この心が声になるなら
「だからあの書き込みは本当なんだろう。家を出てくるまでに話した感触としても、僕は、彼が、本物のナナイだと思ってる」
あまりに非現実的な、しかし自分にとっては一番妥当に思えた答え。それを小さく口にすると、支倉がほっとしたように息をついた。
「俺もそう思います。よかった、降森さんもそう言ってくれて。俺、頭おかしくなったかと思いましたもん。でも話したこととか、俺の知らないことも聞いたら答えてくれたし、降森さんも見たはずだし、俺の幻覚のわけないって。二人揃って同じ幻覚見てるなんてこと、ないですよね……?」
「もしそうなら、僕の家にはどんな新手のキノコが生えているんだよ」
「それ、多分アキバとか池袋とかで言い値で売れますよ」
「間違いなく需要はあるだろうね」
しょうもない冗談に小さく笑った後、二人で顔を見合わせて、同時にため息をついた。今この瞬間が夢じゃない限り、あれは間違いなく現実だ。
「そういえばナナイって、帰らなきゃならない日とかあるんですかね。もしそうなら俺、いるうちに三人でカラオケ行きたいです」
ふと、思いついたように支倉がぽんと口にした。しかし前半はともかく後半の脈絡のなさに、夏芽は首を捻る。
「そしたら、ナナイのキャラソン完璧に歌えるじゃないですか。あれ、重なってるとこあるから降森さんひとりじゃ歌えないでしょ。俺あの歌超好きだから、一回生で聴いてみたくて!」
「…………そう」
「えっ、なんでそんな顔してるの? 俺何か降森さんが嫌な気持ちになっちゃうようなことしちゃいました!?」
「いや! そんなことないよ! ちょっとリアクションに迷っただけで!」
二次元から登場人物が飛び出してくるなんてファンタジーにもほどがある現象を目の当たりにしてそれか、とツッコミを入れるタイミングを見事に逃し。どうしたものか迷った心が微妙に居心地悪げに空気に溶けていく気がした。
支倉は時々こういう素っ頓狂な、というよりも、論理的には間違っていないのだがなにかがずれた発言をすることがある。そんなところも可愛いと夏芽は思うし、実際ラジオなどでは彼の天然ボケ気味の部分がいじられることも少なくない。
「……まぁ、そのことだけど、彼の話によると期限はあるらしいんだ。五日間で、それが過ぎた時に条件が満たせてなければ、元のところに戻れるらしい」
「なんか恋愛ゲームのエンディング分岐みたいですね」
ゲームといえばもっぱら音ゲーかアクションか格ゲーばかりで、RPGやアドベンチャーゲームの類はやらない支倉だが、ここのところ乙女ゲームの出演が増えているので、そのあたりのことは一応知っている。
「分岐条件も本当に恋愛ゲーだよ。こちらに来た者が元の世界を捨ててでも、ここに留まりたいと思うこと。すべてを捨てさせてでもここにいてほしいと、この世界の誰かに望まれること、だって」
「……要は、恋人作れば残れるってことですよね」
「そういうことのような気がする」
「完全にゲームだ……」
ひとつため息をつくと、
「やっぱり俺ら二人して寝ぼけてるんですかね?」
「僕の家、怪しいキノコが生えるほどじめじめさせた覚えはないんだけどなぁ……」
「なになに? 男二人で恋愛とキノコの話? えっろいなー!」
曲がり角からひょいと顔を覗かせてなんとも言いがたい微妙な空気に突然割り込んできたのは、一見すると少年に見えるような、だけれど角度によっては夏芽よりも年上に見えるような、年齢を感じさせない容姿の小柄な男だった。
「ユノさん、話題のチョイスというか単語の解釈がのっけから中学生男子ですか!」
「えーだってそういう話題をしてたのはお前らだろ? それともなに、おじさんには聞かれたくないヒ・ミ・ツの若者トーク?」
「だから、そういうところが中学生だって言ってるんですよ」
「そっかそっかー、よし、俺まだまだ少年役でいけるなっ」
人の話を聞いているのかいないのか、男は豪快に笑った。一応支倉も「おはようございます」と挨拶をしたのだが、絶妙にタイミングを逃して返事が返ってこず、しかしわりといつものことといえばいつものことなので特に気にした様子もない。
湯上喜一は、こんなテンションとノリでも、夏芽より十も上の三十九歳、どこに出しても恥ずかしくない立派なアラフォー男性だ。Seven Godsでは主人公のシュトル役を演じていて、ほかにも夏芽とはデビュー当時から共演が多く、可愛がってもらっている。叫び台詞が抜群に上手く、バトルものや熱血漢の少年役の演技には特に定評がある。人気も実力もキャリアも十分、夏芽や優衣と同じく「Meteor」という芸能事務所に所属していて、長らくその看板を背負っている。後輩たちの面倒見も良い。妻も、そろそろ三歳になる可愛い娘もいる、社会的には立派な働き盛り、のはずだ。ただ、若いのはまるでローティーンの少年のような声と容姿だけではなく、その心にも永遠の中学生男子が息づいている。主にエロ方面で。同業者である奥様と結婚する際、夏芽にベッドを押し付けたのは彼だ。夫婦共に顔馴染みである上、押し付けられたときの例の一言のせいであれこれしたくもない変な想像が沸いてしまい、まともに寝られそうもないのでマットレスだけはすぐに買い換えた。
「いやー前実家から届いた天然ものの舞茸で降森さんちできりたんぽ鍋やったんですけど、あれは美味しかったですねー」
「きみもキノコネタ乗っかっちゃうんだ。確かにすごく美味しかったけど」
「舞茸は形的にちょっとなー」
「言いたいことは概ねわかりましたからその話やめましょう! こっちの現場まだ高校生の女の子いるんでうっかり通りがかりに聞かれたくありません!」
そう言うと、湯上は童顔に毎度毎度の悪い笑顔を浮かべて「女子校生か……」と呟く。なんとなくその響きというか字面に不穏なものを感じ取ったが、夏芽は突っ込むのを諦めた。
「ま、こんなところで立ち話しててもそうそう聞かれないだろ。ナッちゃん、くらしー、お前らは二人きりでなーに話してたの? こ・ん・な・と・こ・ろ・で?」
「友達のサプライズパーティの相談ですよ、近々結婚するのがいるんです」
コンマ一秒にも満たない速さで被った、嘘の仮面。自分の顔の上に被った見えないそれを、湯上に凝視される。
「なにそれ、キノコと関係なくない?」
「ネタとしてキノコの話は出てましたけどとりあえずユノさんが期待しているような方面の話ではありません」
「ナッちゃん、わりとこーゆーとこでしれっと嘘つくからお兄ちゃん寂しいなー」
「未だ嘗て僕らがユノさん抜きで下ネタトークしたことがありましたっけ?」
「…………ないか」
「ないです」
断言すると、あははははは、と豪快な笑い声をあげて、湯上は膝を叩いた。
「あーそうだナッちゃん、体の具合もう平気か? 忙しいのはありがたいけど無理し過ぎるなよ。そうだ、いいサプリ取り寄せてやるよ。冬虫夏草の」
「結局またキノコに戻るんですか」
作品名:この心が声になるなら 作家名:なつきすい