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一縷の望(秦氏遣唐使物語)

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「もうそれしか方法は無か。急ぎもんそう。」
 調子麻呂は川に隼人独特の手漕ぎの船を出し、比賣様を乗せて両軍のにらみ合うただ中へ参ったのでした。その兵力は広嗣軍約一万に対し、追討軍六千で御座いました。川の中程に着くと、既に矢の応戦が始まっておりました。持参した隼人の盾で身を防ぎながら、比賣様は突如信じられぬ程の大きさで、犬の鳴き声の様なものを発しなされたので御座います。そのあまりの声の大きさに、両軍共しばし矢を射るのを止めたのでした。続けて比賣様は広嗣軍の隼人に向かって、変わらぬ大声でお諭しなさったので御座います。
「良いか、隼人の衆、薩摩の比賣ごわす、分るでごわすか。この戦、広嗣さぁに騙されておりもんそう。おいらは賊軍じゃき。この戦にたとえ勝っても、その先等無いんでごわす。」
 隼人の衆が比賣様の声に耳を澄ましているのを利用して、追討軍の隼人の中におられた赤い刺青を顔に入れた大衣(おおきぬ)の大隅直(おおすみあたい)様が、
「広嗣さぁは逆賊じゃき。こ奴に従う者は、すぐにその身ば滅ぼすのみだけでん無く、罪は妻子親族にまで及びもんそう。」
と口を挟まれたので御座います。この話がまずい方向に進みそうだったので、広嗣様が前に進み出て、
「勅使が来られたものと思いまする。その勅使の名を承りたい。」
と話を遮(さえぎ)られたのでした。追討軍からは佐伯常人様、阿倍虫麻呂様が、
「おおう。」
と名乗り出られますと、広嗣様は、
「私広嗣は朝廷の命に背く積りは無い。ただ朝廷を乱している二人、真備と玄ぼうを退けることを望むのみだ。もし、私が朝命に反抗しているなら、神が私を罰するであろう。」
と答えられると、常人様はそれに対し、
「ならば、何故軍を率いて押し寄せて来たのか。」
と聞きなさると、広嗣様は何も答えられず、馬を引き返させたのでした。このやり取りを聞いていた広嗣軍の三人の隼人が川に飛び込んで、泳いで追討軍に投降されたので御座います。その内一人が川の中程の比賣様の舟まで泳いで来て、その縁(へり)につかまりながら、
「比賣さぁ、こいな戦場まで御足労ばお掛けしもんした。おいらは生きる道ば探りもんす。」
と断っていくのを忘れてはいませんでした。その方は顔中毛むくじゃらでしたが、精悍な顔つきで、大隅直様同様そこに美しい赤い刺青を入れた鍛え上げられた肉体をしております。それを切っ掛けにして隼人二十人、騎兵十余人が投降してしまいました。その前に投降して舟の上の比賣様に御挨拶をした者は、韓国広足に利用されていた贈唹君多理志佐(そおのきみたりしさ)様と申しまして、この者の口から広嗣軍が三方に分れたと云う作戦と、綱手様達の二つの軍がまだ来ていないことを告げられたので御座います。つまり、実際には追討軍と反乱軍の戦力は、ほぼ五分なのでした。そこで追討軍の先発隊は、敵軍の別働隊が合流する前にそのまま時を移さずに攻め込んだのです。すると広嗣軍は忽(たちま)ち総崩れとなり、敗走した広嗣様は馬で港まで逃げ、さらに耽(たん)羅(ら)(済州島)へ逃げようと船出したのですが、嵐に会い、
「私は大忠臣である。神は我を見捨てたもうか。願わくば、神の力によってしばらく波風
が凪ますことを御(おん)願い奉りまする。」
