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なつきすい
なつきすい
novelistID. 23066
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この心が声になるなら

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 食べ終えた食器を慌てて流しに下げて、汚れがこびりつかないように水を張った。その間も頭の奥で支倉の声がずっと思い出され続けて、指先が震える。水道のレバーを思い切り良く押しすぎて跳ねた水が手のひらに当たる、その刺激すら背筋にぞくりと繋がったようで、吐息が唇から零れ落ちる。
「は、ぁ……」
 漏れた息が自分で思った以上に水気を含んでいて、聴いている者もいないのに慌てて口元を押さえた。ちらりとソファを見遣れば、ナナイは気持ち良さそうに寝息を立てている。起こさないようにそっとドアを閉めると、寝室へと早足で駆け込んだ。ベッドに腰掛けたときにはもう息が上がっていた。触れられたわけでも、耳元で囁かれたわけでもないのに。
 ただ、思い出しただけだ。彼の言葉と声と笑顔を。想像してしまっただけだ。自分の演じた役に向けられた声が、自分に向けられたものだったなら、と。
(最低だ、僕は)
 心臓の鼓動がどんどん速まっていく。そんなありえない空想を抱いてしまった。それだけでこの身体はこんなにも浅ましく熱を持つ。
(ありえない、のに)
 同性だ。それ以前に、こんな自分だ。あの手に触れてもらえるはずなんてない。あんな熱を帯びた声で名前を呼んでもらえるなんて、ありえない。そうは思うのに、この手はジーンズのベルトを震える指先で不器用に緩めた。痩せて隙間の空いてしまったそこはジッパーを下ろす必要もなくて、そのまま同じぐらい痩せて骨ばった右手を、見ないようにしながら突っ込んだ。
「ぅあ……」
 心からではなくて、体から声が漏れた。下着越しに触れたそこは酷く熱くて、既に硬度を増し始めている。指先に力を込めると、ぞくりと電流のような痺れが走った。思わず左手で布団を握り締める。太腿に変に力が入ってしまい、締め付けたシーツに皺が寄った。
 もう止められそうになかった。熱に浮かされた頭が、勝手に支倉の声を、言葉を、知覚に流し込み続ける。これは、妄想だ。わかってる。自分の知る支倉を材料に、自分で生み出した、夏芽にとって都合の良い支倉。
『好きです、降森さん』
 そんなこと、こんな火照った声で囁いてもらえるはずがない。あの大きな手がこんなところに触れるなんて、あるわけがない。わかっているのに。
「ああっ……」
 自分の痩せた手の動きと、脳内で響く支倉の声が重なった瞬間、体がびくりと跳ねた。思ったよりも大きな声が出て、思わず左手で口を覆った。夜中に練習をすることもあるし、夏芽の声はよく通るし、家に遊びに来るのも同業者ばかりだ。近所迷惑を考えて防音性の高いマンションに住んではいるが、同じ家の中はその限りではない。
 もしもナナイに気付かれてしまったら、たったひとりで、頭の中の妄想の彼に乱されて悶える自分の姿を見られてしまったら。この姿をあの紫水晶の目で見下ろされたら。
 よろよろと腰を起こして畳んであった寝巻きを掴むと、ふらふらと浴室へと向かった。脱衣室の木製の引き戸を閉めて留め金を掛け、ベルトの解けたズボンをそのまま引き摺り下ろす。下着の形が変わっているのが目に入って、くらくらと眩暈がした。ほんの少ししか触れていないのに下着はうっすらと湿っていて、その独特の匂いが僅かに鼻をついて死にたくなった。下ろそうとした下着が性器に引っかかる感覚で声が漏れそうになるのを必死で堪えた。
