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なつきすい
なつきすい
novelistID. 23066
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この心が声になるなら

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 夕食を食べ終わり、夏芽が片付けをするために立つと同時に、支倉は大急ぎで洗い場に駆け込み、歯を磨き始めた。それが終わると急いでベッドの上を片付け始めるが、箪笥に仕舞うのが面倒だったのだろうか、山積みになった衣類に四苦八苦した挙句、まとめてベッドから降ろして山のまま隣に置いた。狭いワンルームでは台所で作業しながらもその様子がすべて見える。その瞬間目が合ってしまい、支倉はバツの悪そうな顔をして、少し俯いてしまった。
 焦らなくても逃げたりしないのに。それどころか、支倉が逃げ出してしまわないかのほうが、夏芽は怖かった。支倉は恐らく同性とそういうことになるのは初めてだろうし――少なくとも五年前に別れた恋人が女性であることは、その直後に思い出の写真などを処分するのに付き合ったので確実だ――、夏芽のことを好きだと言ってくれて、抱き締めて額にキスもしてくれたけれど、実際にこのなんの凹凸もない、どこからどう見ても男以外の何者でもない身体を見たときに彼がどういう反応をするかはわからない。以前付き合った同性の先輩は完全な同性愛者であることを付き合う前から知っていたので、男同士では何をどうすればいいのかだとか自分は果たして抱く側なのか抱かれる側なのかなどについてはあまりにもわからないことが多過ぎて怖かったものの、同性であることが別れの理由になるとは思っていなかった。
 触りたい、できれば抱きたいと言ってくれた。できれば、の理由は恐らくいつかの自分と同じように、ふたりの関係においてどちらがどの立場になるかという点であろう。その体に触れたい、セックスしたいという意図には間違いないはずだ。以前の経験から自分は男相手では抱かれるほうなのだろうとなんとなく思っていたし、支倉のほうが体格も圧倒的に良いし、支倉の望むようにすることに異存はまったくない。それでも、この身体を晒すことには、恐怖と抵抗があった。ネガティブにも程がある、とは思う。気分の乱高下具合にも自覚がある。それでも、ほんの些細なことで相手の感情を揺らし、拒絶されることに対する不安と恐怖は根強い。そのせいで、この身体は声を発することをやめてしまっていたほどに。もしその声を取り戻したいと心から願ったほど好きな人に拒絶されたら、きっともう、二度と立てない。
「……夏芽さん?」
 そんなことを考えて思考が沈み込みそうになると、なんとかベッドの上に枕と布団以外何もない状態を作り上げた支倉が、ふとこちらを見て、表情を変えた。
「ごめんなさい、怖かった、ですか?」
「え?」
「なんかすごいおびえた顔してるし、手が止まっちゃってる。怖がらせちゃってたらごめんなさい。なんか俺、舞い上がっちゃって……あなたが嫌なら、しないです。夏芽さんが嫌なら、俺だって嫌ですから」
 そう言って、困ったように笑う表情は、先刻までの切羽詰ったそれとは違っていて、だけど、自分に対する愛情と優しさは変わらずそこにあった。
「違うよ。そうじゃない。僕が、怖いのは」
 止め忘れたままの水がシンクに置いた食器を叩く音がした。気がついて止めようとした拍子に積み上げた洗い終わっていない食器の山を崩してがしゃんと尖った音がした。
「大丈夫ですか?」
 慌てて早足で寄ってきた支倉が、まず夏芽の手をとり、よかった、怪我はないですねと呟いた。それから台所を覗き込み、食器が壊れていないことも確かめて水を止めた。そして、まだ夏芽の手首を掴んだままだったことに気付いて、はっと手を離そうとする。
「待って」
 思わずそう言うと、支倉はその体勢のままで動きを止めた。
「ねえ、きみは、僕でいいの?」
 その問いに、え? と支倉は気の抜けた声を出した。
「いやだって、僕は男だし、その……身体触ったり見たりしたら、やっぱりなんか違うとか思っちゃうんじゃないかって」
 ましてやセックスなんて、と続けようとした時、すっと空いていた左手が、夏芽のパーカーの裾に添えられた。
「ね、夏芽さん、……身体、触っても、いいですか」
 嫌だったら、止めてください。そう言ってするりと大きな手のひらが服の内側に入り込んできた。思わず息を呑む。指先が夏芽の緊張で強張った薄い腹に触れた。
「…………っ」
 漏れそうになる声を、押さえ込んだ。ごついのに滑らかな手触りの指がすっと腹筋をなぞり、臍に触れた瞬間、くすぐったいようなぞくぞくするような感覚が背筋を駆け抜けた。
「んぁっ……」
 漏れた声に思わず空いていた右手で唇を押さえると、左手首を握っていたはずの支倉の手がすっと伸び引き剥がされた。
「声、聞かせてください」
「えっ、あ、…………ふ……っ」
 臍の周りを彷徨った後、指がするすると上へと上がっていく。肋骨のかたちを確かめるように左右になぞられて、堪え切れない声と息が漏れる。呼吸が短く切り刻まれた。こんな触り方、誰にもされたことない。
 下から順に右側の肋骨をすべて辿られ、その手のひらがなんの膨らみもない硬い右胸にたどり着いたとき、先程までの不安が一気に蘇り、支倉の表情を見上げた。
「修吾君……」
 思わず呼んでしまった名前。その声は高く上擦っていて、縋りつこうとするかのようだ。息はもうとっくに上がっていて、たったこの程度の触れ合いで、こんなになってしまう自分が酷く浅ましく感じた。彼は男の胸など触って、楽しいと思えているのだろうか。
「うっわ……夏芽さん、それ、……やばい」
 何がやばいのか、と思った途端、支倉の手のひらの動きが、確かめるようなそれから、荒々しいものに変わった。
「あっ、ちょっと、しゅ、しゅうごくんっ……あんっ」
 ごつい小指が右胸の突起を翳め、上半身がびくりと震えた。一際高い声が唇から跳ね落ちて、咄嗟に支倉の顔を見上げた。
 冷静になってしまってないだろうか。自分が何をしているかを自覚して、醒めてしまっていないだろうか。男に触れられてこんな声の出る自分に、引いていないだろうか。
 確かめたくて見上げた顔は、酷く赤くて、こちらからは何もしていないのに、息をわずかに荒くして、はっきりと見える喉仏が、上下に動くのが見えた。
 こんな自分の姿に、そして恐らくはきっと声に、彼が興奮している。そのことに気付いただけで、夏芽の心はあまりにも簡単に満たされた。
「すごい、気持ちよさそ……」
 首を傾けられ耳元で囁かれたその掠れかけた声のあまりの艶に、声だけで一番感じる部分を触られたような感覚がして、足の力が抜けた。ずるずると崩れ落ちる体をなんとか支えようと支倉の長い足に縋るも、腕にも力が入らずそのまま床に座り込んでしまった。呼吸も衣服も乱れ、すっかり上がってしまった息を整えながら支倉を見上げると、すっと手を差し出される。
「勘違いで、五年間も片想いなんて、できないですよ。そこまで馬鹿じゃないです。世界で一番あなたのことが好きなのは俺です。そこは、心配しなくても大丈夫ですよ」
 差し出されたその手に、ゆっくりと手を伸ばす。
「あなたが好きです、もっと、もっと触りたいです。……いいですか?」