一縷の望(秦氏遣唐使物語)
「今まで御坊のことを怠け者などと等と侮っておりましたが、今の言葉を聞いて深い御心があることを知り、立派な行者様であることが分かりました。許して下され。」
まことに有り難い御話に御座います。
和同五(七一二)年法澄様三一歳の時、臥行者様が出羽国から海を船で米を運んで麻生津にやってきた来た若い船頭神部(みわべの)浄(きよ)定(さだ)に、いつものように法澄様に喜捨をしてくださるように請われると、浄定がこう答えたのでした。
「この米は朝廷に納める税なのです。税額は決まっていてその分しかありませんから、お分けする訳には参りません。」
米はたっぷりとあり、どう見てもわずかな喜捨をする分位はあると見て怒った臥行者様は、手にしていた鉢を空に放り投げると、それは中空に留まり、かの行者様はその上にひらりと飛び乗られたのです。そしてそのまま越智山に飛んで戻られると、その商人の運んできた米俵も宙を飛んで連なって付いてくるではありませんか。これを見て驚いた浄定は越智山にいる法澄様と臥行者様の元に来て、こう言ったのです。
「法澄様、臥行者、私が悪う御座いました。どうか全ての米を取りあげるのは御勘弁下さい。」
これを聞いた法澄様は笑って、こうお答えになられたのです。
「私の預かり知らぬことで、やったのは全て臥行者の一存でしょう。」
すると臥行者様が続けてこう仰ったのです。
「米一俵を寄進しなさい。そうすれば、後は速やかに船に戻るであろう。」
浄定がこれを聞くと、泣きながらこう訴えたのでした。
「この山にまでどうやって船を持ち込めば良いと言うのでしょう。」
これに対し法澄様が、こうお答えになったのです。
「臥が運び出すから、心配せずとも良い。」
そこで浄定が半信半疑で元の船に戻って待っていると、米俵が一俵を残してまた空を飛んで船へと戻ってきたのでした。この奇跡にすっかり感動した浄定は、米を朝廷に納め終わると、故郷の出羽には帰らず、そのまま法澄様の所に来て、弟子になってしまわれたのです。名も、浄(じょう)定(じょう)行者と改められました。かの行者様は優しげな顔立ちで、法澄様の御弟子となられた時点で後ろに束ねていた髪を解いて総髪となり、まるで白粉を付けた様に色が白く紅を引いた様に赤い唇して、頭の回転の良さそうな顔をしていらっしゃいます。年齢はまだ二十歳前とお見受けしました。
そして三五歳の時、法澄様が越知山より白山を仰ぎ見ながら修業していると、その時の夢に青い天衣をまとって瓔珞(インド起源の装身具)を着けた尊そうな女性が紫色の雲たなびく空に現れ、この様に告げられたのです。
「私の霊感が、時が来たことを告げています。早く白山へやってきなさい。」
そこで翌年つまり養老元(西暦七一七)年、満を持してお弟子の臥行者様、浄定行者様のお二人を連れて、越後・富山・美濃の三国のちょうど国境に当たる白山を目指して旅立たれたので御座います。お歩きになっている格好は上半身には篠懸(すずかけ)という白い着物の様なものを着、下はやはり白い半袴を穿き、両肩には結袈裟と云う物を掛け、背中には笈と云う箱のような物を担ぎ、手には錫杖と云う堅い木の杖に金具の輪を付けた物を持っておりました。この金輪で音を鳴らし、地を這う生き物が踏まれない様に注意を促しているそうで御座います。また足には、修行の為履物は下駄を履いているのでした。なお浄定行者様はこの時、顔に手造りの木彫りの老猿の面を付けていたのです。ご自分の女子(おなご)の如き面相が修行の妨げとなることを憚ったのでした。
同年四月一日、一向が山麓の大野の隅の東の伊野原と云う所まで来ますと、浄定行者様が突然神憑りとなり、太い女の声で、
「ここは母親がそなたを産んだ所で、穢れています。よって私はここに現われることは適いません。この東の林泉の地にに早く来なさい。」
との再びのお告げを受けたのでした。そこで一行は、林泉の地に急いだのです。その地に着いて祈っていると、再び青き貴女が法澄様の夢に現れ、
「私の名は伊弉冉(いざなみ)です。ここには良く遊びに来ますが、私の本体は山頂にあります。すぐに来て礼拝しなさい。」
と告げたのでした。この言葉に感激した法澄様は、お供の二人を連れて錫杖をジャラジャラ突き突き、山頂へと急いだので御座います。途中、浄定行者様が、
「御師(この場合、師匠の意)、女神様は何故夢の中に現れなすったのでしょう?」
とお聞きになりますと、法澄様は、
「行ってみれば分る。拙僧に何か仰りたいことがあるのだろう。」
と仰られました。山頂への道は険しかったのですが、途中の道々にはそばのき(ブナの古名)等の木の花の蕾が膨らみ、山漆の木も蕾がまだ固くつり下がっておりました。山の麓では、気の早い郭公がもう鳴いております。さらに森を進んでいくと、木の上には猿がいて、木と木の合間には冬眠から眼が覚めた氈鹿(かもしか)が、物珍しそうにこちらを窺っていました。臥伏行者様は険しい山道を法澄様の後を進みながら、この様に大声で詠われました。
「懺悔(さんげ)♪、懺悔♪」
浄定行者様はそれに続いて、息を切らせながら唱和致します。
「六根清浄(ろっこんしょうじょ)(目、鼻、口、耳、頭、心が清らかに)♪」
そうした岩ばかりの急勾配の山道を過ぎると、まだ雪深い山頂に到り、法澄様が思わずこうお詠いなさりました。
「み雪降る越の大山行き過ぎていづれの日にかわが里を見む。」
「越の大山」とはこの白山のことで御座います。ようやく山頂に着いた安堵感から、自分の聞いたことのある歌を詠んでしまわれたのでしょう。
ようやく山頂に来たものの何も起こらず、仕方なく一行は、ぶくぶくと泡立つ「緑碧池」と申す池の傍らの「天法輪の岩屋」と後に言われる洞窟を見つけ、そこで雨露をしのぎながら二十一日間一心にお祈り申し上げたのだそうで御座います。すると二十一日目の黄昏時になって、突然沸騰する池の水面がざわざわと波立ち始めたかと思うと、巨大な九つの頭の竜が現れたのです。浄定行者様が、
「御師、竜で御座います。お逃げ下さい。」
と叫んでも、法澄様は少しも慌てずただ一心に祈ってなさるので、臥行者様が代わりに、
「浄定、騒ぐな。あれは九頭竜様(釈迦の守護神)じゃ。」
とお返事なさると、浄定行者様はさらに続けて、
「でも、こちらへ近付いてまいります。」
と仰ったのです。九頭竜様はさらに三人のいる岸辺まで近づいたかと思うと、その九つの首から三人の後ろの岩がごろごろ転がる辺りへと突然火を吹きつけたのでした。すると、岩の合間から五人の黒い影が飛び出してきたのです。臥行者様はすかさず、
「浄定抜かるな。」
と叫びながら、錫杖を構えてその五人へと襲いかかったのでした。浄定行者様も、
「承知。」
と叫びながら飛びつき、臥行者様と同時に一人ずつその杖で打ち据えなさりました。そして、残りの三人が短い刀を抜く隙に、さらに一人ずつを打ちすえたので御座います。最後の黒装束で顔を黒布で隠した男は、せっかく刀を抜きながら打ちかかろうとはせず、後ろに何尺も飛び退くと、
「これ程とは。」
作品名:一縷の望(秦氏遣唐使物語) 作家名:斎藤豊