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一縷の望(秦氏遣唐使物語)

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 皆が去った後、朝衡様は楊貴妃様を密かに掘り出して蘇生処置を施し、一路日本を目指したのです。今度こそ日本に帰れるものと思ったのも束の間、貴妃様は陛下とのお子様を身籠っておられ、そこで考えた末、長安の大秦寺に行ってそこに潜むこととしました。ここならば、景教徒の安禄山様が占領しようと、皇帝が奪回しようと安全であると考えたので御座います。しかし女の子を一人産んだものの産後の肥立ちが悪く、ついに楊貴妃様は亡くなられてしまったのでした。娘の名は、小真と名付けまして御座います。貴妃様は今わの際に、朝貢様の手を取ってこう仰られたのです。朝貢様はもう一つの手で幼子を抱えながら、大秦寺の一室でそれを聞かれたのでした。貴妃様は病にやつれ果てても、暗い僧堂の一室がまるで陽の下の様に明るく感じられる程の美しさは少しもそん色ありません。しかも室内は、病人特有の匂いも無く、まるで花の様な香りが立ち込めていたのでした。
「朝衡様、今まで私を守ってくれてありがとう御座いました。ですが、それももうお仕舞い。実は私は人ではなく、吉祥天が人の身に乗り移ったものなのです。昔、夫の毘沙門天が、私の男狂いがあまりにひどいので、私を人間界に落とされてしまわれたのです。ですがこうして我が肉体が滅び、ようやく天へと帰れます。そなたには大変お世話になりましたので、あなたが去勢さえされていなければ、御礼に私の身体を抱いてもらいましたのに、本当に残念なことです。自分の身しか持っていない私は、貴方様に御礼の言葉を言うより他に出来ることが御座いません。さようなら、朝貢様。どうか小真のことを頼みます。そして懐かしい陛下(玄宗)、もう一度お会いして、共にあの梨園で茘(らい)枝(ち)を頂きとう御座います…。」
 こうして夢とも現(うつつ)とも思えぬ言葉を残し、楊貴妃様はこと切れたので御座います。
 私は男手で赤子の小真様を苦労して育てている内に、玄宗皇帝の皇太子が即位し、東西両京奪回を狙っているとの噂がしきりに立つ一方、安禄山様は殆ど失明し、背中に出来た腫れ物も悪化して気が弱くなり、官軍の反撃を聞いて一度占領した長安を捨てて、一戦もせず洛陽へと退いてしまったのでした。
 実は玄宗皇帝は洛陽を落ちのびる前に、当時庇護していた霊験あらたかな密教の天竺僧不空金剛様に、反乱調伏の勅命を与えていたのでした。その命を受けた不空金剛様は、長安に帰って大興善寺に住して、「孔雀(くじゃく)明王(みょうおう)経(きょう)」「仁王(にんのう)経(きょう)」「守(しゅ)護国界(ごこっかい)主(しゅ)経(きょう)」等の調伏の祈りを捧げたのです。これまでの安禄山様の不幸はその為なのかどうかは分りませんが、その後も安禄山様は皇太子の安慶(あんけい)緒(しょ)様に疑念を抱かれ、ついに暗殺されてしまったので御座います。時にこちらの年号で至徳二(日本の年号で天平宝宇元、西暦七五七)年の正月のことでした。後にこのことは全て不空金剛様の祈りのお蔭とされ、反乱が全て片付いてからかの僧は、唐王朝から厚く庇護されることとなったのでした。このことは一見余談の如く思われるかもしれませんが、この不空金剛様の名を覚えておいて欲しいのです。
