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一縷の望(秦氏遣唐使物語)

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 その一ヶ月後、最澄様に代わって密教を広めるべく帰って来た空海様も間に合わず、陛下は泰信大僧都様と薬子様の呪いが効いたのか、安殿親王の廃太子もせずに早くも崩御されてしまったのでした。秦氏があれ程願って止まなかった転輪聖王の片輪と見做されていた桓武天皇陛下は、種継様と云うもう一つの片輪を失ってその力を十分発揮出来ぬまま、しかも空海様と云う仏陀にも会えぬ内にこの世を去られてしまったのです。こうして百済・新羅・高句麗の三つの渡来民が統一する象徴であった陛下は亡くなられましたが、その後渡来民の三者は、いずれも半島の渡来民として協力し合っていくのでした。
 さて、陛下の崩御の後は当然安殿親王様が即位されて陛下(平城天皇)となり、年号も延暦から大同に改められ、宮中から追放されていた薬子様も呼び戻されたのでした。そして薬子様の夫である東宮大夫の藤原縄主様は太宰府の師(そち)(長官)に任命され、都から遠い筑紫へと追いやられてしまったのです。またもちろん東宮大夫の地位は剥奪され、帰国したばかりの父(葛野麻呂)に従三位の位階と共にその地位が与えられ、続いて権参議、参議と昇任し、式部卿を兼任、後に参議の地位が廃止されると、東海道観察使となり、翌年中納言となって位階も正三位になられたのでした。またこの時新たな東宮となったのは実弟神野(かみの)親王様(後の嵯峨天皇)で、その乳母である太秦浜刀自女様の薦めも有り、東宮亮(すけ)(次官)に北家藤原冬嗣様が新たに父の替わりに就任したのでした。この神野親王様、冬嗣様の君臣の組み合わせは、今後長く歴史に名を残すこととなるのです。浜刀自女様は神野親王様を、こう言って叱咤激励されたのです。
「ぼん、いよいよ時が来たのどす。ここからが正念場でおます。陛下は何やら危うげなお方や。冬嗣さんの献言を良く取り入れて、この機に乗じて一気に天下を手中にするのどす。」
 そうこうしている内に同じ年の八月、空海様が帰国されたのでした。帰りの航海も、往路同様大変だったのです。最初は恵果和尚から貰った霊木で、不動明王を彫りあげる程の凪だったのですが、あと少しと云う所でひどい嵐となり、遣唐使船は木っ端の様に翻弄されて、今にも沈むかに思える程になってしまったのでした。そこで空海様は、たった今掘り上げたばかりの不動明王の木像に、一心不乱にこう祈祷を捧げたのです。
「仏法を守る神々よ。もし無事に帰国できましたなら、神々の威光を輝かせ、国家を守り、
全ての人を救う為に、一つの禅院を建て、仏法に基づいた修業を致しましよう。何卒お守り下さって、拙僧を日本の岸に辿り着かせ給え。」 
 すると舳先に不動明王(その正体は秦河勝)が顕現され、右手に持った三鈷剣で襲い来る荒波を両断して、日本へ導いてくれたのでした。後に空海様が自ら掘ったこの不動明王像は、この為「波切不動明王像」と呼ばれることとなるのです。
 こうして無事に肥前国松浦郡血鹿島(ちかしま)(五島列島福江島玉之浦の大宝港)に辿り着いたのですが、帰国の際、普通二十年掛かる密教の修業を一年で終わらせました、と云う理屈で
日本に帰って来たものの、これは明らかに違反行為でありました。それでこのまま入京するのはさすがにばつが悪く、第三船の責任者である遣唐判官の高階遠成(たかしなのとおなり)様に託して、唐
