一縷の望(秦氏遣唐使物語)
「それ以上のことは言えぬ。その時が来れば分る。」
と仰るだけで、奥の間に下がってしまわれたのでした。薩雄様も、首を捻られるばかりだったのですが、この時の予言が、後に最悪の形で実現されるのです。
第三章 楊貴妃
春日野に斎(いつ)く三(み)諸(むろ)の梅の花栄えてあり待て帰り来るまで(藤原清河作、万葉集所収)
この歌は、前回の遣唐大使であらせられた北家の藤原清河様の作品で、意味は「春日野に祭る社の梅の花よ。咲き誇りつつ待っていよ。私が帰ってくるまで。」と云う程のものですが、前にもお伝えしました通り、朝衡様同様、清河様も日本に帰れず、帰りの遣唐使船が逆風の嵐に会って驩(かん)州(今のベトナム)に漂着し、艱難辛苦の末、唐の長安に戻って来たので御座いました。今回の遣唐使船は、正確に言えば迎入唐大使使(げいにつとうたいしし)と申しまして、心ならずも唐にお戻りになった藤原清河様や朝衡様を迎えに行くことが目的なのです。
さて前回の遣唐使船が帰って暫く経った唐の年号で天宝十四載(さい)(日本の年号で天平勝宝七年、西暦七五五年)、かつて景教の寺院にいた軋犖山(アレクサンダー)少年は安禄山と名を変え、楊貴妃様に取り入って三つの州の節度使となり、宰相楊国忠様との主導権争いの末自身の立場が危うくなると、ついに部下の史思明様と共に朔北(中国の北の辺土)の地から十五万の大軍で反乱を起こしたので御座います。朝廷では、まず都長安に居た安禄山様の長男安慶宗様と彼の元に身を寄せていた真備様の唐における妻阿史徳様を処刑してしまったのでした。巻き添えを食った方々、特に阿史徳様はまことに悲劇的な最期だったのです。また朝廷は、各地で反乱に備えて官庫から武器を取り出そうとしたのですが、いずれも腐朽して用をなさぬものが大部分だったので、反乱軍は破竹の勢いで勝利し、まず洛陽を落とした安禄山様は、自ら「大燕皇帝」を名乗ったのでした。官軍の逆襲もしばしば行われ始めたのではありますが、ここぞと云う時に内紛まで起こり、名将高仙芝様が命を失い、その内紛は宰相である楊国忠様の責任も小さくは無かったのです。その不満は、皇帝の回りにも渦巻いておりました。ついに都である長安も落とされてしまい、玄宗皇帝や楊貴妃様や楊国忠様・高力士様・朝衡様も折からの雨の中、都を逃げ出して蜀へと向かったのでした。一行は食料も無く、途中の関所の役人や兵も皆逃げてしまっていて、泊るのも手枕と云う状態だったので御座います。竜武大将軍の老将陳玄礼様は、二百の兵と共に陛下の護衛をしていたのですが、
「安禄山の挙兵の名目は、楊国忠を倒すことにあります。朝廷内外でも、多くの人がかの人を忌み嫌っています。国家の危急を救う為にも、楊国忠一派を処断して頂かなければなりません。」
とずぶ濡れになりながら奏上申し上げたのでした。それでもまだ陛下は躊躇し、処断の処置をお採りにならなかったのです。しかしその時、吐蕃(とはん)の使者が二一人楊国忠様の馬前に立ちふさがり、
「俺達は腹が減ったんだ。何か、食い物をくれ。」
と口々に言い、押し問答となると云うことが御座いました。しかし日頃からかの方に偏見を持っている唐の兵士達が邪推し、
「宰相(楊国忠)が吐蕃人と語らって謀反しようとしているぞ。」
と騒ぎ出したのです。そして楊国忠様の乗っていた馬を押し包むと、かの人は逃げ出してしまったのでした。しかし兵士達にすぐに捕えられてなぶり殺されてしまい、その死体を割いて首を槍に付けて雨の中門に掲げたので御座います。これを咎めた唐の武将や楊貴妃の姉の一人も殺され、皇帝は杖をついて出て来て、
「お前達、落ち着け。何が不満なのだ。」
と仰ると、兵士達は黙ってその場に雨に濡れながら立ったままなのでした。そこで、陳玄礼将軍に理由を尋ねさせた所、
「楊国忠は、謀反を企んだ(兵達の誤解)ので誅しました。その縁者である楊貴妃は、陛下のお側にあってはなりません。愛を捨てて、法の裁きを与えて下さい。」
と云う一致した意見で御座いました。兵に詰め寄られて、
「朕自ら事を決しよう。」
とは言ったものの、どうしたら良いか分らず、皇帝がぼんやりしていると、お側についていた高力士様が、
「人々の怒りは収まりがつきません。国の安否は目前に迫っております。どうかご決断を。」
と、叩頭(こうとう)(頭を打ちつけて土下座すること)をして頭から血を流しながらこう言ったのです。陛下はこれに対し、
「楊貴妃は、後宮にいて楊国忠の謀反の事など何も知らぬ。何の罪があろうか。」
こう反論されると高力士様が、沈痛な面持ちでこの様に言上したので御座います。
「楊貴妃様は実際に何の罪もありません。しかし兵士達は、楊国忠を殺してしまったからには、楊貴妃様が陛下の側におられては今後安心していられません。そこの所をお考え下さい。兵士達が納得しないと、陛下の身が危のう御座います。」
これを聞いた陛下はもはやこれまでと諦め、全てを高力士様に委ねたのです。高力士様は近くの仏堂に楊貴妃様を誘い、常にお供していた覆面の従者に話し掛けたのでした。
「朝衡、お前は長安を出てから顔を隠して一言も話さず、陛下でさえここにいることを知らぬ。お前に不便をさせてまで連れて来たのは、こんな時の為だ。貴妃様、確か仮死になられる薬はこの前渡しましたね。楊貴妃様を私が首を絞めて殺したとこれから一芝居打ちますから、貴妃様にはこれより道術の薬を使って仮死状態になって頂きます。皆が去った後、朝衡お前を墓埋めに残しておくから、貴妃様をお救いし、倭へ逃げるのだ。貴妃様、聞いておられましたね。宜しゅう御座いますか?」
楊貴妃様は、懐から仮死になる薬の液の入った陶器の小瓶を取り出すと、毅然としてこう答えられたそうに御座います。
「分りました。この様な時に、昔習った道術が役に立つとは思いもよりませんでした。朝衡、宜しく頼みます。」
「はっ、この朝衡、この命に代えましても。」
と言って覆面のまま跪くと、雨の中楊貴妃様は濡れる一輪の梨の花の様ににっこり笑ってから、腕を組んで一礼し、
「それでは高力士、今まで有難う。」
と言うが早いか、手に持っていた薬を飲み干し、仮死状態に陥られたので御座います。この時、年(と)齢(し)は三八と伝えられます。高力士様は貴妃様を絞殺したと皆に告げましたが、その死体を皆の前で埋めるまで皆は納得せず、言う通り埋められると、誰ともなく歓声が上がり、陛下は泣き崩れ、嘆きながらこう呟いたので御座いました。
「まことそなたは人では無く、この世に舞い降りた天女であった。今こうして天に戻ったのなら、朕も天に昇り、天上にあっては比翼の鳥(常に連なって飛ぶ二羽の鳥のこと。転じて仲睦まじい男女の譬え)となりたい。かつては朕らが地上にあった時、連理の枝(二つの別の木が、枝が付いて一つの生き物の様になること)であった様に。」
作品名:一縷の望(秦氏遣唐使物語) 作家名:斎藤豊