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なつきすい
なつきすい
novelistID. 23066
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この心が声になるなら

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「少なくとも僕は聞いてないし、そんなつもりもないよ。えー、誰がそんなこと言ってたの?」
 しれっといつも通りの穏やかな笑みを見せて言ってみれば、そこにあるのは困惑の表情。嫌な予感は、しないでもなかった。彼女のマネージャーと夏芽のマネージャーは、同期入社でプライベートで一緒に旅行に行くぐらい仲が良いことを夏芽は知っていた。
 けれど、担当マネージャーがそんな話を、本人やその知人の耳に入る可能性のある場所で迂闊にしたなんてことがバレると良くない、という判断が働いたのだろうか、彼女は慌てて笑顔を作って、「いや、違うならいいんですよ。ナナイはあの声じゃなきゃ絶対嫌ですから!」と言った。その言葉自体に嘘はなさそうであるのは素直に嬉しいし、今の表情だけなら十分に笑顔にしか見えない。
(でもね、そこまでの間で、わかっちゃうんだよ。きみがその噂を、誰から耳にしたかってことまで)
 演技は上手いけど、嘘は下手だね。そんな思いを、夏芽より役者として数枚も下の彼女が読み取れたわけもないのだろうが、慌ててチャームがたくさんついた鞄をがさごそと探り出した。
「あたしナツメさんのナナイ本当にナナイそのもので好きで好きで、着ボイスも全部、コンプしてるんですよ。ほら」
 可愛らしいオレンジ色のガラケーには、彼女の演じたキャラクターたちのマスコットに混じり、夏芽が演じた件のキャラクターが不敵な笑みを浮かべていた。ぱかりと開いた二つ折りの携帯を手早く操作すると、そのスピーカーからノイズ混じりで聞こえてきたのは、自分の演じる「ナナイ」の目覚ましボイスだった。
『お前が起きなきゃならないのは何時だ? ……ああ、今なんだね。ほら、起きなよ』
 夏芽の記憶が確かなら、この着ボイスは有料配信だったはずだ。彼女が夏芽の演じるナナイが好き、というのは本当だ。出演してもいないのに彼女は物凄くこの作品について詳しく、ブログであまりにも熱く感想を語り過ぎたためにオタク、更にエスカレートした結果ひいては腐女子であることがファンにばれ、事務所が売り出し方の方針を考え直したらしいとかいう話を聞いたことがある。その点はともかくとして、彼女がアニメ化以前からその作品の愛読者であること、夏芽とその作品の主役を演じた声優が所属している事務所であるということでこの事務所を目指した、ということは本人が話してくれた。
「ゆいゆーはボクの中の人がナツメじゃなくなるって噂を、本気にしたのかな? ……へえ、そうなんだ」
 からかうように、「ナナイ」の声と口調でいかにもアイドル声優として売り出し中な愛称を呼んでみれば、ゆいゆーこと氷川優衣は、中学生時代は読者モデルをしていたというその愛嬌のある顔を真っ赤に染め、ばしばしと自らの膝を叩いて声にならない声をあげた。
「せ、せ、せ、声優になって良かったぁぁぁあ!!」
 長い長い感嘆の呻きの後、やっとやっと発せられたのは、折角の萌えボイスの無駄遣いとしか言いようのない残念な一言で、
「……こんなしょうもないところでそんなこと実感しないでよ、ゆいゆー」
「いや、だって! 今、な、な、ナナイがあたしの目の前にっ! あ、もう今はナナイじゃなくってナツメさんなんですけどっ、それで、ゆいゆーって、名前、呼んで……っああああっ!!」
「何度もやってあげてるでしょう、これ」
 夏芽は苦笑し、萌えのあまりに悶絶したままの優衣をその場に残して、目的地へと向かった。顔はいつも通り凪いだ穏やかな微笑のまま、けれど、誰にも見られることのないその心の裡は、ひどくざわめいていた。
 ナナイは、降森ナツメの代表的な役柄だ。「Seven Gods」というライトノベルのキャラクターで、その作品は五年前にテレビアニメが始まってから既に三期を数えている。比較的スタンダードな設定の異世界ファンタジーであり、ナナイは主人公ではないがトリックスター的な役回りで、主人公とはファンの人気を二分している。現在確定している事象について、望めばすべてを知ることができる。それが彼の特殊な能力。
 自分の置かれている立場ですら、完璧には把握できない自分とは違って。
 優衣の発言と反応からして、少なくとも情報源はネット掲示板などの類ではないのだろう。そして、あの作品が、自分や原作者の殻神トウヤとはいまいち関係の薄いところが原因で、オタク界隈ではオワコン扱いされていることも知っている。実際、半年ほど前に放送されていた第三期は、それらのトラブルから売り出し中の彼女を遠ざけるために、新キャラクター役として内定していた優衣の出演が取りやめになった。当時まだぎりぎり未成年でココアしか口にしていないにも関わらず、泥酔したようなテンションの彼女に半泣きで愚痴られたのを、夏芽はよく覚えている。身体を壊して仕事をセーブしなくてはならない、という事情もある。それでも普通に考えて降板はありえないだろう。優衣はとにかく早とちりの多い娘であるから、話を中途半端に聞いてそう思い込んだだけという可能性が高い。そうは思うのだけれど、そんなことを検討されたというだけでも、夏芽は足場がぐらりと揺らいだような感覚を覚えた。
(降森ナツメ以外に、あの役を演じるのは無理なんじゃないのかよ)
 夏芽と殻神トウヤは、友達と呼んで良いだろう間柄だ。世間的には親友同士と認識されている。ふたりは共に二十九歳で北海道出身、大学進学のために上京して在学中にデビューと共通点が多い。しかも共に出世作が件のライトノベル「Seven Gods」で、それが縁となって知り合った。作品に繋いでもらった縁だからということで、トウヤは夏芽に自分を筆名で呼ばせるし、個人的なメールであっても夏芽の名前も必ず芸名の「ナツメ」で表記する。彼の小説の後書きやブログ、ツイッターなどに頻繁に夏芽についての記述や写真があることなどから、その交流はファンにも知られている。降森ナツメの代表作として誰もがナナイを挙げるのには、人気作品であり実際に当たり役であったことだけでなく、そのイメージの影響もあろう。
 夏芽にとっても、ナナイは特別な役のひとつに間違いなかった。物語半ばで、降板なんかしたくない。どうすればいいかわからなくて、一昨日はトウヤを飲みに誘った。トウヤは快くやって来たが、その話題に触れることはなかった。口数が多く空気を読めないことに定評のある彼がその話題を敢えて避ける訳はない。本当に知らないのだろう。