 その後官軍十五万が、燕の二代皇帝安慶緒様率いる六万の守備軍を蹴散らし、九月に長安を回復したので御座います。官軍はその勢いで洛陽にも迫り、安慶緒様は戦わずして洛陽を放棄して逃げ出したのでした。今は太上皇となった玄宗陛下は、十二月長安に着いたので御座います。朝衡様も玄宗太上皇陛下の元に出仕し、もうすぐ日本からの使者が来ることを知ったのでした。もちろん、楊貴妃様のこともその娘のことも黙っておりました。共に帰国し損ねた藤原清河様は、太上皇(玄宗)陛下のお気に入りとなって河清と唐風に名を変え、日本の使者の到来に複雑な顔をしておりました。
「河清様は、もう国に帰る希望はお捨てになったので御座いますか?」
と朝衡様がお聞きになると、
「そうでもないのだが、太上皇陛下が私を気に入ってくれてな。それを振り切ってまでこの国を去ろうと云う程でも無いのだ。」
「ならば一つお願いが御座います。」
「何だ。」
「実は私にはここ(唐)で預かる娘がおるのですが、清河様の娘と云うことにして、帰国させてもらえませんか?」
「それなら自分の子と正直に話せば良いではないか?」
「今まで黙っておりましたが、実は私は以前、太上皇陛下より宮刑(去勢の刑)を賜っておりまして、実の娘と偽ることは出来ぬので御座います。」
「それはお気の毒なことで御座います。そう言えば、貴公自身は帰らないのですか?」
「私はもう諦めました。太上皇陛下のお側で死にとう御座います。それに、これほど日本に帰れない私が共に乗ったら、娘まで巻沿いを食って帰れぬかもしれません。」
「そうか。なら二人でお願いしてみよう。太上皇陛下にも全てを正直に話して協力してもらおう。貴公と私が帰る代わりだと言えば、きっと協力してくれるに違いない。」
「はい、宜しくお願い致します。」
 太上皇陛下と久しぶりに会い、再会を喜んでくれ、娘を河清様の子として帰国すること
も承知してくれました。何より、口うるさい高力士様には予め話を通しておきましたから、すんなり話が進んだので御座います。
 ところでもうお気づきかと思いますが、娘と云うのは朝衡様の娘ではなく、亡き楊貴妃様の忘れ形見の「小真」のことなのでした。高力士様が朝衡様の味方になってくれたのは、河清様にも話していないこのことをお話していたからに他ありません。長安に戻れたとは云え、いまさら楊貴妃様の娘がいたとしても、ここにいては何かと面倒なことが起こりそうだからで御座います。第一、あの時殺したのが狂言だったと分ってしまうからでもあり
ました。
 そんな中、唐の年号で至徳四(日本の年号で天平宝宇三、西暦七五九)年、迎入唐大使使(げいにつとうたいしし)
とも言うべき今回の遣唐使が、渤海国経由で到着致しました。反乱の真最中だったのでわずか十一人だけが入唐を許され、後は再び渤海国経由で日本へ帰されてしまいました。長安に赴いた一行の中には、かつて朝衡様の従者だった羽栗吉麻呂の次男、羽栗翔(かける)が録事として伴っておりました。翔を含む一行は長安に入ったものの、有事を理由に河清様や朝衡様に公式には会わせもせず、むなしく帰国せざるを得なかったので御座います。しかし、非公式には翔と朝衡様は玄宗様と高力士様の計らいで会うことが出来、例の小真をお願いしようとしたのですが、翔自身も帰国の意思が無く、娘がまだ幼いことから、信用のおける随伴者も無く遠い日本へと送るには無理が有りすぎて、今回は諦めざるを得なかったので御座います。一行が帰国する時、
「きっとお前を日本に送り届けてやるからな。」
と朝衡様は小真を胸に抱き、密かに見送りながらこう呟いたので御座います。小真が日本に行くのは、もう少し先の話になるのでした。また唐に残った翔は、藤原清河改め河清様に仕え、生母と共にここ唐の地で暮らしたそうです。なお玄宗太上皇陛下は、この後唐の元号で至徳六(天平宝宇六、西暦七六二)年亡くなられるので御座います。

 第四章 恵美押勝の乱