伺いました所、その舘は宇合様の父の右大臣不比等様の舘と言うことです。不比等様の舘を横目に再び瓦屋根の朱雀門を潜って北の外れの大きなやはり瓦屋根の平城宮の内部に入り、もう一度門を潜って出来たばかりという煌びやかな大極殿の前にある朝集殿の中へと入りました。そこで官位の無い私達は待たされ、宇合様達幹部達が大極殿の中へと消えて行かれたのです。そこで私達は控えていなければならず、中に入った宇合様達の報告が済むまでは、こうしてここで待っていなくてはならないのでした。一刻程待っていると、後ろから自分の肩を叩く者があり、振り返ると、比較的下位と思われる文官が立っていてこう言ったのです。
「秦朝元(はたのちょうげん)だな。」
「ははぁ。」
「然(さ)るやんごとなき(偉い)お方が、そなたに密かに目通りされたいそうじゃ。ついて参れ。」
黙ってその文官の後を一人で付いて行くと、初めての場所と言えども、明らかに正規のものとは違うと分る道を通り、誰もいない建物の裏手に出て、紅葉した木々の美しい庭の様な所に出ると、そこの渡り廊下の上に宇合様と使者の言ったやんごとなき人と思われる高貴な出で立ちの女性が、顔を緑の翳(さしば)(扇子の様なもの)で隠して立っておられました。私は、使者に促されて跪(ひざまず)いたのです。
「秦朝元、面を上げい。」
と先刻まで親しく話していた宇合様がそ方の傍らにいて、武官の冠と礼服を着て厳かに仰られました。私は跪いたまま顔を上げると、
「陛下(元正天皇)であらせられますぞ。」
とさらに宇合様が続けられました。すると、
「良い、それより朝元(あさもと)、良く顔を見せてくれ。」
と陛下は仰られました。陛下は平城京遷都をした元明天皇陛下の娘で御座います。元明天皇陛下は息子である文武天皇陛下の死後、孫に当たる首(おびと)皇子が幼かった為自らが即位されたのでした。さらに近頃具合が悪くなり、皇子が既に元服していたのにも関わらず心身共に成熟されて無かったので、仲天皇(なかちすめらみこと)(次の皇太子の中継ぎ)の仲天皇として文武天皇陛下の姉の氷高皇女(ひだかのひめみこ)(元正天皇)に譲位されたのでした。この時三十路を半ばとうに過ぎていた筈ですが、翳を下ろされた玉顔はまるで輝く様なお美しさで御座います。衣装は冠を付けた正装の様で、まだ錦ではなく綾だけでは有りましたが、陛下の美しさは少しも損なわれることは無かったのでした。額には四つの青い点を菱形に付けたまま遣唐使の帰国慰労の式の途中で抜け出してきたご様子です。私が恐る恐る陛下の方を見やると、陛下もしげしげとこちらをご覧になり、
「なるほど、宇合の申す通りみ目美しい男(おのこ)じゃのう。」
と仰られたのでした。私は照れもあり、
「ははぁー。」
と平伏致しました。
「ところで朝元(あさもと)、朝元(ちょうげん)は唐での読み方故これで良いな(「とももと」と云う説もあるが、ここでは「あさもと」で統一する)。何故男(おのこ)のくせに右襟の服を着ておるのじゃ。」
と陛下が仰ると、宇合様は、
「唐から船を共にした仲ですが、それは気付きませんでした。やはり男とは目の付けどころが違いますな。直答を許す、お答えせよ。」
と仰られましたので、私は恐る恐るお答えしました。
「唐では男の官服は全て右襟が当たり前で御座います。」
「そうか、それはいかんのう、唐に使節を送る度に日本国のことを田舎の国と侮られておった訳だ。宇合の名前のこともそうじゃ。そのことを聞いてお前と話をしたくなってみてのう。宇合、さっそく官服を全て右前に改めねばならぬ。縫殿寮(ぬいどのりょう)にしかと申しておけ。」
と陛下が仰られたので、宇合様は、
「ははぁ、しかと承りました。ところで我が君、この朝元の実家の秦氏は縫殿寮の縫部や縫女部に多う御座いますので、これがかの者の発案と知れば、彼等も喜びましょう。」
とお答えになりましたので、
「そうか、それは良い。そうか秦氏の者がのう。ところで宇合、この者は他に何か取柄は無いのか?」
と陛下がお聞きになられたので、宇合様はこう答えたのです。
「はい、本来は医師なのですが、通詞としてこれ程役に立つ者もおりますまい。」
「朝元、まことか。」
と陛下がお聞きになられるので、
「ははぁ、恐れ入り奉ります。宇合様の仰る通りかと。」
と私は答えました。宇合様は続けて、
「それに朝元の父親の弁正は囲碁の上手、朝元も相当の腕と思われます。」
とお答えなさりましたので、陛下は、
「何、まだ若いのにそれ程多芸の者か、唐の進んだ医学の知識は貴重であるし、良き通詞はなかなかに得難い。それにその若さで囲碁の上手とは驚いた。えぇい、このような得難い人材を放ってはおけん。今すぐ朝元は忌(いみ)寸(き)姓を与えた上、従六位に任じることとしよう。良いか、宇合、しかと聞いたか。」
と仰られて、宇合様は、
「ははぁ、しかと承りまして御座います。朝元もお礼申し上げよ。」
と仰られて私も、
「ははぁ、有難き幸せ。」
と答えました途端、陛下の背後より突然頓狂な声が聞こえたのでした。
「叔母上、こんな所で何をしてらっしゃるのですが、帰国した遣唐使との謁見の式の途中に急に姿が見えなくなり、首(おびと)(後の聖武(しょうむ)天皇)は随分探したのですぞ。そこで話しているのは、どなたなので御座いますか?」
その声を聞いた途端、一点の隙も見られなかった陛下が、恥ずかしそうに下を向き、翳(さしば)で顔を隠すと、そのままそれで自らの額を軽くはたかれたのです。見ると、礼服の王族らしき若者が、冠がずり落ちそうになるのを押さえながら、息を切らして陛下に迫ってきたのです。横に居た宇合様はそれをにやにやしながら見届け、何かを言おうとした瞬間、今度は女の声で、首皇子様のさらに後ろからこう言っている声が聞こえたのでした。
「親王様、お待ち下さい。陛下はただ今密かに謁見中で御座います。お邪魔をしてはなりません。」
見ると、今度はやはり高貴な身分らしい若い女で御座いました。その声が聞こえると、顔を伏せていらっしゃった陛下が顔をまっすぐに上げ、きっとその声の主を睨みながらこう仰ったのです。
「安宿媛(あすかべひめ) (後の光明夫人(ぶにん))、朕は用がある故首親王が追って来ぬ様に見張っておれ、とあれ程申したのに、お前は何をやっておったのだ。」
陛下に叱りつけられた安壁媛様は、端正な顔を赤らめて、こう言い訳なさったのです。
作品名:一縷の望(秦氏遣唐使物語) 作家名:斎藤豊