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一縷の望(秦氏遣唐使物語)

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 それを聞いた朝衡様の顔は、恐怖に歪んだ様な顔をなされてこう言ったのでした。
「私もつい先日あの者に見つめられる気配を感じて、ようやくあの女官をつかまえたのですが、藻と云う名前しか問い質せずに逃げられてしまったのです。後でいくら調べてみても、藻と云う名の女官などいないというのですよ。」
「すると私の見た藻はまだ十代の様であったが、もし同じ者だったとしたら、あれから十年以上の時が経つわけだ。お主の見た娘の様子はどうだった。」
「いや私の見た娘もどう見ても二十歳にはなっていない様でしたが、まさか…。」
「まさか女は化け物とか申すそうじゃし、は、は、は。」
と真備様はお笑いになりましたが、
「ではあの者は一体何者だったのでしょう?」
と朝衡様が相手の眼を見ながらお答えになると、その眼は笑っていないことに気付くのです。朝衡様は愛想笑いも出来ず、いた筈の少女の気配がかすかに残る道の先を、背中に得体の知れぬ何か寒いものを感じながら、二人でいつまでもじっと見つめるばかりでした。
 父弁正が生前に話を付けておいたのですが、真備様はその後大秦寺の宿坊に移ったのでした。また父弁正の死により、ここからのお話は真備様より聞いたお話となるので御座います。ところで私の実家が無くなったことにより、真備様は囲碁の修業が具体的な被害として無くなってしまいましたので、その代わりとして前々から予定していた兵法を学ぼうと決意されたのでした。既に、『六韜三略(りくとうさんりゃく)(中国の太公望と張良の兵法書)』や『孫子』等は収集してありましたので、これを実際読み習うこととしたのです。しかし実際習い始めてみると、現実の戦と書物における理論との乖離が気になって仕方が無くなってしまいました。特に気になったのが、真備様が個人的に好きな古の蜀の承相(じょうしょう)諸葛亮孔明もまた、同じことを言っていたことです。大秦寺で食事を頂いていた時、食卓を共にしていた羅含法師様にこの事をふと漏らすと、法師様はひどくそれを気になさった御様子で、こう仰ったのでした。
「その様なことにお悩みなら、力をお貸し致しましょうか?」
「それはどの様に?」
「その諸葛亮孔明とか云う者に直接兵法をお習いになれれば、問題は解決するのでしょう?」
「はあ、それはもうそうですが、孔明様はもう随分前にお亡くなりになった方ですから、それは不可能に御座います。」
「分っております。いささか邪法ではありますが、その方の霊を降ろしてさしあげましょう。しかしそれには力のある巫女の存在が不可欠なのですが、ちょうど今私共の所にそれに該当するであろう巫女が一人おります。阿史徳と申す者で御座います。この者は同名の母も優秀な巫女だったのですが、以前連れ合いを亡くし、娘をここに預けて息子(軋犖山(あつらくざん))だけを連れて田舎に再婚して巫女は辞めてしまったのです。時々は娘の顔を見に親子でこの寺にも会いに参りますが、そうそう先日も来ていたのですよ。今すぐこの者を呼んできて、降霊術を施して差し上げましょう。」
 羅含法師様は奥に下がり、まだ若い巫女の阿史徳様を連れて戻って参りました。娘は真備様の顔を見るなり、
「貴方様が下道真備様ですが? 初めまして、私が巫女の阿史徳に御座います。先日兄が、真備様と知り合いの弁正様とお話ししたそうに御座います。それで真備様とは初対面な気がしなくて。とにかく宜しくお願いします。」
 巫女らしからぬ阿史徳様のきびきびした話し方に圧倒されながら、いかにも胡人(ソグト人)らしい背が高く毛深くて彫が深い容姿と、隙の無い様子に魅了されていたのでした。ここで云うのもなんですが、真備様は気の強い女性がお好みなのです。こうして降霊術が執り行われることとなったのでした。儀式の用意はすぐに整い、真備様は半信半疑のまま紙と筆を用意されたのです。驚いたことに羅含法師様が読経を唱えられると、阿史徳様がゆらゆら揺れ始め、やがて彼女とは全く違う男の声でこう言ったのでした。
「我を呼び出すのは誰だ。」
 かの方は大変驚かされましたが、すかさずこう尋ねたのです。
「蜀の承相の諸葛亮孔明様でいらっしゃいますか。」
「そうだが、何用だ。」
「孔明様、孔明様は著作を生前何も残されておりません。孔明様の兵法は、我が陰陽道と
似ているものがあるかと思いますのに、大変残念なことに御座います。出来ますれば、孔明様の兵法の極意を今口頭で仰って頂きたいと思うのですが。」
 阿史徳様は、同じ男の声でさらに続けました。
「良かろう。どうして今まで誰もそのことに気が付かなんだが、今まで不思議であった。
お主はこのことに最初に気付いた褒美に、私の兵法を漏れなく伝授して差し上げよう。」
「あ、有難き幸せ。」
 こうして真備様は、阿史徳様と云う憑坐(よりまし)を通じて直接?諸葛亮孔明様に兵法の講義をして頂いたのでした。それは数十年も続き、その間に真備と阿史徳様は、いつしか情を通じ合う仲となってしまったのでした。それはいつもの様に学問が一刻程で終わった後、憑坐である阿史徳様が倒れられてしまったのを、真備様が介抱されたことが切っ掛けでした。臥所に阿史徳様を真備様が担ぎ上げて運び、濡れた温かい布で阿史徳様の冷や汗を拭いたのでした。
「真備様、私の様な下賤な者の為に申し訳御座いません。」
と阿史徳様が横になられたまま言うと、真備様は本気で怒りながらこう言ったのです。
「何を言う。何時も元気なお前らしく無いことを言うではないか。お前は私の為に疲れて倒れたのだ。それに、人は皆同じなのは我ら秦氏の教えだ。私とお前に何の差があろう。それどころか私は、お前の能力に感服さえしておるのだ。」
 それを聞いた阿史徳様は、涙ながらにこう答えたのでした。
「ありがとう御座います。母にさえ捨てられた私をそんな風に仰ってくれたのは、貴方様が初めてに御座います。貴方様には御国に良い方がいらっしゃることは存じ上げております。しかしまだ若いのにその方とこうして別れて暮らすのは御無理がありましょう。我ら巫女にはそうした男の方を御慰みして、布施を頂いております。どうかお願いで御座います。私に、真備様がこの国にいる間の身の回りの世話をさせて下さい。それとも私など御迷惑でしょうか?」
 真備様はそう言われて、慌てて手を横に振りながらこう返事をなさりました。
「とんでもない。阿史徳様にその様なことを言われ、天にも昇る気持ちで御座います。」
 こうして二人は結ばれ、長い唐での生活の間に与智麻呂様、書足様、稲万呂様、真勝様の四人の息子まで二人は羽栗吉麻呂以上に儲けることとなるのでした。勿論、阿史徳様の同名の母上や兄上とも顔見知りになるのです。阿史徳様の母上は、娘が真備様が唐にいる時だけの妻であることを知りながら、これが巫女の定めと二人の仲を祝福されたのでした。