一縷の望(秦氏遣唐使物語)
そしてさらに私は両親と兄の冥福を祈った後、玄ぼう法師様と共に新緑の並木道を通って、長安に在る大秦寺にも寄ったのでした。大秦寺は以前と打って変わって修復され、新しく来るという大秦(ローマ)のお坊様を迎える用意で、皆忙しそうに働いておりました。私は大徳(ガブリエル)法師様を中に見つけ出し、たまらず玄ぼう法師様に教えるのを忘れて挨拶をしてしまいました。
「大徳法師様、お懐かしゅう御座います。秦朝元に御座います。」
「おぉ朝元(ちょうげん)様、弁正様の御次男ですな。随分立派になられて、亡き父上様もきっとお喜びのことでしょう。」
「羅含(アブラハム)法師様のことは誠に残念でした。でも見事流行病を調伏され、陛下
の庇護を得られたこと、誠に祝着至極に存じます。」
「ありがとう。荒れ果てていた寺もこんなに綺麗になった。もういつでも新しい住職をお迎えしても大丈夫だ。これと云うのも、病魔調伏の折、朝衡様、真備様の協力があってこそなのです。今は亡き羅含法師も、天国で喜んでおられましょう。ところで、お連れの方はどなたですかな。」
と大徳法師様が仰られたので、横にいた玄ぼう法師様ご自身が一歩前に進み出、こう仰られました。
「拙僧は玄ぼうと申す法相宗の僧で御座います。大徳法師様、お初にお目に掛かります。」
「おぉ、そなたが玄ぼう様か、陛下の前で大秦寺の僧よりも法力で勝ると言い、その証しをその場で示されたとか。もう聞き及んでおりますぞ。」
さすがの玄ぼう法師様も顔を赤くなされて、
「いや、お恥ずかしい。」
と言って剃髪を手で掻かれました。大徳法師様は続けてこう仰られました。
「もっと早くあなたが長安に来ていれば、朝元様の御一家も儚くならずに済みましたものを。それより朝元様、少し気になることが…。」
「なんでしょうか?」
「いや、まだ確証は無いのですが、どうもこの度の流行病には、何か人為的な悪意を感じたのです。」
「悪意?」
「そう、悪意です。第一普通の疫病なら、羅含法師のお命を縮める様なことなど有り得ませぬ。道術には、病さえ自由に操ることの出来る技があるとか。だとしたら、この件はまだ解決していないことになります。」
「ではまたこの流行病はぶり返すと?」
「分りません。今は取りあえずその兆候も全く無いのですが、かえってそれが不気味なのです。私の取り越し苦労なら良いのですが…。」
私は、何か腑に落ちぬものを抱え考え込んでいると、横から玄ぼう法師様がまた口を出しました。
「ところで大徳法師様、つかぬことをお聞きしますが…。」
「何で御座いましょう?」
「拙僧の聞き及びます所、遠い大秦(ロ―マ)には、刺青を消す技術があるとか。」
「ふむ。そのことなら私よりも波斯(はじ)(ペルシアの意。ペルシアの拝火教は景教に多大なる
影響を与えていて、拝火教弾圧の時、景教の元となるユダヤ教に身をやつして拝火教徒が生き残ろうとした時期も有り、二つの教え及び信者の関係は親密であった)のお医者様の李(り)密(みつ)翳(えい)に聞いた方が良いでしょう。今呼んで参ります。お待ち下さい。」
と言って、大徳法師様は奥の方へ消えて行かれました。私はどうにも疑問に思い、玄ぼう法師様にこう聞きました。
「玄ぼう様、何故そんなことをお聞きになられるのですか?」
玄ぼう法師様は大徳法師様が去った向こうをご覧になりながら、こう答えたので御座います。
「分らんか? 宮のことだよ。」
「宮?」
「青衣の宮子皇太夫人の文身(刺青)のことだよ。あれがあるから自分の息子にも会えないんだろ。」
「あっ。」
