一縷の望(秦氏遣唐使物語)
そして、お話は遣唐使の到来へとつながるので御座います。しかしこれ以前三年間、様々な理由で計画は頓挫してしまっていたのでした。例えば、長年普照法師様と行動を共にした栄叡法師様が突然の病でお亡くなりになってしまったのです。ひ弱な普照法師様に対して丈夫だとばかり思われていた栄叡法師様が突然高熱を出して倒れたのは、確証はありませんが霊祐法師に毒殺された疑いもあるのでした。その真偽はともかくとして、渡唐してからの同士であるかの僧の臨終の席で普照法師様は泣き崩れ、こう叫んだので御座います。
「栄叡様、ここまで二人でやってきて、今度こそ鑑真和上様を日本にお連れしようと云う矢先にこの様なこととなろうとは、悔やんでも悔やみきれませぬ。鑑真和上様のことは、この普照が必ず日本へとお連れしますぞ。どうか兜率天で見守っていて下され。」
またあるいは、その知らせを受けた鑑真和上様が、悲しみの余り失明寸前になってしまったり、そして何より現実的に五度の失敗で資金が底をついてしまっていたのでした。
その遣唐使の方のことですが、三年前の天平勝宝四(七五二)年七月中には、順調な航海の末、唐に至ったと思われます。今度の遣唐使の内々の目的として、阿倍仲麻呂様を何としても日本へお戻しになることが御座いました。しかし、ようやく吉備真備(きびのまきび)様が唐に辿りついて朝衡様(阿倍仲麻呂)にお会い出来たのですが、かの方の仰ることには、
「任務であった『金烏玉兎集』を未だ手に入れてないので、日本へは戻れない。心情としては帰りたいのだが、帰れないのだ。」
と言うことなのでした。吉備真備様が陰陽道の技を以ってしても結果は同じでしたので、真備様の発案で、大秦寺の方に相談してみよう、と云うことになったそうに御座います。
それに真備様は、故有って現在大秦寺に御泊りなのでした。
そこで真夏の蒸し暑い日、二人は大秦寺に向かったのでした。大秦寺では、大徳(ガブリエル)法師様は健在で、佶和(ゲワルギス)法師様と云う新たな方を迎えて大変盛況なご様子で御座いました。大徳様に比べれば佶和法師様はかなり若い方でしたが、実際は壮年の方の様でした。汗の滲み出る夏の暑い日でしたから、僧侶達の頭頂部だけ髪の無い様子が、ひどく涼しげに見えます。朝衡様は、これまでの経験を佶和法師様に簡単にご説明すると、こうお聞きになられたのでした。
「探せ、と命じられてきましたが、正直もうどうしたら良いか分らぬのです。私の術が未熟な所為かと思っておりましたが、真備様が試みても結果は同じで御座いました。唐の方は、何か大事なことを隠されている様な気もするのですが、何の確証も無く問い詰める訳にも参りません。正直八方塞がりなので御座います。」
朝衡様の悲痛なお言葉に、佶和法師様は柔和な笑みを浮かべられながら、こう仰ったので御座います。
「お二人の術を以ってしても見つからぬ物を、正直私の術で探せるものでは御座いませんでしょう。しかし朝衡様のお話を聞いていると、術など使わなくても手掛かりがあるやもしれません。」
「それは何で御座いますか?」
と、思わず二人揃ってお聞きになったので御座います。
「要するに、お二人の術を以ってしても分らぬよう、何者かが術をもって隠したものと思われまする。それほどの術者はそうは沢山いますまい。この三人以外で、誰かそう云う者に心辺りは御座いませんか? しかも、宮廷の中に範囲は絞られます。」
「ならば亡き司馬承禎殿のお弟子の呉?様しかおらぬ。」
と朝衡様が叫ばれると、真備様がすかさずこう言いなさったのでした。
「しかし、呉?様は我らが同士のはず。朝衡とも顔を合わせ、探し物があることもご存知の筈だ。それが今の今まで黙っていたとは考えられぬ。」
呉?とは、皇帝陛下の御命令で鑑真和上様の日本へ行くのを密かに邪魔をしているあの呉?です。
「いや、我らは日本の国の者で、考えてみれば司馬様が我らの一味にどうしてなられたのかは存じあげない。とにかく、呉?様にもう一度協力を仰いでみよう、そうすれば何か分るかもしれぬ。」
「まあそうだな。私は気楽に宮中へ立ち入る事など出来ぬから、悪いが貴公一人で聞いてみてくれぬか?」
「もちろんだ。だが私がもしもの時は後のことは頼むぞ。」
「心得た。この寺に暫くは滞在しているから、明日にでも呉?様に話を聞いてきてくれ。」
二人は佶和法師様の知恵にお礼を言い、朝衡様だけが宮廷へと戻ったので御座います。
真備様は朝衡様の帰宅を見届けると、今回の渡唐以来に共に住んでいる阿史徳様の元へ行ったのでした。真備様ご一家の六人は、大秦寺の一角の建物を改築して水入らずで住んでらっしゃったのですが、皆の待つ建物に真備様が帰ってくるなり、かなり成長した息子達の見守る中、阿史徳様が突然改まって話を始めたのです。
「貴方、佶和法師様と朝衡様とのお話は終わられたのですか?」
「ああ、何か改まって大切な話でもあるのか?」
真備様は、何時に無く真剣な阿史徳様の口調に驚きながら答えると、阿史徳様はこう続けられたのでした。
「実は与智麻呂、書足、稲万呂、真勝のことなのですが、貴方が今度倭へ帰る時、共に連れて行って欲しいのです。四人の内誰もここの僧に成りたがっている者もおらず、私が子守歌代わりに貴方様のことを語っている内に、この子達はまだ見ぬ貴方様への憧れで一杯になってしまった様なのです。しかし日本へ行くとなれば、羽栗様の所の様に、母親である私とは離れ離れにならなくてはいけません。そのことについては五人で良く良く話し合ったのですが、結論は同じで御座いました。どうか真備様、この子達を日本へお連れ下さい、お願いします。」
「お願いします。」
と息子達四人も、声を揃えて言ったのでした。真備様はこう五人から言われては嫌も応も無くこう答えざるを得なかったそうです。
「分かった、分かった。しかし一度日本に渡れば、おいそれと唐へ戻れぬぞ。母上ともこれで生き別れとなろう。その覚悟は出来ておるのだな。」
「はい。」
と四人の若者の元気な声が、揃って返って参りました。その時真備様はふと気になることに思い当って、阿史徳様に問いただされたのです。
「息子達をわしが日本に連れて帰ってしまったら、お前はどうする積りなのだ?」
阿史徳様は少しも慌てず、微笑みながらこう答えたのでした。
「兄(安禄山)が出世しましたので、そちらに身を寄せることに既に話が付いております。貴方は何も心配なさいますな。」
「そ、そうか。」
と真備様は答えるしかありませんでした。その後真備様は、四人を現地で雇った用心棒と云うことにして、どこに行くのにも五人一緒となったのです。
次の日も暑い日でしたが、さっそく朝衡様は呉?に件(くだん)のことをお聞きになったのでした。呉?は偉丈夫の師匠の司馬承禎様と比べると、小男で宦官の様なこずるそうな眼をした者で御座います。
作品名:一縷の望(秦氏遣唐使物語) 作家名:斎藤豊