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一縷の望(秦氏遣唐使物語)

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 この広嗣様は、宇合様が亡くなられた天平九(西暦七三七)年、従五位下に叙され、同十月大養徳守兼式部少輔に任ぜられたのですが、同年十二月、太宰少弐に左遷されたのでした。本人が酒に酔い、藤原宮子皇太夫人様と玄ぼう法師様と光明皇后(かつての安宿媛(あすかべひめ)、光明夫人(ぶにん))陛下が三角関係であると云う醜聞を口にし、橘諸兄(かつての葛城王)様の治政への批判にまで言及したことが原因であったそうです。しかし本人はまったく反省が無く、同時に逆に重く用いられていた玄ぼう法師様や下道真備(後の吉備真備)様を逆恨みした様なのでした。大宰府に移ってから真面目に務めに励んでいたのですが、天平十二(西暦七四〇)年八月二九日、今度は素面(しらふ)で玄ぼう法師様や真備様を除くことを書いた朝廷への上表文が都に届き、これが謀反と判断されてしまって召喚の勅が出され、それを機に挙兵されたので御座います。よってこの少し前に広嗣様は弟の宿奈麻呂(すくなまろ)様、田麻呂様を謀反に誘いましたがいずれも断られ、同時に我が葛野(かどの)(京都)にある屋敷にいる清成様、綱手様に使者を送り、仲間になるよう誘ったのでした。その使者にあの高橋虫麻呂様が、庭木が紅葉し始めた我が家にいらっしゃったので御座います。虫麻呂様はすっかりお年をお取りになり、鬢の辺りが白くなっていました。
「兄上、私は行きますぞ。これは広嗣兄上と合意した上での行動で、ここへは梅と最期の挨拶に参ったのです。」
と成長していよいよ父親に似てがっしりとしてきた綱手様が言うと、新妻の我娘梅が、
「綱手様、梅を、梅をお捨てなさるのですか。」
と裾に縋って泣くので御座いました。同じく成長してやや陰険な顔付きになってきた兄の清成様は、そんな弟の姿を冷ややかに見ながらこう言ったのです。、
「綱手、兄上に勝ち目は無いぞ。第一先が見えん。」
「兄上は我ら式家の血を残す為ここにお残り下さい。私は広嗣兄上を見捨てることは出来ませぬ。おさらば。虫麻呂、案内(あない)せい。」
と言うが早いか、既に着込んでいた武装した姿で表に飛び出し、馬に乗って虫麻呂様を置いて門の外へ飛び出していったのです。虫麻呂様は一つ頭を下げると、綱手様の後を馬で追いかけて行ったのでした。清成様はそれを見送ると、何も言わず息子の種継と添い寝する妻の牡丹の待つ舘の中へと入ってしまわれたので御座いました。実は、この種継と云う名の名付け親は私なのです。種継とは無論、我ら秦氏の子種を継ぐ者と云う意味なのでした。なお、梅の身体の中には、既に菅継様と云うお子がいたのです。私(秦朝元(はたのちょうげん))は、
「調子麻呂と赤檮はおるか。」
と呼び、二人が目の前に来ると、
「赤檮は綱手様の後を追い、命をお守り致せ、いいな、行け。」
と言うと、
「はっ。」
と、赤檮は短く答えて馬屋の方へ行ったのでした。そして例によって鶻を肩に乗せた調子麻呂に対しては、こう命じたのです。
「お前は出来るだけ早く大隅へ行き、三巫女様にお会いするのだ。そして、私からの使いだと言ってから、広嗣様は勝ち目が無いし、第一賊軍となってしまうから、今すぐ戦から手を引くように言うのだ。文(ふみ)(手紙)を書いている時間も惜しい。今すぐ行け。用が済んだら綱手様の所に居るはずの赤檮と合流せよ。」
