小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」
なつきすい
なつきすい
novelistID. 23066
新規ユーザー登録
E-MAIL
PASSWORD
次回から自動でログイン

 

作品詳細に戻る

 

この心が声になるなら

INDEX|16ページ/53ページ|

次のページ前のページ
 

 返事がないのをどう思ったのだろう、機嫌が悪いと思われていなければいいけれど。
 母を悲しませたくない余りに声を失ったことで、別の誰かを傷つけてしまう。どうして、自分ばかり。そう思わずにいられない。
「降森さん、もしかして、声、出ないんですか?」
 ぱっと顔を上げた。多分今の夏芽の顔には、表情はほとんどなかったけれど。
 どうして、わかったの。そう言おうとして口を開いて、やはり声は出なかった。支倉の顔が色を失っていく。
「……そんな」
 整った顔が、絶望に歪んだ。確かに今は声が出ないけど、一晩休めばきっと大丈夫。そう説明したかった。だけど、声が出ない。
 自分の状態が以前よりも酷くなっていたことに、この時気がついた。昔は、自分の心を示さない言葉ぐらいなら口に出せたはずだった。それさえもいつも「ナツメ」に任せていたら、自分自身は声の出し方すら忘れてしまったようだった。
「耳鼻科はやってないけど救急病院ならきっとまだ開いてます。今すぐ行きましょう。あとマネージャーさん呼びますから、携帯かけて貸してください」
 ぶんぶんと首を横に振る。でも、と言う支倉に、「あしたになったら、だいじょうぶ」となんとか唇の動きで伝えようとする。自分でわかっている。この体調不良と酔いさえ治まれば、……いつも通りの演技ができるようにさえなれば、声は戻る。
 何度も何度も同じ動きを繰り返すと、最初はおろおろするばかりだった支倉も、やがてその口の動きを追いかけた。
「明日になったら、大丈夫?」
 こくこくと頷く。それでも、支倉の心配そうな表情は和らがない。
「本当ですか? 喉がおかしくなったりとかは」
 してない、だいじょうぶ。そう声の伴わない中で繰り返す。
「ひょっとして、すごく酔っ払っちゃうと、声出なくなっちゃうとか……?」
 厳密に言うと違うけれど、そのあたりを説明する術が今の夏芽にはない。頷いて、だから大丈夫だから、と口を動かす。本当は相手の心配を溶かすような笑顔で言えたらいいのに、感情表現のできないこの体は、表情も酷く乏しい。
「……わかりました、とりあえず今日はこのまま帰りましょう。でももし朝起きて声が出てなかったら、すぐ病院に行ってください。降森さんの声にもしものことがあったら、俺、絶対絶対嫌だし死ぬまで後悔します」
 有無を言わせない口調に、もう一度夏芽は頷いた。その様子を見てか、支倉の口元が少しだけ緩んだ。
「じゃ、帰りましょうか。もう吐き気は大丈夫ですか?」
 音に敏感な支倉に吐いている音を聞かせてしまったのかと思うと少し申し訳なさを覚えたが、今のところ大丈夫そうだ。頷いて水を流すと、「肩貸しますね」という支倉の大きな広い肩に素直に凭れて、座席まで戻った。特にスポーツはやっていないはずだけれど、農作業や肉体労働系のバイトで鍛えた筋肉の厚みを、心地よく感じた。
 すべての元凶となった先輩は、しかし酔いが回りきる前だったこともあって、夏芽に対して心配そうな顔を向けてくれた。
「相当具合悪そうです。家近いんで、俺連れて帰って介抱します」
 今日は誘ってくださってありがとうございました、ときちんと付け加えることを忘れずに、支倉は夏芽の手を引く。普段とは違う妙に落ち着いた態度と強引さに驚いたけれど、それが自分への心配と気遣いが理由であるのはわかった。そのままタクシーに乗せられ、支倉が告げてくれたのは自分の住所だった。教えた覚えはないが、きっと以前タクシーに同乗したときに覚えていたのだろう。常に台本を丸暗記して収録に臨んでくるほど、支倉は記憶力が良い。
