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なつきすい
なつきすい
novelistID. 23066
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この心が声になるなら

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 茫然と、自分の手のひらを、男は見つめた。その言葉と表情を、夏芽はただただ観察する。その声に、表情に、嘘はないように思えた。これが芝居だとするなら、今すぐ事務所に連れて行って契約書に判を押させたいぐらいの逸材だ。ただ、その姿が、口にしている内容が、そしてここにいること自体が、まともとは思えない。
 話してみても、状況はなにひとつ変わらない。もし頭がおかしいのでもふざけているのでもないとすれば。でも、そんなことはありえない。
 物語の中のキャラクターが、現実に現れるなんて、ありえない。
 だけどその話しぶりも、内容も、外見も、ナナイそのものだ。でもそんなこと、ありえるはずがない。ナナイを好き過ぎるあまりに自分をナナイだと思い込んだ変質者か、いやでもそれにしてもどうやってここに、などと考えていると、不意に、支倉が口を開いた。
「声、が」
「「え?」」
 男と、夏芽の声が綺麗にユニゾンする。それを聞いて、支倉は深く頷いた。
「やっぱりそうだ。声が……おんなじだ」
 夏芽はぱっと目を支倉から男の喉元へ向けた。男は状況が飲み込めていないのか、未だにその綺麗過ぎる顔を、ぽかんとした表情のまま支倉に向けている。
「降森さんの、ナナイの声だ……」
 なぜ気付かなかったのだろう。自分以外にこの声で話せる人間なんか、いないはずなのに。
 この声は、降森ナツメが演じた、ナナイ以外の何者でもなかったことに。
 そんなわけ、あるはずがない。それでも、自分自身が演じた声を聞き間違うとは思えないし、音に関して並外れて優れた感覚を持つという支倉の耳を騙すことなどできるはずがない。誰がどんな声色を使おうと、ヘリウムガスを吸っているときでさえ、支倉はそれが誰の声なのかを正しく聞き分けることができる。
「きみがナナイなら、答えられるはずだ。僕の実家の住所と、昔飼ってた動物の種類と名前は?」
「ホッカイドウ、イワミザワシ――」
 自分の声で、自分にとっては生まれてから上京するまでの時間の多くを過ごした住所を、耳慣れない言語を紡ぐように、それでも番地名まで正しく答えてみせ、最後に「犬で、名前はポチ」と締めた。どれも公開していない情報だ。夏芽はブログもツイッターも何もやっておらず、プライベートがばれるとしたら同業者やトウヤのそれだが、実家の住所まで教えたことはない。支倉が夏芽をじっと見ている。全部正解だよ、と言うと、彼の顔が驚愕に染まる。
「じゃあ、俺の母方のいとこの名前は?」
 支倉も問いかけると、青年は質問を復唱し、数秒の間を開けて夏芽の知らない名前を答え、支倉は目をまん丸に見開いた。そしてちらりと夏芽を見て、「腹話術でも、ないですよね」と呟く。頷いた。支倉のいとこの名前など、夏芽は知らない。
 それを、確かに自分の演じたナナイの声で答えられて、夏芽は認めるしかなかった。
「きみは確かに、ナナイなんだね」
「だから、さっきからそうだって言ってるだろう。で、同じ声って、どういうことなんだ。どうしてボクとお前の声が、こんなに似ているんだ。……お前が、ボク役の役者? こんな、地味な中肉中背の冴えない奴が? えー、納得いかないんだけど。ていうかボクが物語の登場人物っていうのがもう納得いかないんだけどさぁ」
 ナナイが存分に失礼な性格なのは知っている。その失礼な台詞を言い倒したのは自分のこの喉だ。判っていて、そして自分が言われるまでもなく地味な中肉中背の冴えない奴だという自覚はあっても、多少は面白くない。
「……自分の声がこんな、地味な中肉中背の冴えない奴の声だって、知った気分はどうだい? ……そう、嬉しくはないんだね。わからないでもないよ」
 だからこそ、「その声」で言い返してやれば、ナナイの表情が凍りついた。
 唇から放たれる言葉は、夏芽の言葉のようで、しかしその表情も仕草も、未だに夏芽を抱きかかえたままの支倉が目を見張るほど、ナナイそのものだった。ふっと笑い、一息置いた後に右耳のあたりの髪の毛を触る癖も、そのままだ。切れ長の紫水晶の目が驚きに見張る。やや丸い黒い瞳が、サディスティックとさえ言えるほどの笑みを湛える。普段の穏やかで、少し困ったような表情は、気配は、どこにもない。顔立ちも、髪型も、見た目に何一つ似通ったところはないのに、誰の目にも彼は間違いなくナナイに見えているはずだ。その場に本人がいるのに、まるで乗り移ったかのような。
 ナナイは驚きのあまりか、言葉を失ったように茫然と夏芽を見つめた。
「納得はしただろう?」
 顎に左手をやり、僅かに唇の端を歪めて笑えば、ナナイはぽつりと、同じ声で呟いた。
「物凄い悪意で以って作られた精巧な鏡を見てるみたいだね」

 朝ご飯の用意をしてくるから、話でもしていて、と言い残し、夏芽は台所へと向かった。支倉は手伝うと申し出たけれど、やんわりと断る。夏芽にとって料理がリフレッシュの手段のひとつであることを知っている支倉は、それ以上は言って来なかった。眼鏡を壊してしまったので自宅で使うことはほとんどないコンタクトを入れると、家の中が見え過ぎてくらりとした。
 本当は昨日の芋の残りを潰してポタージュでも作ろうかと思っていたのだが、ひとり増えてしまったので汁の実にジャガイモを使った味噌汁に変更した。それに軽く解した鯖缶を加えながら、ふと、ナナイは普通に人間の食べ物を食べるのだろうかと考えた。作中では勿論普通に食べていたけれど、彼は今どういう状態にあるのだろうか。この世界にいる普通の人間と同じと考えて良いのだろうか。
(食べないって言われたら、支倉君におかわりしてもらおう)
 夏芽も食が細くはないが、やはり大柄な分支倉はとてもよく食べる。コメ農家の子だからなのかどうかは知らないが、食べ方も綺麗で米粒ひとつさえ決して残さない。食事を作ってあげると本当に嬉しそうに食べてくれる様子は、彼にどうしようもなく惹かれてしまうよりも前、ただのそこそこ仲の良い後輩の一人だった頃からも好ましいものだった。そんな子が「ちゃんとした店で食べる飯より、降森さんのご飯のほうがずっと美味しいです」なんて言うものだから嬉しくなって、気づけば彼と外に飲みに行くことはほとんどなくなっていた。仕事をセーブする前の、本当に倒れたほど多忙だった時期でさえ、支倉は頻繁に夏芽の家に食事に来ていた。