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なつきすい
なつきすい
novelistID. 23066
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この心が声になるなら

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1st day, この心は声にならない




 身体にまとわりつくような朝だ。目覚めが爽快だった試しなんてここ数年ないけれど、それにしたって今日は特に重い。昨日は結構な時間まで起きていたからかもしれない。今はリビングのソファで眠っているはずの後輩と共に。或いは、彼がここにいるからか。
 彼とは昨日のラストの現場が一緒だった。腹が減りましたね、と言われたので地元から届いたばかりの越冬じゃがいもが箱であるよ、と言えば、彼、支倉修吾は喜びを満面に浮かべてついてきた。支倉にしたって半分以上はそれを期待していたのだろう。なにか奢ろうかというと、それより降森さんの手料理が食べたいですと、支倉はいつも言ってくれるから。
 最寄り駅のスーパーでバターや溶けるチーズ、それにビールなど足りないものを一緒に買い込んだ。四歳も下の後輩であるのに、「ご馳走になるんだし、俺無駄に図体でかいですから」と、重い方の買い物袋を自然に持ってくれたことは少し情けなかったけれど、優しさを向けてくれたことは嬉しかった。夏芽は決して小柄ではなく、さして特徴のない中肉中背の平均的な体格をしているが、196センチという恵まれたを通り越しいっそ不便であるらしいほどの長身に加え、実家が農家で農業高校出身ゆえかバランスよく鍛えられた体つきを誇る支倉と並ぶと、相対的にとても小さく見える。けれど、とにかくおっとりとして、ほんわりとした本人の性格そのままの柔らかな雰囲気のせいか、その大きな身体から威圧感を感じることはない。軽い癖毛でふわふわした量の多い髪の毛と東洋人離れした異質な肌の白さもあいまって、その姿はどこか、かつて夏芽が実家で飼っていたピレネー犬を連想させる。そう感じたのは自分だけではなかったらしく、養成所に通うために上京した当初のあだ名は「ジョリィ」だったらしいが、内輪ではともかく外で呼ばれたときの恥ずかしさが尋常じゃない上にクオーターで本名なのかと勘違いされることが本気であったため、やめてもらったのだそうだ。それ以来、彼の一般的な愛称は「くらしー」もしくは「らっしー」だ。後者は後者で種類は違えどそれはそれで名犬の名前なので、やはり彼から犬の印象を受ける人は多いのだろう。本人に言わせれば、ロシア系の血の混じっていそうな肌の色に関しては彼の地元の秋田ではまったく珍しいものではなく、また、彼ほどの長身は少ないにしても、全国平均と比べると、ややがっしりとした大柄な体格の人が多いそうで、顔のつくりが整っているほうであることはさすがにわかっているらしいが、一般的には相当人目を引く外見だという自覚が支倉にはあまりない。
 その心も、顔も、声も、そのすべてが愛しいなんて、例え商売道具であるこの口が裂けたって、言えない。
(好きだなんて、……言えるわけない)
 これがただの台詞なら、芝居なら、いくらでも言えるのに。「きみが好きだよ」とか「きみは、誰が好き?」だとか。試しに声に乗せてみて、それがあまりにも簡単に音になったものだから、余計に悲しくなった。
 諦めること。寂しくて、情けなくて、切なくて、でもそれが現実的に取るべき判断であることはわかっていて、ぎゅっと自分の身体を抱き締めた。寝巻き越しに肋骨の感触がわかった。薄っぺらい、柔らかさも何もない、男の身体。もし女性だったなら、どんなに痩せたとしても、こんな面白味のない感触はしない。中肉中背とはいいつつ、最近少し痩せてきている自覚はある。そのせいで、自分の身体のつまらなさに、以前よりも簡単に気付かされてしまう。
 叶うはずのない恋に身を焦がしたぐらいで食事が喉を通らなくなるような性質ではない。どんなときでも美味しいものは美味しいし、美味しいものを食べている時はひとまず幸せなので、どちらかといえば辛いときこそ食に逃げてしまうほうだ。昨日だって、その柔らかな笑顔を思い、それが自分のものにはならないのだろうと思うだけで涙が出そうなほど恋しい相手とふたりで食卓を囲み、手料理を食べてもらうなんて状況であっても、故郷の北海道から取り寄せたばかりのじゃがいもは、バターと塩辛さえあれば他には何もいらないほど甘くて美味しくてむしろ食べ過ぎてしまったくらいだ。だから、この痩せた身体の意味は、単純に過労と、食事を摂るタイミングが狂ってしまうほどの不規則な生活と、それらに伴う体調の悪さのせいだった。
 降森ナツメは、声優だ。それも、間違いなく超売れっ子の。
 大学在学中にデビューしてからもう丸八年になる。声質や音域の幅はそう広い方ではないが、デビュー当初から演技力は高く評価され、地味ながら重要な役を任されていた。
 状況が変わったのは、五年前のことだ。間違いなく誰に聞いても降森ナツメの代表作として挙げるであろうキャラクターを演じたことで一気にブレイクした。元々実力はあり、一発屋で終わることもなかった。人気と需要に彼は応えた。この役は彼にしか演じられないと言ってもらえた役はたくさんあったし、演じた、というよりもそのキャラクターに「取り憑かれた」としか表現のしようがない感覚を、夏芽自身はいつも感じている。演じている間の記憶さえ、ろくに残っていないほどに。その点において、役者としての自分に多少なりと自信はあった。それ以外のところが、どんなに情けなくて、どんなに嫌いでも。だから、求められる嬉しさを知って、それが失われるのが怖くて、がむしゃらと言っていいほどに仕事に打ち込んだ。
 無理が祟って帰宅途中の駅で倒れたのは、二ヶ月前のことだ。会話の途中で突然意識がぶつりと途切れた。もしもその時帰りが一緒だった先輩がすぐに様子がおかしいことに気づいて腕を掴んでくれていなかったら、そのままホームから転落して今頃この世にはいなかったかもしれない。そのまま入院し、一週間の絶対安静を命じられた。
 当然、仕事の関係者には大きな迷惑をかけてしまった。予定されていた収録は復帰後に別録りで間に合い、代役を立てるような事態は避けられたが、イベントをひとつ休んでしまい、ひとつオーディションを受け損なった。
 オーディションだけでなく、事務所から、自分さえ同意すれば決まるような形で提示される仕事も減った。基本的にそういう形で持ち込まれた仕事を自分がまず断らないことは、みんながよく知っている。おそらくは上手に飼えば長いこと金の卵を産むであろう鵞鳥を、過労でむざむざと潰すようなことはさせられないとの判断だろう。それでも、干されているわけでもないし、時間を持て余すほどには暇なわけではない。昨季以前から継続中の持ち役、それに四月からの新番組だって原作者の御指名も込みで主役があるし、乙女ゲームのメインキャラクターの収録も控えている。個人名義では初めてのCDのリリースも決まった。どれだけ恵まれているのかなんて、考えるまでもなくわかる。
 その足場が、自分に残されたたったひとつの自信と呼べるはずのものが、ぐらりと揺らいだのはほんの数日前のこと。

「ナツメさん、ナナイ役降りるって本当ですか!?」
 そんな言葉を後輩の女性声優から言われたとき、青天の霹靂としか言いようがないほどのショックを感じて、頭がくらくらした。勿論、そんなことを表に出さずにいるのは容易いことで、