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なつきすい
なつきすい
novelistID. 23066
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この心が声になるなら

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 自分の演じた青年のように、奔放に、自由に、愛らしく、真っ直ぐに。
 こんな風にすることはできる。だけど、もうそれは自分ではない。
「や、あ、あ、うう、は、あ…………っ」
 いつの間にか奥に差し入れた指は三本に増えていた。ぐちゃぐちゃに掻き回すそれは紛れもなく夏芽自身の指に相違ないはずなのに、夏芽の頭の中で奔放に喘ぎ求める誰かにとっては、恋しい男の熱なのだ。
 羨ましい。本気でそう思う。
 (こんな風に素直になれたら、自分が愛してもらえると、思えるのかな)
 いっそこの思いが、自分の思いじゃなければよかったのに。自分の演じる誰かの心だったらよかったのに。もしそうならこの唇はいくらでも愛の言葉を吐ける。
 けれど、そうじゃないことはわかる。この思いは、否定できないほどに、自分のものなのだ。(支倉君、ごめん、本当にごめんね……)
 夏芽の心が悲鳴を上げた。それと同時に、この喉は浅ましい啼き声を立てた。
「あぁぁぁっ…………!」
 痩せた背中を大きく仰け反らせて、夏芽の体は欲望を吐きだした。耳元から入り込む水音が一瞬意識から消えて、脳内でがんがんと四人分の声が響き渡っていた。
 自分の演じた彼と、支倉の演じたその恋人、自分の脳が作り出した、自分にとってとても都合の良い支倉、そして、自分。
(好きだよ、支倉君。本当に大好きなんだ……)
 実際には声にならないで消えてしまう、ほんとうの自分の声。
 この世には存在しないという意味でなら、他のものとなんら変わりない、自分の声。
 奥に入ったままの三本の指をそっと引き抜く音は、シャワーの音に負けて聞き取ることができなかった。その刺激にすら一瞬びくりと震える浅ましさに嫌気が差す。荒れた息を整え、絶頂の余韻の残る体でふらふらと立ち上がると、浴室の蛍光灯のスイッチを入れた。ぐわん、という特有の耳障りな音を立てて、病院を連想させる薄く青みがかった光が浴室を照らしていく。
 明るさに目が慣れた頃、ふと先刻まで座っていた椅子を見れば、放ったものは既に跡形もなく今も降り続く水に流された後で、特有の青臭い臭いもほとんど残ってはいなかった。まるで、何事もなかったかのように。
 熱が冷めてしまえば、残るのはただ虚しさだけ。先ほどまでは暗闇の中で見ることのできなかった鏡には、髪も顔も痩せた体もびしょびしょに濡れ潰れた、疲れた顔の男が映っていた。
(化粧、溶けちゃってる)
 施された完璧な化粧は、生理的な涙と浴び続けたシャワーで溶けてしまっていて、溶けたアイラインはまるで隈のように目の下に溜まり、ますます疲れた人に見えて、いっそ笑いがこみ上げてきそうだった。
 情けない、みっともない。安物の中空の人形のようなこの自分。どんな声も出せる。どんな顔にも慣れる。だけど作り物に過ぎないそれは、水を掛けただけでこんなにも汚く崩れ落ちる。
(明日の仕事の準備、しなくちゃ)
 クレンジングオイルを手に取り、どろどろになった顔面をマッサージして流せば、そこにはもう何も残らない。
 演じた役も、自慰の跡も、すべてがなんの余韻も残さず消え去って、ただそこには空っぽの自分がひとつ、あるだけだった。