と云う広嗣様の天への祈りの言葉も空しく、かの方は耽羅の島影の見える所まで行きながら、五島列島まで風で戻されてしまったので御座います。十月二十三日、広嗣様は捕まり、十一月一日には綱手様共々処刑されてしまったのでした。都に留まっていた清成様、宿奈麻呂様、田麻呂様にも類は及び、お三人とも島流しにされ、ひ弱な清成様はそこで身体を壊されて亡くなり、可愛い我が子(後の藤原種継)と妻を残し、二度と都に戻ることは無かったので御座います。
 ところで、無事隼人同士の戦いを比賣様の説得で回避させた調子麻呂は小さな紙に事の次第を認め、肩の鶻の甲斐の足に括りつけて、都で報告を待つ私の館に向かってまずは放ったのでした。そして再び彼は比賣様を背負って、韓国宇豆峯神社に帰還したのです。二人を久米(くめ)様、波豆(はづ)様と若い巫女が出迎えられました。調子麻呂がどうせなら、と祈祷をする所まで背負って比賣様をお連れすると、背中から降りられる前に、比賣様は調子麻呂にこう話し掛けられたのです。
「ところできしゃん、嫁じょはおりもんそうか?」
 調子麻呂は比賣様を降ろしながら、こう答えたのでした。
「いえ、お務めが忙しく、未だ独り身に御座る。」
 比賣様はそれを聞くとにんまりと笑い、連れ添ってきた若い巫女の手を取りながらこう言ったのです。
「それならば丁度良か。こん者はおいの曾孫娘ごわすが、きしゃんの嫁じょにやりもんそ。おいはきしゃんが気にいったんでごわす。それに今度のことも礼をせねばならぬのでごわすが、不幸にも礼をする様な物は何も持って無か。こん娘の母親は、産後の肥立ちが悪うて亡うなったのでごわす。父親も今度の戦で戦死ばしもうした。名はおいと一字違いで比女と言って、おいの跡取りにでもしようと今預かって育てているんでごわすが、もう年頃になっておって丁度よか。きしゃんが都に嫁じょとして連れ帰ってたもんせ。」
 それを聞いて調子麻呂は、びっくり仰天してしまいました。
「ひ、比賣様、それは勿体無きお言葉で御座いますが、比女様の気持ちも聞いてみないと。それに今言った様に私は忙しく、すぐに帰らねばなりません。とてもじゃないが、お披露目などしている暇はありませぬぞ。」
「何、比女さぁに是も非も無か。それにお披露目などどうでも良かこつでごわすが、な、比女も良かでごわしょう?」
 傍らにいてこのやり取りの一部始終を色黒の顔を赤らめながら黙って聞いていた比女様は、小さな声でこう答えたのです。
「大御婆さぁさえそれで良かと言いんしゃるなら、おいはそれで良か。じゃどん調子麻呂さぁも今夜位はここで休みになって行ってたもんせ。」
「これで決まりごわす。風呂は沸かしてありもんそう。ひとっ風呂してきんしゃい。」
 ここまで言われては、さすがの調子麻呂も断り様がありませんでしたが、最後のあがきでこう訴えたのでした。
「でっでも、拙者はこれで失礼せねば、主人の大事に間に合いません。それに女連れでは、余計帰るのが遅くなってしまいます。」
 しかし調子麻呂の最後の抵抗の言葉も空しく、比女様の止めの言葉が返ってきたのです。
「なら、帰りは大御婆さぁの様においをからって(背負って)行けば良か。それともお前さぁは西海道の女では不承知ごわすか?」
 こうして調子麻呂は陥落し、次の日この夜に子を腹に仕込んだ比女様を、本当に背負って帰ることとなってしまったのでした。因みに後日産まれた子は、この時の経験に因んで隼(はや)麻呂と名付たのです。
 ところで広嗣様の謀反はあっけなく討伐されたのですが、十月二十九日陛下は予定通り、控えていた私と秦忌寸等の騎兵と共に伊勢へと行幸に出てしまわれたのです。もちろん、忌寸では御座いませぬが、秦赤檮やそれから秦下嶋麻呂も同行したので御座います。これが、あの空前の長さを誇る巡幸(天皇が様々な所に行幸すること)の始まりだとは、出発した当初は誰も、無論陛下ご自身でさえ思わなかったのでした。