この心が声になるなら
「ゆいゆー、それ絶対俺たち以外の前で言っちゃ駄目だからな? ゆいゆーはそんなことでライバル蹴落とそうとするような悪い子じゃないよな? そんな悪いことに手を染めちゃったらお兄ちゃんたちは悲しいぞ!」
「え、ええっ? ……あ、そっか、みなみちゃんってアイドルですもんね。そういうのばれたら大変なことになっちゃうか」
斜めに身体を伸ばして来た湯上にテーブルを挟んで肩をがしりと掴まれ、大きな目が左右に揺れた後、やっと合点がいったらしくぽんと両手を叩いた。
「……きみも同じような立場だってこと、時々でいいから思い出してね、ゆいゆー」
一通り珈琲を拭き終わり、水で濡らしたティッシュで服にも飛び散った何滴かを叩きながら、夏芽は言った。どうしてこう、うちの事務所の面々はわりとこういうキャラが多いのだろう。事務所全体として、特に自分たち三人が十歳ずつ年が離れているにも関わらず兄妹のように仲が良いのは確かで、居心地が良いのも間違いないのだが。今にしたって、直前の現場が優衣だけは違うにも関わらず、たまたま近くにいたからと昼食を摂るのに合流してきたのだ。
優衣は考えなしに思いついたままぽんぽんと喋る傾向があるため、これまでその発言がいろいろと余計な事態を引き起こしたことが何度かあった。彼女の観察力は低くないものだから尚更悪質だ。ただ、人間関係に悪影響を及ぼすような噂をまき散らすことは、今は決してしない。問題発言の多さでは彼女に引けをとらない湯上は、しかし二十年もこの業界で生き残れただけのことはある。場の雰囲気をおかしくすることはあれ気まずくすることはないし、彼だからこそ許される類の発言も多い。結局のところ夏芽は彼の人徳を大いに信用している。とはいえ、下ネタの多さは否定できないので、だいたいは夏芽がフォローに回ることになるのだが。
「大丈夫ですよ! あたし、確信はあっても根拠のないこととか、言っちゃってもいいかどうかわかんないことは、まず真っ先にユノさんとナツメさんに言いますから!」
そこは胸を張るところなのだろうか、と思いつつ、それだけは破られたことがないことを、夏芽は知っている。それは以前彼女が思いこみで人の悪評を流して周囲に迷惑をかけてしまい、湯上と夏芽がフォローに当たった時に、三人で交わした約束だった。それから恋愛関係などについてをついうっかり漏らしてしまったことはあれど、兄貴分二人以外に対して本当に誰かにとって致命的な情報を流してしまったことや、人の悪口を言いふらしたことは一度もない。根は素直で真面目な末妹を彼らは可愛く思っているし、だからこそ事務所側も兄貴分たちを信頼して、優衣に対して事務所として行動や言動に制限をかけるようなことはしていない。
湯上は周囲をきょろきょろと見回し、小さく「よし」と呟いた。
「で、ゆいゆー、その根拠は。あ、ターゲットについてはこれから『M』と呼ぶように」
「了解です、司令」
「えっこの話続くんですか?」
てっきり彼女の今後の芸能生命の為にこの話題は封印すると思ったのに。そう言うと湯上は少年めいたつくりの顔に、不似合いなほど悪質な笑みを浮かべた。
「ナッちゃん、ここにいるのは俺とお前とゆいゆーの三人。つ・ま・り・は、全員ミーティアの所属だ。ターゲットは違う。奴は我らがミーティアの仇敵、『E−A』の稼ぎ頭だ。……お前なら、この意味がわかるな」
「ものすごくわかったけどわかりたくありません」
「綺麗事だけじゃ戦いには勝てないんだよ、ナッちゃん。……と、まぁ冗談はさておき」
ぱしんと手を叩いて笑う湯上に、夏芽は盛大にため息をついた。
「でも実際ゆいゆーはどうしてそう思ったわけ? まさか本人が話してくれたとか?」
尋ねると、優衣は首を振って答えた。
「や、見ててなんとなく思ったんですよ。だってあたしみなみちゃんのこと大好きですから!」
ニコニコと無邪気に笑う優衣の言葉には、例によって嘘はない。だからこそ性質が悪い、とも言うのだが。
「ゆいゆー、名前、伏せて伏せて」
「ああ、そうですね。で、『M』なんですが」
そう言うと、優衣は少し頭を低くして、声を潜めた。なんとなくつられて夏芽も湯上も同じような体勢をとる。
「例えば、番組の打ち上げとかあるじゃないですか。あんまり彼女来ないですよね。でも前は『興味がない』とか『行きたくない』って言って断ってたんですよ。あたしも何回かカラオケとかご飯とか誘ってみたんですけど、だいたいそう言われて断られてたんです」
あのみなみを遊びに誘った優衣のチャレンジ精神に感服しつつ、兄貴分ふたりは厄介だが可愛い妹の次の言葉を待つ。
「でも最近そういう時って、『用事があるから』って言って断るんですよ。付き合い良くないのは前からですけど、理由が変わったのは半年ぐらい前から急にです。だから、きっとその頃に恋人でもできたんじゃないかなーって」
「なるほど」
基本的に人が大好きらしい優衣は、人のことをよく観察している。それは彼女の演技にも存分に活かされているし、演技力と歌唱力についてはみなみより上ではないかとも言われる。
素直に感心しかかったそのとき、しかし次に続いた言葉に、心臓を突き刺された思いがした。
「もしかして、くらしーさんかなーって思ったんですけど」
さすがに湯上のように珈琲を吹きだすようなことはしなかったけれど、一瞬、息を呑んだ。
「……どうして?」
「M氏の携帯にかかってくる連絡が、大体電話だからですね。くらしーさんメール嫌いですよね、確か。M氏あたしよりずーっと忙しいし、普通だったら連絡は出れるかわかんない電話よりメールでするかなって思ったんです。あとあの二人事務所一緒ですし、くらしーさんM氏の子役の時からの大ファンでしょ」
そこまで観察していたことに驚くと同時にぞっとした。確かに、先程もみなみの携帯に電話がかかってきて、彼女が出ていくところを見ている。そしてここに来る途中、建物を出たところで次の仕事がある支倉とたまたますれ違ったのだが、一団の中にみなみを見つけたときの支倉は確かにテンションが誰の目にも明らかなほど上がっていた。
「確かに、支倉君は電話の方が好きだよね」
「あ、やっぱり!」
当たり障りのなさそうなところでコメントをすると、ぱっと優衣の表情が得意げに輝いた。そのリアクションに、夏芽は首を捻る。
「やっぱり? 知っていたわけじゃなかったの?」
「はい。いや、あたしの知ってる限りお仕事の話以外でナツメさんにしょっちゅう電話かけてくる人ってくらしーさんぐらいでしょ? ナツメさんもくらしーさんに用事あるときってだいたい電話してますし。ナツメさんあたしとかユノさんとか、くらしーさん以外にはメールじゃないですか。だからくらしーさんがメール好きじゃないんだなって思ってたんですよ」
感服するしかない。仲も良く、仕事以外でもつるんでいることが多いとはいえ、まさか優衣と四六時中一緒にいるわけではない。その中で毎回毎回支倉と連絡を取っているはずもない。だというのに、その数少ないサンプルから、彼の性質のひとつを優衣は的確に見抜いていた。
作品名:この心が声になるなら 作家名:なつきすい