一縷の望(秦氏遣唐使物語)
と最期の難問を出したのでした。『野馬台詩』は次の様な謎の詩です。
『東海、姫氏の国
百世、天工に代わる
右司、輔翼と為(な)り
衡主、元功を建つ
初めに治法の事を興(おこ)し
終わりに祖宗を祭ることを成す
本枝、天壌に周(あまね)く
君臣、始終を定む
谷?(み)ちて田孫走り
魚(ぎょ)膾(かい)、羽を生じて翔ける
葛の後、干戈(かんか)動き
中ごろ微にして子孫昌(さか)んなり
白竜、游(およ)いで水を失い
窘(きん)急(きゅう)にして胡城に寄す
黄鶏、人に代わりて食し
黒鼠、牛腸を?(く)らう
丹水、流れ尽きて後
天命、三公に在り
百王、流れ畢(ことごと)く竭(つ)きて
猿犬、英雄と称す
星流れ、野外に飛び
鐘皷(しょうこ)、国中に喧(かまびす)し
青丘と赤土と
茫々として遂に空と為る』
真備様もこの詩を学んではいたのですが、さすがにその意味は複雑で、正確にはそれを思い出せませんでした。それで仕方なく、神仏に祈る振りをして朝衡様に伺ったのです。すると、呉?に気付かれない様に天井からするすると一匹の蜘蛛が降りて参りまして、詩の上をはいずり始めたのでした。蜘蛛の後を追ってみると詩の意味が容易に理解できましたので、それをそのまま言ったのです。ですがかの方も朝衡様も、さすがにその裏の意味にまで考えは及ばなかったのでした。それはこれから日本で起ころうとしている事を暗示していた、と言われているのです。
とにかくその詩の意味を聞くと、呉?は、
「えぇい、約束など知るものか、お前はここで飢え死にするのだ。」
と言って、かんかんに怒ってその場を去ってしまいました。そこで真備様は、朝衡様との打ち合わせ通り、『金烏玉兎集』を使った術を使おうと考え、何やら呪文を唱えながら六壬式盤の天盤と地盤を動かされたのです。式盤(六壬式盤)は、真備様の驚異的な暗記力を元に、簡易的なものとは云え三日がかりでようやく作られたのでした。すると唐の太陽と月が封じられ、世の中が真っ暗になってしまったのです。慌てた呉?が飛んできて、
「お前何かやったのか?」
と聞いたので、
「太陽と月を封じたのだ。私を約束通り解放し、最上階の朝衡も出して、ついでに『金烏玉兎集』もくれれば、太陽も月も元通りにしてやる、どうだ。」
と言われると、呉?は、
「朝衡はもう死んでいるかもしれないが、それで怒って私に何かしないと誓えるなら、言った通りにしても良い。」
と言うので、
「良かろう。」
と答え、太陽と月も元に戻り、二人とも無事解放されて『金烏玉兎集』も原本を手に入れることが出来たのでした。呉?は、一か月以上閉じ込めていた朝衡様が生きていたことに驚き、また真備様の深い知識にも三つの難問を通して感服しておりましたので、すっかり改心し、今後は本当に我らの一味として協力することを誓ったので御座います。二人は呉?の謝罪を受け入れ、そこで真備様はさっそく長年気になっていたことを聞いたのでした。
「ところでお前の師匠の司馬承禎が、死ぬ前に私に託したあの藻(みくず)とか云う少女は一体何
者なのだ?」
「はい、あれは妲己(だつき)と云う妖狐の化けた物でして、その昔太公望に封じられ、あの様な姿に化けておったので御座います。師匠とどう云う縁で知り合ったのかまでは存じませぬが、妖力が戻るまで保護するとの約束だった様に思います。」
と云う呉?の話に、二人は顔を見合わせて互いの驚きを確認してから、
「あれで妖力を封印された状態と言うのか? それにあれは殺すことが出来ぬのか?」
とさらに真備様がお聞きになると、呉?はこう答えたのでした。
「はい、妲己が妖力を取り戻せば、とても人の勝てる代物ではありませぬ。ましてやあの者は不老不死にて、殺す方法など考えも付きませぬ。」
聞けば聞く程恐ろしい話で御座いました。
さて、唐の年号で天宝十二載 (日本の年号で天平勝宝五年、西暦七五三年)遣唐使は帰ることとなり、朝衡様も、その帰国への切ない想いを憐れんだ玄宗皇帝からの帰国許可がようやく出たのでした。また自力での帰朝が適わなかった鑑真和上(わじょう)様一行は、普照法師様等も含めてこれに同船し、六度目の渡航を試みることとなっております。こちらも同船許可を皇帝に求めた所、呉?(ごいん)様達道士も倭へ送るなら許可しようと条件をつけられてしまいました。道教の導入が公式には認められないことを承知していた遣唐大使藤原清河様は、和上一行を密かに上船させることとしたのです。ただ、普照法師様と苦楽を共にした栄叡(えいえい)法師様は、前述しました通り帰朝を目前にして帰らぬ人となってしまわれておりました。また、吉備真備様等の幹部はもちろん皆帰るのですが、請益生(短期留学生(るがくしょう))の藤原刷雄(よしお)様も無論帰朝し、今回は唐の地に置いていく者は一人もいない筈で御座います。また藤原刷雄様は容姿は父親の仲麻呂様と良く似ておりますが、性格は至って温厚で、人と争うのを良しとしない性格でした。航行中にすっかり真備様と仲良くなり、陰陽道の講義も個人的に受ける程となっていたのです。
朝衡様は三六年振りに日本へ戻れることの喜びから、冒頭にあげました歌、
天の原振りさけ見れば春日なる三笠の山にいでし月かも
を送別会の一つで詠んだので御座います。歌の意味は、「(この唐で)遠く夜空を見てみれば、私の故郷の奈良の都の春日に在ると云う三笠の山に出たのと同じ満月が輝いているよ、あぁ本当に懐かしいなあ。」位のものでした。その宴席で、朝衡様が吉備真備様にそっとこの様に囁かれたのです。
「真備様、実は内密に願いが御座います。」
「何で御座いましょう。」
「帰りの船なのですが、私はお願いして、わざと貴方様と違う船に致しました。と申しますのは、私は今度の船もまた、日本に辿り着けない様な気がして仕方ないのです。『金烏玉兎集』も急いで写しを一部作り、原本もここに持参しました。これをお受け取り下さい。」
朝衡様はそう言って、『金烏玉兎集』の原本を真備様に手渡されたのでした。
「しかと受け取りまして御座います。」
「うむ、貴方様の方が辿り付ける様な気がしてならぬので、原本の方を持っていて下さい。それに、それ(原本)を実際手に入れたのは貴方様でも有りましたし。」
「分りました。」
「ところでさっきの話ですが、私がもしも、もしも、またしくじる様なことがあったら、この『金烏玉兎集』の原本は、日本にいる私の兄の好根に渡して欲しいのです。写しは貴方様のものにして下さい。もはやこれを私に密命した元正陛下もこの世におられぬと聞きます。朝廷に献上しても、変な顔をされるだけでしょう。頼みます。」
「承知致しましたが、また航海に失敗する様な不吉なことは仰いますな。今度こそうまくいきまする。」
「いや、念には念を入れなければ…。案外今度は私が日本に帰れて、貴方様の船が遭難するやもしれませぬ。」
「大丈夫。そんな時の為に陰陽道を学んでおりまする。」
「それはそうで御座いますね。はっはっはっ。」
「はっはっはっ。」
作品名:一縷の望(秦氏遣唐使物語) 作家名:斎藤豊