より持ち込んだ、仏舎利八十粒(故恵果和尚より譲られた法力の源)新訳の経論、大曼荼羅、法具、阿闍梨の付属物、以上を目録に記して上表文と共に朝廷に献上して頂き、自らの留学の報告とされたのでした。そして、薬子様の夫である藤原縄(ただ)主(ぬし)様が帥(そち)を務める大宰府のある筑紫に留まったのです。二十年間以上勉学に励む約束の留学僧が、理由はあるにせよ、わずか二年で帰国してしまったのは言い訳のし様が無いことでした。また、陛下(平城天皇)と敵対した伊予親王様の侍講(家庭教師)であった阿刀大足様にやはり教えを受けていたことが、反陛下側と見做されたのかもしれません。結局空海様は、玄ぼう法師様の因縁のある筑紫の観世音寺にしばらくお住まいになることとなったのでした。
 そして大同二(八〇七)年十月、北家の藤原宗成様がかつての打ち合わせ通り伊予親王様に、母親の一族でごく親しい大納言南家藤原緒(お)友(とも)様がいらっしゃっている時を狙って、かの人が隠れて聞いていることを承知で、次の様に話したのでありました。
「それにしても、安殿親王(あてのみこ)様が陛下におなりとは、意外でしたな。」
 突然の話に、伊予親王様は驚いてこうお答えになりました。
「何を言う。陛下は少しお身体が弱いだけで、天皇(すめらみこと)として存分に働いておる。何を以ってその様な言い方をするのじゃ。」
「お隠しになさいますな。私は生前の父上のご様子からして、安殿親王様を廃して伊予親王様を皇太子に立てるのは時間の問題と思われましたのに、亡くなった陛下のご寿命があと少しあれば…。」
「もう言うな。」
「いいえ、黙りません。今からでも遅くありません。親王様が一言兵を起こすと仰ってさえくれれば、我らは皆協力するでありましょう。」
「その言葉に偽りは無いか。」
「お疑いとは悲しゅう御座います。もし仮に私に事を起こせとご命じになられれば、普段のつきあいを利用して陛下を後ろから刺しましょう。」
「ほう、それは心強いな。まあこの件は保留にして、少し考えさせてくれ。今日はもう下がれ。」
と親王様が仰いましたので、宗成様は一礼をしてその場を下がったのです。宗成様がいなくなると、物影に隠れていた藤原緒友様が出て参りました。
「ただ今の発言、聞き捨てなりませぬな。」
と緒友様が仰いましたが、親王様はこう答えられたのです。
「捨て置け、捨て置け。私は陛下にどうこうする気は毛頭ない。陛下とは今も友好的に過ごしているのだ。」
「ですが親王様。」
「良いのだ。私さえ動かねば、何も起こるはずもない。」
と親王様は仰いましたが、緒友様はこれをご自分の胸にしまっておくことが出来ず、右大臣の北家藤原内麻呂様に洗いざらい打ち明け、同じ北家の者がどう思うか尋ねたのでした。右大臣様はこの事を陛下(平城天皇)に申し上げてしまい、陛下はこう答えたのであります。
「この事は既に宗成から報告を受けておる。何でも伊予親王に謀反の誘いを受けて困っているとか。」
「その話は私の伺ったものと違いますな。宗成様を正式に尋問しても宜しいでしょうか?」
「うむ。事が事だけにそれも止むを得まい。」
 右大臣様は陛下からのお許しが出て、衛士府の兵と共に宗成様を捕え、右大臣様直々に尋問されたのでした。宗成様は素直に連行され、尋問にもこう即答致しました。
「はい、陛下の仰る通り、伊予親王様から謀反のお誘いがあり、困っておった所で御座います。早く手を打っておかないと、伊予親王様は何をするか分りませぬぞ。」
「では藤原緒友との証言が食い違っているのは何とする。」
「はい、緒友様は親王様の謀反の計画を利用して、我ら北家を貶める積りに御座いましょう。」
 この時「我ら」と云う言葉を使ったことが右大臣様の心を動かし、かの方は宗成様の仰ったことをそのまま陛下に伝え、次の指示を待ったので御座います。