クロス 完全版
いつものやり取りで目を覚ましたアレックスは、着替えてリビングに行く。テーブルには朝食が並んでいた。トーストにハムエッグ、野菜ジュースにミルクの朝食だ。
「新聞取って」
「はい。散らかさないように食べて下さいよ」
「あい」
新聞を広げながらトーストにかじりつき、ニュースを読む。いつもの日課だ。
「テレビ点けて」
ビリーは立ち上がり、テレビのスイッチを押してダイヤルをいつもの国営放送に合わせた。席に戻ると自分も朝食を摂り始めた。バイオロイドなので食べなくても暮らしていけるが、人間らしくありたいと常に思っているので摂るコトにしている。
テレビは朝のニュースを流していた。
「特に今日も変わったコトないなぁ」
「いいじゃないですか。平和だってコトです」
「そうなると仕事が来なくなる。そうだ、下の階のロンをつついてみよう」
「三〇五号室のロン・カーターですか。また迷惑そうな顔しますよ」
「いいじゃないのさ。あの能面サイボーグ野郎」
「なんて言い種ですか。確かに無表情で、右腕がサイボーグですけど」
「決めた。あいつ、決まって昼頃には戻ってくるから、つついてやろうっと」
「やれやれ。とんだとばっちりですね、ロンも」
ビリーは首を振りながらため息をついた。アレックスが言い出したらテコでも動かないコトを重々承知していたからだ。
朝食を摂り終え、ビリーが後片付けに入るとアレックスは筋トレを始める。その後もビリーが花の水替えや部屋の掃除などあれやこれやしている間、ただひたすら筋トレに励んだ。
昼になり、ビリーが昼食の準備を始めると、アレックスはロンの部屋へと向かった。蛇腹格子のエレベーターに乗って三階で降りる。右の突き当たりが三〇五号室だ。呼び鈴を押す。
「はい」
「アレックスだ。ちょっといいか」
少し間があってドアが開く。少々不機嫌そうにロンは出てきた。
「なんの用だ」
「なんかいいニュースないかなぁと思ってさ」
「なんもねぇよ」
「なんかあるだろ」
「なんにもねぇよ、マジで。なんかあったら、とっくに耳に入れてやってるよ」
「そうか」
「そうだよ」
「なんだ、つまらないな。平和って嫌だな」
「これだから軍人上がりは困るんだ。嵐が起きればいいと思っていやがる」
「なんだよ。いいじゃないか、仕事が増えて」
「オレは刑事なの。事件なんてまっぴら御免だね」
「ふ~ん。税金泥棒って言われるぞ」
「言われ慣れてるよ。とにかく、なんかあったら一番に耳に入れてやっから」
「分かったよ」
「じゃあな」
ドアは閉まり、アレックスはポツンと取り残された気分になった。そうだ、昼を食べよう。エレベーターに乗って部屋に戻ると、昼食のいい匂いが漂ってきた。
「どうでした、ロンは」
「なんにもなし」
「そうですか。残念でしたね」
ビリーはオムライスを作りながら答えた。
「昼はちょっと出かけてきますので、留守番よろしくお願いします」
「あいよ」
TRY ( JUST A LITTLE BIT HARDER )
昼食後、ビリーはマルティーノ通りの中央広場にいた。靴磨きをしてもらうため、マラキーを探していた。実を言うとマラキーは情報屋だった。広場の角が彼の指定席だった。まだ来ていないようなので、広場の大噴水に腰を掛けて待つコトにする。夏場ならば子供達で溢れかえる大噴水も、冬場なのでさっぱりだった。
平和なのは良いコトだ。アレックスは仕事が来ないので嫌がるが、ビリーはのんびりと過ごしていたい。朝昼晩の食事を作って、掃除をして、洗濯をして、花の世話をしてのんびりとしていたい。仕事なら簡単なものでいい。なんでも屋なので平凡な仕事もやって来る。どこそこで買い物を手伝ってほしいとか、電球が切れたから換えてほしいとか、そういった類のものもある。そういうのでいい。誰かの役に立つ仕事がいい。大きなヤマはいらない。誰かはぶうぶう不平を言うが、ビリーは誰かの役に立ちたいのだ。自分がバイオロイドという中途半端な生き物であるが故の悩みだった。自分の存在意義が欲しいと思うのは罪だろうか。
ぼんやりとそんなコトを考えているとマラキーが現れた。早速靴磨きをしてもらいに行く。
「こんにちは」
「おや、ビリー。久し振り。念入りに磨いておくかね」
「お願いします」
マラキーは靴墨とブラシにストッキングを取り出し、泥を落としてから磨き始めた。
「今日も綺麗に晴れましたねぇ」
「おかげで冷えて堪らんよ」
「私には外気温を感じるコトができないので残念です」
「そういやあんた、難儀な体しとるもんなぁ」
ビリーは苦笑した。マラキーは自分がバイオロイドだというコトを知っている。情報屋と信頼関係を築くにあたり、隠し事はよくないと思って告白した。最初は面食らっていたが、普通に接してくれている。ありがたいコトだ。
「最近何かニュースありましたか」
「やっぱりそう来たかい」
「すみません。親分がデカいヤマやりたがっていて」
「なんだかよく分からんが、警察の連中、ピリピリしとるわい」
「ピリピリ?」
「なんぞ厄介な事件でも起きたんじゃろ。そこら中でデカを見るわい。ワシんとこにも聞き込みに来おった」
「なんて」
「最近怪しいガンマンを見なかったか、とな」
「ガンマン……。なんでしょうね。親分が喜びそうなヤマな気がしてなりません」
「そうだな。ほい、もう片足」
言われた通りに足を代える。怪しいガンマンってなんだろう。銃撃事件でも起きたのだろうか。ニュースを振り返ってみる。
「ニュースでは何も言ってませんでしたよ」
「箝口令でも敷かれとるんじゃないかね」
「それはビッグニュースだ。ロンは何もないと言ってました」
「ロン・カーターかね。ワシんとこに来たのは奴じゃよ。まぁ、普通のデカは来ないわなぁ」
「他に何か言っていましたか」
「銃を持って暗い夜道を一人で歩くな、と言っておったの。残念ながら、そんな物騒なもん持っとりゃせん」
「そうですか。通り魔でもあったんでしょうかねぇ」
「物騒な話じゃわい。ほい、完了。ピカピカじゃ」
「ありがとうございます。じゃあ、これ」
マラキーは出された紙幣を見て驚いた。千バックス紙幣が三枚もあったからだ。靴磨きの相場の十倍である。
「いいのかね」
「いいですよ。情報料ってコトで割り切りましょう」
「そういうコトなら」
ビリーは礼を言って立ち上がった。次は中央広場の西にある歓楽街クラウディア通り、通称レインボー・ストリートに向かう。名の由来はこの通りの煌びやかなネオンの洪水である。
レインボー・ストリートはどこも閉まっていた。夜の街だからしようがない。ストリートの中ほどにあるクラブ・ダンテも閉まっていた。扉を叩くと中から眠たそうな顔の冴えない男が出てきた。ここのサンドイッチマンだ。
「ヨハンはいますか」
「あぁ? ヨハン?」
「えぇ、そうです」
扉が閉まった。しばらく待つコトにする。こういうコトはこの時間帯、この辺りではしょっちゅうだ。
「誰」
裏口の方から声がしたので名を告げる。
「ビリー! 元気だった?」
ヨハンはここの客引きだ。夜ごと女を店に誘(いざな)い、至福の時を与えるのが彼の使命だ。