 例によって調子麻呂が門の外へ駆け出してしまうと、その代わりの様に、
「それはいけません。」
と馬を引いて赤檮が馬屋から戻ってきて、珍しく大声でこう言いました。
「韓国連広足が、この間も秦澄様達を襲って参りました。二人共御側を離れる訳には参りませぬ。調子麻呂は使者の務めを果たしたらすぐにこちらに戻り、私は朝元様の御側を離れません。広嗣様も助かりませんし、綱手様はもう駄目です。それに仮に綱手様のお命を救ったとしても、謀反に加担したことが分かれば、朝元様にも類が及ぶやもしれませぬ。ここは、都にいる大衣(おおきぬ)の大隅(おおすみ)直(あたい)の所に私が行き、この戦に加わらせ、綱手様の命を守ってくれるようにお願いすべきかと思われます。調子麻呂、聞こえたか。」
 見ると、門を出てすぐの所で留まっていた調子麻呂が、片手を上げてからまた走り出したのでした。それを見送った私は、赤檮に対してこう言ったのです。
「それなら私自身が行かねばならぬだろう。」
「いえ、御身分から言って、あちらから来てもらうのが筋だと思われます。」
「だが、こちらから願い事があるのに呼びつける訳にはいかない。」
とその時、朝廷からの使者が来たのです。見ると昔渡来した時難波で一緒になり、渡唐の折には従者になってもらった、名とは裏腹に小柄な秦大麻呂で御座いました。
「お久しぶりで御座います。至急参内されて下さい。特に我ら秦の者に陛下が御用があるとかで、大至急支度をされた方が宜しいかと存じます。」
と、かなり老けた、私と同じ年齢(とし)の大麻呂が口上を述べたのでした。
「そうか、では仕方が無い。大衣の大隅直の所へは赤檮が行ってくれ。私が戻ってくる頃にはお前も大隅直様を連れてこちらに来れるだろう。」
「はっ、畏まりました。」
と言って、赤檮が引いてきた馬に跨(またが)ると、使者の大麻呂が慌ててそれを押し留めてこう
言ったのです。
「いえそれには及びませぬ。命を受けた時に聞いたのですが、大衣の大隅直の所へは、既に参内せよ、との使者が参りましたぞ。」
「そうか、それではあちらで会える訳だな。赤檮、命はまた変更だ、私の供をせよ。」
と私が言い、支度をして三人で急ぎ宮中へ向かったのです。宮城の朝堂(中央官庁)には既に大衣の大隅直様が先に来ていて、右大臣の橘諸兄(たちばなもろえ)様と何か話しておいででした。
「おぉ朝元来たか、今隼人司の者二十四人全員で参軍するように申しつけた所だ。」
「何のことで御座いましょう。」 
「聞いておらぬのか。昨日(九月三日)、広嗣が挙兵したとの報せが入ったのじゃ。陛下はすぐさま追討軍をお出しになることを命じられた。反乱軍の中には、隼人も加わっているそうな。そこで隼人司の者全員を借り出し、こちらへの投降を呼び掛ける積りじゃ。」
「しかし妙で御座いますな。」
「何がじゃ。」
「陛下への上表がこちらに着いてからまだ五日です。まだ召喚の命すら届いているかどうか分りませぬ。それなのにもう挙兵とは、あまりに速過ぎるのでは御座いませぬか?」
「それもそうじゃのう。だがもう遅い。追討令はもはや出されてしまった。今さら変更は利かぬ。」
「それはそうで御座いましょうね。ところで、文官の私に何の御用でしょうか。」
「それじゃ。お主は秦の頭領となったそうじゃの。大至急秦忌寸の姓の者で武官の者を集めて欲しいのじゃ。」
「宜しゅう御座いますが、我らも参戦するので御座いますか?」
 右大臣様は、ひどく言い辛そうにこう仰ったので御座います。
「お主らの内騎馬兵のみで、陛下の行幸の警護をしてもらいたい。」
「はあ? この非常時の今に御座いますか? 何用で?」