「まあ、うまくいくかどうかまだ分らんから黙ってみておれ。」
そう話している内に大徳法師様が、様々な原色の派手な衣装を着た李密翳を伴って帰って参りました。
「遅くなりました。これが李密翳、こちらが留学僧の玄ぼう法師様と遣唐判官の秦朝元様だ。挨拶せい。」
「はい、初めまして、李密翳と申します。お見知りおきを。」
と言って、李密翳は頭を軽く下げました。
「おう、初めまして。さっそくじゃが、お主は波斯医じゃそうじゃが、お主の国では、刺青を消せるとか言う噂が立っておるが、本当かな。」
「はい、難しい施術ではありますが、私なら出来ぬことはありません。ただ、術後の経過が思わしくなくなる場合が多く、故郷では力の強い術師が施術に立ち合って、その成功を祈る様にしております。ですから、強い力を持つ術師が必要となります。」
「そうか、その術師とやらは景教や拝火教の者で無くても良いのか?」
「はい、本物の術師なら何教でも構いませぬが、そんな方に心当たりが御座いますのか? まずはその方にお引き合わせ下さい。話はそれからです。」
「何術師なら、他ならぬ目の前の拙僧玄ぼう様がおる。拙僧の力はここにいる朝元が保証する。な、朝元、そうだな。」
私は突然話を振られ、少し驚きましたが、正直な所をお答えしました。
「はい、いささか人格には問題も御座いますが、術師としては一流かと思われます。一度皇帝陛下の前で力を見せつけられたことも御座いますし。」
と言うと、玄ぼう法師様は満足そうにそれを聞いておられましたが、人格云々と云う所は聞き落としたのか、何も言われずに話を進められました。
「そうだろう、そうだろう。ところでお主(ぬし)、日本国に行ってみんか。」
「日本?」
「この唐の国の東にある国じゃよ。ここ(唐)では倭とも呼んでいるな。そこの国の偉い御婦人が、顔に施された刺青を消したいんじゃが、しくじればそちも拙僧もただでは済まぬぞ。」
「大丈夫です。道具さえあれば、御坊の力が確かなら私が失敗することはありません。それに、景教がこれから花開こうとしている倭のことは、大徳法師様から伺っています。やりがいのある仕事ではありませんか。是非お手伝いさせて下さい。」
「よし、これで決まりじゃ。日本国へ行くまでまだ大分時間があるだろうから、拙僧からの報せを待っていろ。うまく行った時の褒美は思いのままじゃ、楽しみにしておれ。それにしてもお主のその格好、とても医者とは思えぬが、一体どういう積りなりのじゃ。」
と先程から気になっていたことを聞くと、こう答えが返ってきました。
「あぁこれで御座いますか? 私は本来踊りを生業としておりまして、まあ医術は趣味みたいなものです。」
「おいおい、それで本当に大丈夫なのか?」
「大丈夫で御座いますよ。踊りで食べていける訳ではありませんから、収入は医術で得ております。今まで一度もしくじったことは御座いません。」
「うん、まあそれなら良いか。」
玄ぼう法師様は言うだけ言うと、さっさっと大徳法師様にも別れを告げ、大秦寺を後にしました。
「ところで朝元、李密翳の施術の時の助手は主に頼むぞ。医者同士何とかなるじゃろう。」
「それは良う御座いますが、果たしてうまくいくのでしょうか?」
「なに、出来ぬものを、景教の者が出来ると偽りは言うまい。あの教えの信者は、嘘偽りを申すと奈落に落ちてしまうそうじゃからの。窮屈な話だ。仏の教えなら、僧侶が嘘をついても方便と言って誤魔化せるのにな。まあ、とにかく拙僧に任せておけ。はっはっはっ。」
「はあ。」
作品名:一縷の望(秦氏遣唐使物語) 作家名:斎藤豊