一縷の望(秦氏遣唐使物語)
りました。と言いますのは、阿曾麻呂様はここに着く前から、神託にやり直しなど有りえぬ、答えは同じだ、の一点張りでしたので、こちらが着く前に鶻の『黒駒』に飛ばし、かの人に連絡させて地方の実力者達にこうして集まって貰い、前代未聞の神託のやり直しをするかどうかをまずは話し合ってもらうこととしたのでした。長い協議をしても話
がまとまらず、二人(隼麻呂も)とも話し合いに呼ばれ、意見を求められたのです。阿曾麻呂様がまず聞くことには、
「輔治能さんがなして来られると? 次の秦氏の後継者との呼び声も高か道鏡さんからの先のお話は、秦一族の総意では無かとーと?」
と云う、まずは始めからの前提が確認されたのでした。都から遠い筑紫の地に居るかの方にとっては、まことに当然過ぎる疑問であります。これに対し清麻呂は、落ち着き払ってこう告げたのでした。
「総意では御座いません。今の一族の束ねは吉備真備様で御座いますが、私はかの人より直接そうでは無いことを伺っております。ここまで言っても尚お疑いなら、ここにいる隼麻呂にもお聞き下さい。かの者は先の広嗣の乱の折、巫女様を背負って走り回り、隼人の同士討ちを防いだ功労者、秦調子麻呂の忘れ形見隼麻呂に御座います。名も、その時の経験に因んで付けたものです。」
それを聞いたその場の一同は、あの時のことを思い出してどっと沸き返ったのです。あの時の当事者の一人贈唹君多理志佐(そおのきみたりしさ)様も居て、この方は一時都にも来ておりましたが、すっかり老齢になってかつての黒い毛むくじゃらの赤い刺青をした顔も白い毛になり、引退して都よりこちらに戻ってきてこの会議に参加したと云う訳なのですが、その方が口を開いたのでした。それでも髪に紅白の木綿で作った耳形鬘(ばん)(髪飾り)や赤い肩(ひ)布(れ)を身に付けることは、変わらずにしていたのでした。年齢(とし)は取っても、若い者には負けない気概が感じられたのです。
「あん時の勇者ん子か。成程、父さぁと良う似ておるでごわす。時に父さぁはどげんした?」
一番後ろに控え、肩に鶻を乗せた亡き父と同じ格好の隼麻呂が、突然の指名に驚きながらもこう申し上げたのでした。
「はい、父は先の奈良麻呂の乱で奈良麻呂様にお味方して果てました。周囲の者は、勝てぬ戦だからと言って止めたので御座いますが、朝廷方の豪の者、丸子嶋足と申す者との一騎打ちの末、破れて斬られたと聞いております。」
「そうか、それは気の毒なことをし申した。ところで今の話ごわすが、おまんも道鏡さぁは一族の総意に反していると思われるんか。」
「はい、その様に思いまする。」
「そげか、そげか、なら決まりごわす。この贈唹君多理志佐、もう一度神託を出すことに賛成しもんす。他の者はどげんね。」
これで一同反対する者も無くなり、二度目の神託が出されることとなったので御座います。阿曾麻呂様が辛嶋勝与曽女様と共に託宣の儀式を、清麻呂や多理志佐様が見守る中行うと、与曽女様に神が降りられたのでした。そこで清麻呂はかの女に向かってこう尋ねたのです。
「汝は八幡神でありましょうか? 勅命により、確かめたき儀が御座います。」
すると与曽女様は男の様な太い声でこう答えられたのでした。
「いかにもそうだ。しかし、一度出した神託をやり直せと言うなら、不敬であろう。その様な勅命なら、読む必要もあらず。」
かの女はそう言うとすぐに憑依が解けたらしく、床に手を着いて息を荒くしていたのです。清麻呂は納得がいかず、さらにこう詰め寄ったのでした。
「勅命を聞くことすら適わぬと申すか。阿曾麻呂様、与曽女様、済まぬがもう一度やって下され。」
それに対し二人共顔を見合わせていかにも辛そうな様子でしたが、気を取り直して最初
から儀式をやり直したのです。与曽女様は阿曽麻呂様に比べ随分若い様でしたが、その様子からみると、二人は情を通じている様でした。二人が儀式のやり直しをしている間、何故か今度は清麻呂自身の中に神は降りられて、廻りの方も気づかぬ内にかの方は憑依状態となってしまったのです。ぼんやりとするかの方の頭の中に、身の丈三丈(九メートル)の、秦氏の神八幡らしい僧形の神仏習合した神が現れ、こう告げられたのでした。
「先程も言った様に、そなたの持ってきた勅命を聞く気は無い。しかし、それではお前の立場も無かろう。よって勅命を聞かずに神託を下そう。我が国家は、その始まりより君臣の秩序は定まっている。臣下を君主とすることは、いまだかつて無いことだ。皇位は必ず皇族の者を立てよ。無道の人は早く払い退けよ。」
「あっありがとう御座います。」
と清麻呂が夢の中で言うと、大神はこう続けられて消えられたのでした。
「私に感謝の気持ちがあるなら、お主の力で寺を建てよ。皇位と国家を安んずる為、仏の助けがより多く必要なのだ。」
清麻呂はその後すぐに憑依状態が解けると、まだ儀式を続けようと努めている阿曾麻呂様と与曽女様に、こう言ったのでした。
「お二人とももう宜しいですよ。どうやら神は私に降りられた様です。その内容は都に帰ってから報告致しますので、お二人には言わないでおきましょう。その方がお二人の立場も守られましょう。」
二人はそれを聞くと儀式を辞めて、人の目も気にせず涙を流して清麻呂に感謝したのでした。そして清麻呂はそれをそのまま都に持ち帰り、まず姉の法均尼様に報告したのです。法均尼様は、それを陛下に一語一句違えず告げたのですから二人共ただでは済みませんでした。陛下(称徳天皇)は殊の外ご立腹で、次の様に仰られたのです。
「清麻呂と法均の姉弟は、邪(よこしま)な偽りの話を作り、法均はそれを朕に奏上した。その顔色・表情から見るに、やはり朕の思った通り宇佐八幡神の言葉では無いと確信したのである。よって清麻呂は姓を取り上げて身分を落とし、名を別部(わけべ)穢麻呂(きたなまろ)と改めさせ、両足を斬り落とした上で、大隅国(現在の鹿児島県の南)に流すものとする。姉の法均尼は還俗させて名を狭(さ)虫(むし)とし、備後国(現在の広島県福山市)に流すものとする。」
そこで最初からの予定通り、私(吉備真備)が予め術を掛けてにせの足を切り落とさせた上で、それらしく車に乗せて大隅へと流したのでした。さらに、私の息子達六名(与智麻
作品名:一縷の望(秦氏遣唐使物語) 作家名:斎藤豊