 夏芽のマンションの前まで着く。自分の財布から金を出すことは問題なくできた。そこには何の感情も伴わないから。まだ頭は思い通りに働いてはくれないけれど、身体の感覚はほとんど素面の状態に近い。自分は先輩だし、迷惑もかけた。ありがとう、ごめんね。口の動きでなんとか伝えようとしながら、彼の家までの料金に十分足りる金額を渡して降りようとすると、大きな手でやんわりと片手を掴まれた。もう片手で、渡した紙幣の中から会計を済ませて釣銭を受け取ると、夏芽の手を握ったまま、支倉もタクシーから降りた。
 これ以上迷惑はかけられないし、こんな姿を見せたくはない。きみはこのまま乗って帰りなよ。そう言いたいのに声は出ない。だからタクシーの運転手にはそのやりとりはわからない。そのまま道路の反対側へと走り去り、マンションの前には夏芽と支倉だけが残された。
「心配なんです。こんなことになっちゃたの、俺のせいだし。……酔いがさめたら大丈夫って言ってたけど、もし声が戻らなかったら、タクシーも呼べないじゃないですか。朝までついていさせてください。このまんま家帰っても、降森さんが心配過ぎてどうせ寝れないです」
 選択、できなかった。追い返すのも悪いし、かと言ってこれ以上迷惑をかけたくもない。いいよ、とも帰れ、とも言えない。
 夏芽は黙って、エントランスをくぐってすぐの自室のドアを開けた。支倉は迷いも躊躇いもなくその中に入ってきた。
 風呂場に無理やり押し込むようにして先に支倉にシャワーを貸している間に、来客用の布団を引っ張り出した。夏芽の料理を食べに来て飲んでつぶれてしまう後輩も結構いるので、この家には常に布団と枕が一組と、足りなかった場合に備えて寝袋がひとつ用意してある。布団と枕をソファに置き、地方イベントなどでホテルに泊まるたびについもらってきては溜まってしまう備え付けの歯ブラシを洗面所に用意してやって、自分も歯を磨いた後まだ少しべたつく口元を水で洗った。口内に残る不快な酸味がやっと消えていく。それでもまだうっすらと吐き気は残っていて、忘れる為にミントのガムをいくつか口に放り込んだ。
 支倉と交代して熱めのシャワーを浴びて、その温度の感じ方の違いに、やはり体調が悪かったのだと痛感させられた。酒自体はさほど好きではなく、酒に合う料理を食べるときに折角だから飲む、程度の関心しかない夏芽は、あれほどまでに酔っ払ったことがなかった。大学のサークルの新歓では今回よりも遥かに盛大に飲まされたけれども、そのときはペースといい内容といい学生の飲み特有の理不尽かつ無鉄砲なもので、途中から頭は痛いわ吐いても吐いても止まらないわのそれはそれは酷い状況に陥った。具合が悪いと思いトイレに駆け込んだ後はとてもとても人様にお見せできるような姿ではなく、よろよろと個室から這い出た直後、ほとんど気絶同然に眠ってしまい、気付いたら翌日の昼だった。だから、今と同じ状況になっていても、演技ができてないことや声が出なくなっていることにも気付かなかったのかもしれない。
「具合、大丈夫ですか?」
 寝巻きに着替えて出てくると、居間のソファに窮屈そうに大きな体を預けていた支倉に声をかけられた。いつもだったらテレビっ子の支倉は特に観たいものがなくてもテレビをつけているはずだ。もしかしたら何か異常な音、例えば、自分が倒れる音だとかがしたらすぐに気付くように、静かにして待っていてくれたのかもしれない。ありがたいけれど、申し訳なかった。頷いたけれど、やっぱり表情も声もまだ戻ってこない。