 震える手で靴下とシャツも脱いで洗濯機に放り込むと、スイッチを入れようか少し迷ってやめた。その音は夏芽の声を掻き消してはくれるだろうけれど、ナナイを起こしてしまうかもしれない。全身の肌が紅潮していることに気付かないように、電気はつけないまま浴室に入り、小さな鍵も閉めた。その間も、心臓の鼓動は速くなり、腰に溜まった熱量は増すばかりだ。
 何年も暮らしているから暗闇の中で視界が覚束なくともどこに何があるかは大体わかる。シャワーの蛇口を最大に開いた。水がタイルの床を叩きつける雨よりも硬質な音が響く。夏芽の声ぐらいなら覆い隠してくれるだろうし、ナナイを起こすことはないだろう。
 プラスチック製の小さな椅子に腰を下ろすと、その冷たく硬い感覚にさえぞくぞくした。
 自分はおかしい。そんなのわかっている。一度も触れてもらったことなんてないのに、どうして一度彼のことを考えてしまっただけで、こんなになってしまうんだろう。
 熱いシャワーを浴びながら、そっと指先を這わせた。支倉が恋人にどんな風に触れるかなんて、知らないのに。
「ぁん……ふっ…………」
 押し殺せ切れなかった声が漏れる。意思とも感情とも関係なく、ただただ体が発するままに。
 手の動きが勝手に速まって、握る指先に力が篭る。どくんと大きく体が跳ねて、夏芽は上体を前に倒した。息が、詰まる。
 ――彼は、どんな風に触れるんだろう。
 ――僕は、どんな風に触れられたいんだろう。
 自身を扱く自らの手の動きに思考が塗りつぶされていく中で、頭の奥で支倉の、違う、支倉の声をした誰かの声がした。
『ここも、触っていいですか……?』
 情欲に濡れたその声に、その台詞に聞き覚えがあって、だけれどそれに思い当たるよりも前に、脳の中の夏芽の声の誰かが、勝手にこの左手を動かした。
「うぁ……っ」
 シャワーの水と先走りで濡れたそこを指先で翳めてから、人差し指が後孔に宛がわれた。
『いい、よ、……ね、好きにして』
 頭の中で響く支倉の声に答えたのは、自分の声ではなかった。感じているのは、紛れもなく自分だ。だけどこの体を動かしているのが、誰だかわからない。頭の中で響く声は、誰のもの?
「ぁんっ」
 指がつぷりと差し入れられて、短い悲鳴が唇から零れた。この指は誰のものか、最早わからない。確かに自分の中の熱さを指先に感じるのに、その動きは自由にはならない。
「あ、あ、ああっ……」
 前と後ろから同時に生じる快楽に、夏芽は体をびくびくと跳ねさせた。小さな椅子がそれに合わせてかたかたと音を立てる。それらの音はすべて、締め切られた狭い部屋の中、ざあざあと途切れることなく続く人工的な雨の音にすべて呑みこまれて行く。どうしようもない熱に翻弄されながら、ほんの僅か残った冷静な思考は、今この体が誰を演じているのかを探っている。
『あ、も、いいっ、もう指は、いいっ……お願い、きみが、欲し、いっ……』
 その台詞が、頭の中で繋がった。誰の声なのかを、漸く思い出す。
(ああ、そうか。きみたちはあの時の)
 二年ぐらい前に、初めて支倉と自分が共演したBLCDの主役カップルだ。まだ自分が、支倉にとって完璧な先輩でいられた頃の。あの情けない本当の姿を晒してしまうより、少し前の。
 あの頃はこんな思いを抱くなんて想像もしていなかった。もう、恋なんてしないと思っていた。この唇は演じたキャラクターたちの、心からの愛の言葉を吐き出しながら。本当の自分には人に愛される価値なんかないし、作り出した「彼」を愛してくれる人を騙し続ける苦しさにはもう耐えられそうになかったから。なのに、どうしてこんなことになってしまったんだろう。今までみたいに諦められないんだろう。本当の自分で向き合っていく勇気なんてないのに。
(こんな風にできたら、愛してもらえるのかな)