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一縷の望(秦氏遣唐使物語)

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 さらにこの年(天平十二年)の十二月、身を預ける大安寺から審祥法師様がわざわざ金鐘寺(後の東大寺)に来られ、唐僧道?様から直接学んだ華厳経の講義を、陛下が四十歳になる祝いにされていたのでした。当時新羅で盛んだった華厳経は、蘆舎那仏の有難さを教える経で御座います。広嗣の乱も収まった後の巡幸の途中、陛下御自身がこの寺に来られ、その講義を聞かれたのです。陛下も藤原への不安に悩まされる中、蘆舎那仏の有難さが余計身に沁みたことと存じます。そしてこの時華厳宗はこの講義によって、正式に審祥法師様の手から金鐘寺改め東大寺の良弁(ろうべん)法師様へと受け継がれたのでした。秦氏の作る修験道の理論が今、東大寺と云う公けのものとなった瞬間なのです。東大寺は総国分寺として位置づけられている為、表向きは六宗兼学(東大寺の学派は法相宗・三論宗・倶舎宗・成実宗・華厳宗・律宗の六つを全て兼ねていること)ではあるものの、その実態は紛れも無く華厳宗の寺なのでした。
 この時のことを思い出されたのでしょう。陛下はここ(恭仁(くに)京)に大仏を作ることを密かに決意し、また藤原広嗣の乱によって強大な藤原氏への恐怖感が募り、当時右大臣橘諸兄
様の本拠地に都を移したくなったのかもしれません。またもう一つ、大事な要素が御座います。前述しました通り、我ら三人は騎馬にて陛下御一行をお待ちしてましたが、右大臣(橘諸兄)様の舘に着くなり、陛下がこう仰ったのです。
「右大臣、朕はもうほとほと嫌になった。藤原の連中の屯(たむろ)する都(奈良)にはもう帰りとうない。ここに都を移し、大仏も作る。そう詔を出せい。」
「恐れながら申し上げます。遷都には多大な出費が掛かりましょう。それに大仏を作るとなると、とてもではありませんが予算が足りませぬ。そこで相談なので御座いますが、」
と右大臣橘諸兄様が、一旦息を入れてから話を続けられたので御座います。
「私の親しき者にこの話を洩らしました所、その者達の一族でその費用を負担しても宜しい、と申し出が御座いました。」
「何と、それは豪気な、何者じゃそ奴は。」
と、陛下が半信半疑で聞き返しなされると、右大臣様がこう答えたのでした。
「そこの者、正八位下の秦(はた)下(しも)嶋麻呂と申します。この度の騎馬隊に従って来たのですが、騎馬隊解散後も私の身辺警護をしてもらっておりました。これ嶋麻呂、直答を許す。陛下に先程相談したことを申し上げよ。」
「はっ、わては太秦(うずまさ)の秦下嶋麻呂と申す者でおま。恐れながら遷都の費用、秦で持たして頂きとうおます。」
「おおっ、秦一族か。それならば確かじゃ。何を望む?」
「何も。ただ都の造営は、わてらにお任せ頂ければ結構でおます。」
「うーん、良く分らぬが、今の身分では宮廷にも上がれず朕とも気楽に話せぬので不便であるから、取りあえず位階を従四位下と致す。姓もそうじゃのう。そちの生まれた土地に因んで太秦と致そう。これからは太秦嶋麻呂と名乗るが良い。位階は、正式な手続きがあるのでちょっと待つが良い。」
「ははぁー、おおきに。」
と嶋麻呂が平伏すると、横に居た右大臣様が目を白黒させながら、
「従四位は幾らなんでも上げ過ぎでは御座いませんか?」
と仰ると、陛下は久々に晴れ晴れとしたお顔でこう仰いました。
