一縷の望(秦氏遣唐使物語)
と牛麻呂様の呻き声がすると、しばらくして建物の中から一人梨花が出て参りました。
「牛麻呂様はご自害あそばされました。風向きを見て皆を避難させ、この建物だけ燃える様に火を付けましょう。」
「分った。」
と私は涙で両眼を濡らしながら答えると、梨花もまた泣きながら気丈に振る舞っているので御座います。その時、一人の青年が私の後ろから抱きついてきたのです。
「朝元様、父上が、父上が…。」
見ると、牛麻呂様の一人息子、嶋麻呂とその妻紅花でした。
「嶋麻呂、紅花、父上はたった今ご自害なされた。だが、病がうつる故もはやお会いすることは適わぬ。しかも、今からこの建物にはお父上の御遺言により燃やさねばならぬ。この舘の者をこれ以上この病に奪われぬ為、耐えるのだ。これからは私がお主の後見人となろう。宜しく頼むぞ。」
「はい。宜しくお願いします。」
私は嶋麻呂と紅花を抱きしめてから梨花に渡すと、他の屋敷の者、特に牛麻呂様の奥方の白女(しらめ)様に事の次第を良く説明し、建物に火を付けることを承諾して頂きました。渡り廊下を手分けして破壊し、出来るだけ他に燃え移らないように配慮して火は付けられたのです。火は乾いた建物をたちまち回り、紅蓮の炎を燃え上がらせたので御座います。
その後私は、急ぎ都に立ち戻りました。すると豌豆瘡は奈良まで達していて、何とあの我らと親しかった、あの朝廷の中枢(知太政官事)の舎人親王様までその病で亡くなられていたのでした。私は胸騒ぎを感じて、急いでそこで牛麻呂様の御遺言を行基法師様に伝えたかったのですが、難波の方に行かれたとかで、珍しく留守居の延豊法師様に法澄様の所へ案内してくれるよう頼みました。ですがこの時、玄ぼう法師様の所から舎人風の青年である羽栗翔(かける)が使者としてやってきて、こう言ったのです。
「玄ぼう様の仰ることには、法澄様に会ってこの奈良に連れてくるなら、何はさておき、まずは自分のいる海竜王(遣唐使の守り神)寺へ連れて来て欲しい。理由は連れて来れば分る、と云うことで御座います。」
それに対して、私は即座に承知した旨を翔に告げたのでした。豌豆(えんどう)瘡(そう)の流行は秦下の家を火切りにして、いよいよ本格的に奈良の都にも飛び火する有様でしたが、そちらのことは梨花に全て任せ、延宝法師様に道案内をしてもらい、北陸道(現在の北陸)の白山へと向かったので御座います。修行中の法澄様はなかなか見付からなかったのですが、二人で手分けをして何とか見付け、事の次第を話し、豌豆瘡調伏の祈祷をしてくれるようお願いしたのでした。法澄様は快くこれを引き受けなされ、例の如く臥(ふせ)行者様、猿の面を被った浄(じょう)定(じょう)行者様を引き連れなさって共に奈良の都を目指したので御座います。
私達はようやく奈良に戻ってきますと、まずは玄ぼう法師様のいる海龍王寺の方へ行ったのでした。庭に植えられた木々も、既に冬支度を始めていて枯れ果てておりましたが、出来たばかりのお寺は眩く輝き、その真新しい本堂に玄ぼう法師様と審(しん)祥(しょう)法師様と波斯(はじ)(ペルシア)医の李密翳の三人が、唐より持ち帰った五千余巻もの経論を広げ、何やら調べている最中で御座いました。この海龍王寺は朝廷の内道場として新たに位置づけられ、専属の僧達が朝廷における仏教行事や祈祷、治療所の役割を果たしていたのです。玄ぼうはここに遣唐の時の仲間達を集め、助手の様に使っていたのでした。私共が参っても気づかぬ様ですので、私の方から声を掛けたのです。
