一縷の望(秦氏遣唐使物語)
ところで玄宗皇帝お気に入りの父弁正が死に、皇帝に一層気に入られる様になった真備様は何かと言えば宮中に呼び出され、それを利用して大秦寺を褒め讃え、その庇護を薦められたので御座います。もちろん、朝衡様が口を合わせたのは言うまでもありません。陛下もまた今回のことが余程堪(こた)えたのか、流行病(はやりやまい)について真剣に考え始めので御座いました。
ある日真備様が、朝衡様と共に陛下の囲碁のお相手にいらっしゃった時のことです。皇帝が長考に入られたので、改めて部屋の中を見渡すと、部屋の目立つ所に何やら髭だらけの恐ろしき男の絵が、額に入れて飾ってあるのに気が付かれたのでした。かの方は、いかつい男の絵が飾ってあるのを不審に思い、恐れ多くも皇帝にお聞き申し上げたのです。
「陛下、あそこにある髭だらけの男の肖像画は、一体どなた様なので御座いましょう。」
しかし、皇帝は真備様の話を考えているので聞いていないらしく、何も答えが返ってきません。そこで例によって皇帝の後ろに控えていた高力士様が、たまりかねて代わりにこう答えなさったのです。
「あれは鍾馗(しょうき)様と言ってな。先日陛下が熱に浮かれていた時夢に出てきた霊で、夢の中で宮中を荒らしまわっていた悪霊を捕まえて、食べてしまったんだそうだ。夢から覚めた陛下は熱もすっかり下がっていたので、これは鍾馗様の力に違いないと思い、絵師の呉道玄に命じて夢に出てきた鍾馗様の姿を書かせ、近頃流行っている病を払わそうとなされたのだ。」
すると、いつの間にか皇帝が囲碁のことを考えるのを止めて、高力士様にその話に耳を傾けられていたのでした。高力士様はそれに気付き、恐縮してこう言ったのです。
「陛下、余計なことをして申し訳御座いません。」
皇帝は怒っている風でも無く、真面目な顔をしてこう言ったのです。
「いや、それは構わぬのだが、朕も病で臥せっていて、弁正の弔いに参加出来なくて遺憾だったのを思い出してな。旧友の弁正が流行病で身罷って、こんな絵を流行らしても病は一向に治まらぬと思っておったのだ。この病にはほとほと困り果てた。お主(ぬし)と囲碁を打っていると、弁正の無念の声が聞こえてくる様だ。そこでだ。お主が日頃から薦める大秦寺の僧侶とやらに命じ、長安の瘴気(病原体)を一掃してみよ。もしそれを成し遂げたる暁には、望みの通りの朕の厚い庇護を約束しよう。」
と図らずも密命を受けたのでした。朝衡様はすぐにこの事を大秦寺の羅含(アブラハム)法師様にお伝え申し上げたので御座います。羅含法師様は、
「宜しい。この命に代えてもお引受け致しましょう。皆の者、早速儀式の準備に取り掛かるのじゃ。」
と即座に引き受けられ、僧侶達に命じたのでした。それを聞いた大徳(ガブリエル)法師様を始めとするお弟子達は、
「羅含様、いけません。その年齢(とし)でこの祈祷は余りにもお身体に障ります。命まで縮めましょうぞ。」
とお止めしたのですが、
「今ここで教えの為に殉教するはむしろ本望とする所。そうせねば、わしが長い間生きて来たことが無駄になろう。我らがこの地で迎えられる為には、これを何としても成功させねばならぬのだ。」
と云う羅含法師様の己の命を賭した決意に負け、儀式の準備を始めたそうで御座います。
憑坐(よりまし)には、例によって阿史徳様がなることとなり、まずは身を清められ、次に清潔な衣服に着替えられてから床に手足を縛りつけられたのでした。儀式はすぐに始められ、羅含法師様を中心とする十二人のお弟子が、阿史徳様の前に燃え盛る炎に向かって祈り続けるものでした。三日三晩火を絶やさずに祈祷を続け、羅含法師様はついに奇声を挙げられたので御座います。すると手足を拘束された阿史徳様に何者かが取り付き、獣の様な声を挙げて、戒めから逃れようと暴れ始めたのでした。大徳法師様達がそれぞれの手に持った聖水を阿史徳様に降りかけながら、
「主の御名において命ずる。悪霊よ、退散せよ。」
こう叫びながら阿史徳様に水を掛けられると、肌は蚯蚓腫れの様な傷となって、かの女は苦しんだのでした。聖水を巫女達と共に補給しながら、見聞役の朝衡様と阿史徳様を密かに愛する真備様は、どうなることかと案じつつこれを見ていました。しかし、ついに断末魔の様に声を挙げたかと思うと、阿史徳様はがっくり首を項垂(うなだ)れ、それきり大人しくなってしまったのでした。それを見届けると、羅含法師様はその場にばったり倒れられたのです。真備様が阿史徳様の所に、朝衡様が羅含法師様の所に駆け寄って抱き起こすと、かの法師様が息も絶え絶えに仰ることには、
「流行病は払われました。後は弟子達で既に病に罹っている者達の家を回り、この寺にそれらを隔離して祈祷を挙げ、最期まで他の者にうつらぬ様にすれば、長安は救われましょう。だが、病気はしつこいもの故、ゆめゆめ油断なく病が無くなっても監視を怠らない様にお願いします。わしが死んだら、大秦(ローマ)より弟子達に高僧を呼ばせ、今後に備える様に申しつけて下され。」
と言って息絶えたそうに御座います。一方気を失われた阿史徳様を真備様が抱き起こすと、付いていた火傷の痕が見る見る内に消えてしまい、こちらは命に別条はありませんでした。
阿史徳様は火傷の痕が全て消えると、うっすらと眼を開けて真備様の姿を認めたのです。そして涙をはらはらと流されると、こう言ったのでした。
「あぁ、真備様、愛しています。貴方に生きてもう一度お会い出来て良かった。」
儒教では「愛」は不道徳なものなのかもしれませんが、この時の真備様は官人としてのその様な心得を全て忘れ、こう答えられたのです。
「阿史徳、私もだ。」
その様子を、羅含法師様のご遺体をお弟子達に任せた朝衡様が、何やら複雑な顔をしてご覧になっておられたのでした。
ところでこの話は、当然見聞役の朝衡様からすぐに玄宗皇帝の耳に入ることとなります。皇帝はいたく感激し、まず寧王以下五王を大秦寺に派遣させ、荒廃した祭壇を築き直し、景教を厚く庇護することを約されたのでした。唐における一族の悲願は、ここに達成されたと言えましょう。
作品名:一縷の望(秦氏遣唐使物語) 作家名:斎藤豊