「良い。お前達でこの者を調べ上げて、何か問題があればまた申し出るが良い。とにかく国庫が空なのは朕も良く知っておる。嶋麻呂の申し出は、もし本当なら仏の御加護としか言い様がない。」
 横で次第を聞いていた私は、ふと思いついたことがあり、思わず陛下に申し上げたので御座います。
「陛下、申し上げたきことが御座います。」
「なんじゃ朝元、お前も秦であったの。申してみよ。」
「はっ、いくら秦でも遷都の費用と大仏の費用までは賄い兼ねます。ここは行基法師様と和解し、民の力をもって大仏をお作りになってはいかがで御座いましょうか?」
「うむ、そうじゃの。朕もそれを考えておった。あの知識寺の様に、そしてあの知識寺の蘆舎那仏を超えるものをな。」
「ははっ、御意に御座います。」
 こうして恭仁京への遷都は成ったので御座います。
 同じ年(天平十三年)の三月、国分寺建立の詔が出されました。この時陛下(聖武天皇)は良く晴れた日を選んで下道真備(しもつみちまび)(後の吉備真備(きびのまきび))様をお供に、行基法師様の造られた山背(やましろ)国の泉大橋の近くの泉橋院にいるかの法師様をお忍びで訪ねられたのです。当時真備様は東宮学士を勤めていらっしゃり、陛下とは会う機会も多く、皇太子の阿部内親王様(後の孝謙天皇)共々陛下のお気に入りの一人となっていたのでした。一方の行基法師様は、お側にお弟子の、既に初老となった延豊法師様を控えさせております。二人の間に、院の中で次の様な会話がなされたのでした。
「行基よ、朕は大仏を是非とも作りたいのだ。しかし、朝廷にはもはやその様な物を作る余力は無い。だがどうしても作りたいのだ。かつて河内の知識寺で見た様な、民の力で自
発的に造られた盧舎那仏の様に、もはや民の力を結集をするしか方法は無いのじゃ。どうすれば民の力を大仏に注ぐことが出来るのか。御坊に何か良策があるなら、是非教えて欲しい。」
と陛下に寺の本堂で問われて、無精髭だらけの痩せた老人である行基法師様は、両の眼(まなこ)だけは炯々と輝かせながらこう仰いました。
「僭越ながら、拙僧とその弟子共がそう呼びかければ、民達の心を大仏に向けさせ、さらに百済・新羅・高句麗の渡来民の実力者達の心をも動かせましょう。」
 陛下はそれを聞くとにやりと笑い、こう仰ったのでした。
「やはりそう来たか。ならば問おう。御坊にそれに合力してもらう為には、朕はどうすれば良い?」
 それを聞いて、行基法師様はさらに続けました。
「御察しの良い陛下なら、敢えて言うまでも無いでありましょう。拙僧の弟子達である私度僧を正式な僧として認め、また拙僧の建立した寺院に対し、国家からの保護を頂きたいのです。」
 陛下はそれを聞くと、本意が顔に出てしまい、困った様な顔をしながらこう答えたのでした。
「しかし、寺への保護はその額の多寡に差を付ければ何とかなるが、私度僧を認めれば官僧の立場が無くなり、納得してもらえんのではないか?」 
 それを聞いた法師様は、思わず陛下を真似してにやりと笑ってしまいながらこう言ったのです。
「もうすぐ正式な受戒僧が唐より来ます。さすれば今いる官僧達も私度僧と同じ位置に戻され、自分達で行った戒を全てやり直すこととなりましょう。私度僧への不満どころでは無くなりまする。」
 それを聞いた陛下は心底驚いた様な顔をされて、こう言ったのでした。
「何と、では、かつて舎人親王を通して唐より正式な受戒僧を招聘することを進言した隆
尊も、大仏を朕に作らせようとした良弁も、皆御坊の仲間であったのか?」
 これに対し行基法師様は思わず声を立ててお笑いになってしまいながら、こう言ったのでした。
「はっはっはっはっはっ。その様な高僧と拙僧の様な乞食坊主が知り合いの筈がありますまい。」