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一縷の望(秦氏遣唐使物語)

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と謝るのも聞かず、傍らにあった柱を押して鬱憤を晴らそうとなされると、宮中の建物全体が揺れ始め、傍らにいた人々は驚いて逃げ惑ったのです。その慌てふためく様をご覧になって、気鬱の病であらせられた陛下が突然声を立てて御笑いになったのでした。法澄様はすかさず例の三鈷を陛下の美しい額に押し当てられたのです。すると笑いも収まり、陛下は完全に本復されたのでした。そこで、法澄様に感謝の意を表さんと、陛下はこう仰ったのです。
「越の大徳こと法澄と浄定行者とやら、そちらのお陰で、朕も本復できました。その験力、神の域に触るが如くです。よって御坊に禅師の位を授け、朕の護持僧とし、神触禅師の号を許すことと致しましょう。浄定行者の怪力にも恐れ入りました。」
 この様な法澄様(神触禅師の号は、紛らわしいのでここでは用いない)と行基法師様が初めて御対面なされたのは、神亀二(西暦七二五)年七月の暑い日のことでした。それはお忙しい行基法師様の方から白山に来られ、修行中の法澄様を尋ねてきたので御座います。お供には、庇護者の寺史乙麿様と十大弟子の一人で秦氏出身の延豊法師様を連れていました。お二人共壮年で、商人や僧ながら道場で良く鍛えられておるのです。寺様は商人らしい柔和な物腰でしたが、所作に少しの隙も無く、一方延豊法師様は浅黒く日焼けしていて、顔にまで筋肉が付いている様な容貌でした。法澄様の両横には、例によって臥(ふせ)行者(ぎょうじゃ)様、浄(じょう)定(じょう)行者様のお二人が鎮座しております。その時は、修験道の道場たる越智山三所大権現の別当寺(神社付属の寺)を建ててそこに移り住んでいたのでした。行基法師様と越の大徳様のお二人は、会うなり肩を抱き合ってお互いの邂逅を喜び合ったそうに御座います。お二人のお弟子様達も、師のその様なお姿は見たことがありませんでしたので、ひどく驚かれたのでした。お二人は互いに、
「良く来た、良く来た。」
と言って肩を叩き合ったそうに御座います。この時行基法師様五八歳、法澄様四四歳に御座りましたが、その後まるで年来の同朋の如く夜を徹して語り合ったそうなのでした。
 夏の浅い夜も明けようとする直前のことです。ようやく寝静まった寺の中に不審な物音が聞こえ、延豊法師様は目覚めてしまったのでした。そして共に眠る寺史乙麿様の方を向くと、乙麿様も起きていて黙って人差し指を一本立てて口に当てたのです。二人は申し合わせた様に同時にそっと起きますと、武器の錫杖と太刀をそれぞれ手に取りました。物音
は、どうやら寺の板戸を外す音だったらしく思えます。しばらく夏の虫の声が聞こえていたかと思うと、常人には無理でもお二人には聞こえる忍び足の音も聞こえ出したので、お二人は衝立の方に向かって静かに身構えました。衝立の向こうに何やら人の気配がしたかと思うと、抜き身の刀子(とうす)(短刀)を持った二つの人影が衝立の左右の両脇から現れたのです。しかしその瞬間、延豊法師様・寺史乙麿様は得物で思いっきり突いたので御座いました。二つの影が崩れ去るよりも早く、廊下の雨戸が蹴破られ、二つの影に続く筈だった者達が、新月の暗闇の中へと消えて行ったのです。驚いたことに確かに手応えがあったのにも関わらず、最初に突かれた者も崩れながら逃れたので御座いました。お二人は、
「逃すか。」
と叫んでその後を追われようとしましたが、突然寺の壁の上に二つの炎が光り、逃げようとした者の行く手を阻んだのです。
