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なつきすい
なつきすい
novelistID. 23066
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この心が声になるなら

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 初耳だった。ナナイのほうを睨めば、昨日はボクが寝てから帰ってきてたし、今朝も早かったから言いそびれた、と悪びれもせずに言う。嘘をつけ。朝食を摂りながら浅草観光とSuicaの使い方の話をする暇はあっただろう。ばったり、というのもおそらくは仕組まれてのことだ。タクシーで移動していた彼が駅に寄る用事などなかったはずだから。ナナイには支倉が将来何処にいるかは知れなくとも、現在地やその時点で立てている予定の内容ぐらいなら手に取るようにわかるのだから、待ち伏せぐらいお手の物だ。
「本当に聞いていなかった。もし気を悪くしていたらごめんね。ナナイは連れて帰るよ」
 不快感を胸の奥に隠しながら、更に空のコップにビールを注ごうとしているナナイを見る。その顔は間違いなく酒が入っていて赤く、口元はとろんとしているのだが、目だけはにやにやと、夏芽の心の奥を見透かすようににやりと笑っている。
「ほら、ナナイ帰るよ。詳しいことは酔いが覚めたら聞くから」
「えーやだなぁ。ボクもうちょっとシュウゴと遊びたいし」
 酔っ払い特有の妙に甘ったるい声でそう言われ、苛立ちがふつりと湧き上がった。
「駄々をこねないの。子どもじゃないんだから」
「ボクまだ十代だよ、もうすぐおっさんの大台に乗るお前と違ってさ」
「実際は二十年以上生きているのに何を言ってるの。それに十代だったらお酒なんて飲んだら……あ、きみたちの世界では、飲酒に年齢規制はないんだっけ……」
「そうそう。だからナツメにうるさく言われる筋合いはないわけ」
「っ……。これ以上酔っ払ったら支倉君に迷惑がかかるだろう。明日も仕事あるんだし」
「えー、ボクが来た日だって二人とも仕事なのに、シュウゴはナツメの家に泊まってたよね?」
 本当にもう、ああ言えばこう言う。いい加減にしろよ。
 喉までこみ上げてきたその言葉が、口元で声にならずに消えた。
 説教なら、何度もしたことがある。ここ最近の主な対象は優衣であるが、出会った頃の支倉や、そのほかの後輩たちにも。けれど、苛立ちや怒りや、つまりはネガティブな感情それそのものを他人にぶつけたことなど、ない。本当の自分だけじゃない。今の「ナツメ」さえ。どんな風に怒ればいいのかがわからなくて、支倉の前でそんなみっともない自分を晒したくなくて、その声はかたちにならなかった。
「とにかく、帰るよ」
「……ねえ、ナツメがボクをそうまでして家に連れて帰りたい理由は、なに?」
 その言葉に、夏芽は顔色を取り繕うことさえ忘れて、ナナイを見た。その完璧に整った褐色の貌は、憎たらしいほどの笑みに歪む。
 ナナイの問いには、必ず答えが返される。わかっている。どうせ、ナナイだって聞かずとも勘付いているだろう。ただの嫌がらせだ。後でそれを突きつけたときに、逃げ道を奪うための。
 ――そんなの、不安と嫉妬に決まってる。
「あははっ、ナツメ、ある意味すごい顔してるねぇ。のっぺらぼうみたいだ。表情がないよ」
「っ…………誰が、誰がそんな顔させてると」
 それ以上言うな。支倉の前でこんな姿晒したくない。
 こういう状況での「適切な顔」がわからない自分なんて。
「あの、どうしてもナナイが帰りたくないっていうなら、俺んち泊まってってもいいですよ」
 おずおずと、といった様子で支倉の声が割って入った。今にも暴発しそうだった雰囲気に、氷が投げ込まれたかのように、すぅと頭が冷たく冷えていく。
 夏芽は表情をもう一度取り繕いながら、支倉を見た。
「片付ければひとりぐらいならなんとかできますし、この状況で連れて帰っても降森さんも大変ですよね。なんだったらあと二日、俺んとこで預かっててもいいですから、降森さんはゆっくり休んでください」
 心にじわりと冷たさが広がっていくようだった。泊まっていっていいとは、夏芽さえ言われたことがない。元々夏芽の家で飲むことが多いことや、夏芽が正体を失うまで酔うことはほとんどないせいもあっただろうけれど。
「だって〜。だからナツメはもう帰っていいよ。ボクはもうちょっとシュウゴと楽しんで帰るからさ。『声と芝居しか価値のない』お前といるより、楽しませられると思うけど? それに、声だっていうならボクも同じだしね」
 夏芽にしか聞こえないように小声で囁かれた、その言葉が、何かの引き金だった。
 その通りだ。言い返す言葉なんて、持っていない。
 声と芝居。それしか自分にはない。そしてそのうちのひとつを、ナナイも持っているのだ。そしてナナイは自分にないものを持っている。
「じゃあ悪いけど頼むね。ナナイが迷惑をかけたらごめんね。何かあったら叩き出してくれていいから。僕はそろそろ帰るよ」
 自分の声音から、感情がすとんと抜け落ちたのがわかった。
「降森さん?」
 完璧に整った容姿も、何が起きてもその中で楽しみを見つけ出せる強さも、揺るがない自分自身も、躊躇わずに言葉に変えられる声も。自分の願いを叶える為の行動力も、決断力も。
 どれも自分にはないもので、かつて望んだもので、そして諦めたものばかりだった。突きつけられたのは、空っぽの自分だ。わかっている、そんなこと。
 これ以上みっともない自分を晒したくなくて、支倉に背を向けた。その直前、ナナイと一瞬目があった。ナナイの目はひどくつまらないものを見るようなそれで、ああそうだよ、僕はこんなにつまらない人間だ、と唇から零れそうになった。いっそそれを言えるぐらいのほうが、まだ人間味があったのかもしれない。
 ごめん、またね、ナナイには携帯とクレカとSuicaを持たせてあるから。そんな事務的なことだけを口にして、ついさっき雑に脱ぎ捨てたばかりのスニーカーをつっかけ、部屋のドアをバタンと閉めた。エレベーターに乗る。夏芽が支倉の家に来た後で誰も使っていなかったようで、来たときとは違って直ぐに一階へとたどり着けた。
 肩が、ずっしりと重かった。そういえば家に鞄を置いてくるのすら忘れて、急いで飛び出してきたのだったっけ。これっぽちの道のりを、わざわざタクシーに乗ってまで、急いで。
「っ…………」
 そして来てみれば、味わわされたのはただひたすらに、みじめさだった。
 何一つ行動に移せやしないのに、それどころか本当の思いひとつ言葉にすることができないのに、優衣の噂話に不安を募らせ、ナナイの行動に嫉妬する。そんな権利なんてないのに。
 思いを伝える勇気はない。上手くいくなんて、そんなことあるわけがないから。こんな空っぽの自分が誰かに求めてもらえるわけがないし、だからといって演じた自分に対して向けられる愛情を受け取ることにはもう耐えられない。だけど、この思いを諦めてなかったことにしたり、思い出に変えることもできない。誰かのものに支倉がなるのも嫌だ。自分のものでもないというのに、あまりの情けなさに息が詰まる。