「玄ぼう様、法澄様をお連れしました。しかし帰国早々寺を与えられるとは、まさに破格の扱いに御座いますな。」
「おお、朝元か。これは法澄様お初にお目に掛かる。拙僧が玄ぼうと申す。何、この寺はあの光明皇后陛下が亡き父上の館の一角を直して寺として下されたのじゃ。例によって宮様に唆(そそのか)されて、功徳の一つとでもお思いなのじゃろう。因みに海竜王とは、我ら遣唐使の守り神なんじゃよ。」
法澄様は広げられた夥しい数の経論を横目で見ながら、挨拶なされました。
「お初にお目にかかる。法澄と申します。私に何やら御用とか。」
「いや失礼ながら、この度豌豆瘡調伏の祈祷をお引き受けなさったそうだが、あの病はなかなかに難敵。こちらの経論が何かのお役に立てばと思っての。審祥、あの経論を法澄様にお渡しするのだ。こちらは今大安寺の審祥法師だ。朝元は顔見知りじゃろう。」
そう玄ぼう法師様に紹介されて何巻かの経論を持って、審祥法師様は法澄様の前に来られたのでした。
「お初にお目に掛かる(実際はその昔、元興寺で法澄を導く手助けをしている)。大安寺の審祥と申します。こちらは唐より我らが持ち帰りし『十一面観音経』に御座います。」
と言って、一つの経論を法澄様に手渡されなさったので御座います。すると普段は動じぬ法澄様が、こちらにも分る程目の色を変えなされて、
「こっこれは。」
と呻いたのでした。
「お気に召された様ですね。良ければそれを進ぜましょう。それにその積りで、これは先に私が写しておきました。遠慮なくお受け取り下さい。」
「本当で御座いますか?」
「本当も何も、その為にわざわざ玄ぼうに頼んで御呼びしたのです。どうぞ遠慮なくお納め下さい。」
「有難う御座います。これで疫病撲滅に自信が付きました。玄ぼう法師様、審祥法師様、何とお礼を言えば良いのか見当もつきませぬ。」
そう言って法澄様が頭を下げられると、玄ぼう法師が再びこう答えたのでした。
「良いのだ。本来なら拙僧が祈祷すべき所、どうしても外せぬ用が御座いましてな。大徳様にお願いするより他に術が無かったのだ。それともう一つ言っておかなければならぬことが有るのじゃが、実は今回の病魔を流布した者の正体は、皆が思っている長屋親王様の怨霊では無く、唐より渡来した九尾の狐、藻(みくず)と言うものなのだ。実際祈祷をする時、この名を以ってすれば、この効果は段違いの物となろう。」
「そうですか。拙僧も、どうもこの流行病と長屋親王様の怨霊は関係が有るとは思えませんでしたので、これで合点(がてん)が行きました。それに貴重な経典を貸して下さる為にお呼び頂き、本当にありがとう御座いました。このお礼に、見事疫病退散を果たして見せまする。」
その法澄様の言葉に、今度は審祥法師様がこうお答えになられました。
「ところで法澄様、法澄様は全ての宗派の山岳修行を、秦氏の山岳仏教にまとめようとしてらっしゃるそうですね。私は唐や新羅で山岳修行の華厳宗を修めて参りました。後で十一面観音経の説明方々じっくりお話をお聞きしたいものです(計画的行動)。」
「願っても無いことで御座います。是非お願い致します。」
とその時、玄ぼう法師様が突然再び口を挟まれたのでした。
「おいおい、まだ一人紹介する者が一人残っておるぞ。こちらはたった今都に着いたばかりの波斯医の李密翳じゃ。言葉が通じなくて苦労したとか。それと彼奴は、我らと同志の景教と仲の良い拝火教の者だ。」
「波斯医の李密翳と申します。初めまして。」
そう言って李密翳は、二人に対して手を合わせて挨拶したのでした。
作品名:一縷の望(秦氏遣唐使物語) 作家名:斎藤豊