「ここは通さぬぞ。」
と壁の上に立って、火矢を構える臥行者様、猿面を被った浄定行者様に驚き、賊共が横へ逃れようとすると、左右から行基法師様と法澄様が、片手で松明を庭の燈明に置かれ、もう一方の手で錫杖を突き出して迫り、
「こちらも駄目じゃ。」
と一喝されたのです。壁の上の二人は、まるで阿修羅の様に腕六本あるが如く矢を続け様
に射て、賊共は刀子で払うのがやっとでした。逃れるのを観念した賊共は、首をしゃくって合図をし、一斉に行基法師様へと打ちかかったのです。途端壁の上から火の付いた矢が飛んできましたが、六人の賊の内怪我をしていない二人がそれを払い、もう二人がそのまま行基法師様に打ちかかったのです。しかし、行基法師様の錫杖から炎が吹きつけられ、襲いかかってきた二人に燃え移ってしまいました。二人が床に転がって燃え移った炎を消
そうとしている間に、部屋の中の二人も外に飛びかかり、弓を払った賊二人に襲いかかったのです。しかし、刀子でありながら、賊は部屋の二人の急襲をしのぎ切り、五分に持ち直したので御座います。それは一つに、族の一人が口から大蛇吐き出してそれを武器として襲い掛かって来たからでした壁の上の二人は弓を放った後、すぐに皆に参戦したかったのですが、壁の向こう側から敵がもう六人現れ、壁の上で戦う羽目になってしまったのでした。一方法澄様は、まず「不動経」をお唱えになり、次いで、
「臨(りん)・兵(ぴょう)・闘(とう)・者(しゃ)・皆(かい)・陳(じん)・列(れつ)・在(ざい)・前(ぜん)。」
と、九字をお切りになってから転法輪印をお結びになって、
「緩くともよもやゆるさず縛り縄、不動の心あるに限らん。」
と九つのそれぞれの印を結びながらこう唱えてから、呪縛印を結び直されると、
「オン・ビシビシ・カラカラ・シバリ・ソワカ。」
と五回唱え、その時庭にいた六人が突然拘束された様になって倒れたそうに御座います。それに対し、壁の上で戦っていた六人の内束ねらしい一人が、縦長の瞳を爛々と光らせながら、五代明王の総印明を結誦し、五方梶を行った後、
「行者、今、搦めの綱を解き、ほとほと三途の道に放ち道ぎり。」
と唱え、さらに、
「オン・アビラウンケン・ソワカ。」
と三遍読誦すると、忽ち倒れた六人が立ちあがり、それを見た壁の上の束ねらしき者が、
「オン・アニチマリシエイ・ソワカ。」
と唱え、残りの十一人の賊も、
「オン・アニチマリシエイ・ソワカ。」
と一斉に唱えると、全員が煙の様に掻き消えてしまいました。
 一同が茫然としていると、一番最初に口を開いたのは行基法師様でした。
「奴らはやはり韓国連広足(からくにのむらじひろたり)の手の者かな。」
「はい、そうかと思われます。しかし、前に比べますと随分と手強かったので、恐らくは最強の部下、あるいは広足本人も混じっていたかもしれませぬ。」
と法澄様がお答えになりました。続けて寺史乙麿様が、
「それにしても御師様はお人が悪い。てっきり話し疲れて戸の向こうの奥の建物に寝ているものとばかり思って、我ら二人必死になってお守りしようと思っておりましたのに、庭
の向こうから出てらっしゃるとは思いもよりませんでした。」
と不服そうに言うと、横にいた延豊法師様が、
「なればこそ、相手の不意をつけたのであろうが、文句は言わない。」
と揶揄をお入れなさったので、行基法師様が、
「寺様、済まなんだ。何しろ相手が只者では無かったのでお主らに伝えている暇も無かったのじゃ。」
と援助者でもある弟子の為に、行基法師様もさすがに延豊法師様を窘(たしな)められたのでした。延豊法師様は師匠の話を聞こえぬ振りをして、こう仰ったそうに御座います。