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一縷の望(秦氏遣唐使物語)

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 この国栖の民については先にも触れましたが、元は機内一帯にいた土蜘蛛と呼ばれたまつろわぬ民だったのでした。土蜘蛛の内朝廷に服属した山の民を国栖と呼ぶ様になったのです。土蜘蛛は大量に秦が移住した時(応神天皇十四、西暦二八三年)より五百年も前に、秦の方士徐福様と共に渡来した者達の子孫だったのでした。彼等は吉野や葛城山を中心に畿内一帯の山に住み、山に自生する葛(かずら)を取って細工して籠などにしたのです。思えば私の舘のあるここ葛野も、彼らの住んでいた場所でもあったのでした。さらに、役行者(えんのぎょうじゃ)様に率いられた役(えの)民(たみ)となっていたのです。彼等は越前から渡来する貧しい渡来民達と共に役民をする内に、白山を信仰するようになり、自分達の信仰する古い八つの蛇の首と一つの人の顔を持つ女神伊弉冉(いざなみ)様を、仏教に伝わる鬼神の九つの首の竜に見立てて、共に信仰し出したのでした。そしてその竜の名を自分達の名である「くず」を充て、九頭竜(くずりゅう)としたのです。
 牛麻呂様が紹介された国栖の二人の民の名は、舘の門番だった国栖赤檮(くずのいちい)と蜂岡寺の隠坊(おんぼう)(寺男)だった国栖調子(ちょうし)麻呂(まろ)と申します。二人共国栖らしく、ひどく長い手足をしていて、初対面では無かったのですが、雇う時に、調子麻呂がこの様に自己紹介致しました。肩に黒い鶻(こつ)を乗せた調子麻呂は私よりも少し年上で、背は同じ位、髭の無い顔は細面で、いかにも素早く動けそうな様子でした。
「私は速く長く走ることなら馬にも負けません。それに弁舌もさわやかで、口上も一度聞けば覚えますから、使者に重宝して下さい。この方の上の鳥は鶻の甲斐と申し、私同様使者に重宝致します。それから二人共言葉に訛りが無いことにお気づきかと存じますが、これは幼き頃より日本中どこでも存分に活躍できるよう仕込まれているからで御座います。」
 一方国栖赤檮は、年齢は調子麻呂よりも少し上の様ですが背は同じ位でした。体格はがっしりしており、舎人の着物から覗かせる二の腕は節くれ立ち、いかにも強そうであります。同じく髭の無い顔は全体に四角張っていて、古い傷が二か所目立ち、それは両腕にも無数に御座いました。眼光鋭く、武人然としております。調子麻呂に続いて、この様に自己紹介致しました。
「私は、命を守ることと奪うことに長けております。調子麻呂と違ってしゃべるのは苦手ですが、警護や刺客として御意のままに働きます。」
「私には過ぎた二人の様だな。宜しく頼む。」
と、私は二人の自己紹介に答えたのでした。
 ある晩春の晴れた日、大学寮に講義に行った帰り、韓国連広足の顔を一目見ておいた方が良いと思い、道に迷った振りをして呪禁寮の方へ行ってみたのでした。もちろん、お供の二人も廊下沿いに庭を付いてきました。呪禁寮の前まで来ると、運良く、かの人がお供の者と寮の中から渡り廊下に出てくる所に出くわしました。私は道をあけ、素知らぬ振りをしてやり過ごそうとしたのですが、通り過ぎる瞬間、広足は立ち止り私の方を向くと、
「はて、どなたでしたかな。」
と声を掛けてきたのです。近くで見るかの人はもう相当のお年齢(とし)の様でしたが、白い髭の生えた痩せた顔の色つやは良く、眼光は鋭いものが御座いました。後ろにつき従う者は官吏と云うよりは武人で、動きもきびきびとしております。
「いえ、道を迷いまして、お初にお目にかかります。私は秦忌寸朝元(はたのいみきあさもと)と申します。」
「ほう、あなたが高名な朝元様でしたか。これはこれはお初にお目に掛かる。私は呪禁博士韓国連広足と申す者、以後お見知りおきを。」
とだけ言って、少しも表情を崩さずに供の者と共に外へ出て行きました。随っていた若者も、じろりとこちらを睨みつけてから後に続いたのでした。一行が完全にいなくなると、お辞儀をしていたのから一転、私はその場を足早に離れたので御座います。去りながら思わずこう呟いておりました。
「あれが我らの敵か。眼が合っただけで身が竦(すく)んだわ。それにしてもあの従者の男、何者だろう? まだ若いのに大変な眼力だ。あの者らとやり合わねばならなくなるかと思うと、震えが止まらぬ。そうだ、調子麻呂と赤檮、二人がどこへ行くのか付けるのだ。私は牛麻呂様の舘で待っておる。」
 二人に後を付けさせて、私はその足で秦下牛麻呂(はたしものうしまろ)様の舘を訪ねました。牛麻呂様は御在宅で私を歓迎してくれ、すぐにかつて宴をした囲炉裏のある所へ通されました。すると間もなく調子麻呂と赤檮が、以外と早く報告に帰って参りました。私達は、さっそく戻ってきたばかりの二人の話、実際には調子麻呂の話を聞いたので御座います。
「驚いたことに韓国様達は、長屋親王様の巨大な舘の中へ入って行きました。親王様のところには以前より内通する者、漆部造君足(ぬりべのみやつこきみたり)と中富宮処連東人(なかとみのみやこのむらじあずまひと)と出雲臣安麻呂を潜ませておりますれば、彼らに韓国様の訪問理由を聞きました所、親王様は、どうやら以前から呪禁博士様から道術をお習いになっているそうに御座います。何でもかの天武天皇陛下も左道を身につけていらっしゃったので、自分もそれにあやかりたいと習い始めたそうです。極めて筋も宜しいらしく、もうかなり上達しているそうに御座います。」
「左様か。御苦労だった。それにしても、何故広足は法に触れることを知っていながら、敢えて長屋親王様に左道をお教えする程肩入れしているのでしょう。それに何故、親王様は左道を学ばねばならぬのでしょう。」
「それはでんな。親王さんの生い立ちと関係ありますのや。」
と、私が誰ともなく呟くと、横で聞いていた秦下牛麻呂様が答えたのでした。
「生い立ち?」
「朝元さんはこちら(日本)に来て間もないんやから知らんでも無理おまへんけど、これは有名なことなんどす。」
「ほう。」
「長屋親王さんのお父はんの高市(たけち)皇子のお母さんが、尼子娘(あまこのいらつめ)さんと言わはる秦氏一族の胸形君(むねかたのきみ)なんどす。つまり卑母と言う訳なんや。」
「それが、この件とどうつながるのですか。」
「まあ、急かさんといて。卑母なんはともかくや、韓国広足は恐らく、同じ西海道の秦氏同士として、親王さんに肩入れしとったんやないやろか。それからお父さんの高市皇子さんも当然天皇さんなれる筈やったのに、母親の身分が賤しい所為で皇子止まりやったんやが、長屋親王さんも親王とは呼ばれ張っても、天皇さんにはなかなかなれしまへんやろ。御祖母さん縁の邪法でも使うて、天皇さんに即位したい願うんは人情何と違いますか。それはそれとして、これは使えまんな。」
と牛麻呂様は、成程、と感心頻りであった私に、意外なことを仰り出したのでったので御座います。
「使えるとは?」
と私が尋ねますと、牛麻呂様が答えて言うには、