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八尋 慶一
八尋 慶一
novelistID. 46050
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ビル、そしてメメント・モリ

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「それに、相手の目を見なくてもすむからね」と少女はいい、僕の顔を覗き込んだ。「盲目だから」
「まあ、それもあるかもしれない」と僕は呟いた。
 ここまで長い話をして、僕はいささか肉体的な疲労を感じていた。見ず知らずの人間に、ここまでの話をしても良かったのだろうか? そういう疑問がなかったわけではない。いや、と僕はかぶりを振る。救済とは、すべてを話してから得られるものだ。自分の心の傷を、あますことなく話すことで、はじめて意味というものを見出すことができるのだ。
「どうしたの?」と少女は言った。僕はそれ以上、口を開くのが億劫になった。
「しゃべるのが嫌になった?」と少女は言い、手を僕の手の上にのせた。すこしひんやりしたような、ぴりっとした感触がその皮膚から伝わった。
「でもね、大丈夫。あたしはいつまでも聞いてあげるから。聞くのがあたしの役目だからね」
 そう言って少女は笑った。僕も少しだけ微笑み返した。
「僕と伽子は本当によく会った。僕は休みになれば伽子に会いにいったし、授業が空いてるときは平日でも行った。伽子はもちろん、行くたびによろこんでくれた。はじめはあまり押しかけるのも迷惑かなと思っていたんだけど、まったくそんなことはないようだった。彼女は本当に、なにもしていないんだ。テレビをつけて音を聞いて、たまに点字の本を読んで。本当にそれだけなんだ。僕が行くと、おいしい紅茶を淹れてくれる。時間はいくらでもある。
 はじめは真由美とふたりで行くことが多かったけど、じきに僕ひとりでも行くようになった。伽子は、日光をとても嫌がるんだ。見えない光にじりじりと身体を焼かれるのにどうしても馴染めないみたいだった。広い家で、カーテンを閉めて生活しているんだよ。盲目の人間にとって、光はあまり関係ないからね。だから僕はいくたびにカーテンを開けて、話をした。伽子ははじめは嫌がったけど、じきに慣れていった。もっと時間がたつと、広い庭に椅子を置いて話をするようになった。彼女は風が髪を撫でていくのが気持ちいいと言っていた。本当に気持ちよさそうだった。僕もそんな彼女を見ているうちに、心が洗われるような気がしたんだ。
 そうやって庭で話しているうちに、彼女のアルビノみたいな白い肌はだんだん人間味を取り戻してきた。彼女のどこか固い表情も、だんだんほぐれてくるような気がした」
「それの、どこに問題があったの?」と少女は訊いた。僕は、うまく答えることができなかった。しばらく深呼吸して、呼吸を整えた。心の傷は、そう簡単に癒えることはない。

   ※

 問題があるとすれば、僕らは気が合いすぎたようだった。そして僕らの関係を、真由美がどう思うかなんてことは考えたことがなかった。なんといっても、僕ら二人を引き合わせたのは真由美自身なのだから。僕らが仲良くなって、一番喜ぶのは真由美なのではないか、とはじめはごく単純にそう思っていた。
 強い真由美よりも、よわい僕らの気が合うのは当然のことだった。真由美が、そのことに気付くのにそう大した時間はかからなかった。だが、それは僕に責任がなかったわけではない。いつのまにか、僕は真由美と共有する時間よりも、伽子との時間を大切にしようとしていた。思えば、そう感じていたときからすべての歯車がかみ合わなくなっていた。
 しかし、僕と伽子の間には、なにひとつなかった。本当に、なにひとつなかった。真由美が疑るような関係など、僕らにはなかった。僕らはただ、並んで、話をしていただけだ。初めて会ったそのときから、最後まで、ずっと。僕らはただ不完全だった。永遠に、ただ単純に不完全なだけだった。お互いの傷をなめあうように、寄り添っていただけだった。
 しかし、真由美がそれを本当に理解することはなかった。それは彼女は強すぎたから、だと思う。自分にないものを理解するには、時間と、適切な言葉が必要だったが、そのどちらも充分とはいえなかった。僕らには先天的に失われているなにかが、真由美には絶対的に確立されていた。すなわち、自分の脚で立つ力、だ。だから、僕と伽子は頻繁に会って話しつづけていたけれど、同時に真由美のことをどちらもが求めていた。それはお互いを求めることとはまた別の意味でだ。真由美は、どちらにとっても必要な存在だったのだ。

「それで、僕はいくらか変わった。外見から、性格まで。内向的なところも変えられるところはできる範囲で変えようとしたし、今までに話したこともなかったようなタイプの友達もたくさん作った。僕に手を差し伸べてくれるような友達ではなくて、対等に付き合っていけるような友達だ。単純にいえば、僕は強くなったんだと思う。昔に比べてね」
「変われたんだ」と少女は不思議そうに言った。その様子が、僕の言葉だけではうまく伝わらなかったらしい。
「変わった。やがて、僕は就職活動をはじめるような時期になった。その試練は、自分を試すいい機会だと思ったよ。いろんなところにインターンシップで研修をして、いくつもの検定試験に挑戦した。いくらでも、努力と覚悟しだいで変われるってことを証明したかったんだ。もちろん、伽子に対して、という意味で」
 僕はそのころを思い出していた。思えば、一番一生懸命だった反面、すべてを置き去りにしてきたような時期だった気がする。僕には、とにかく余裕がなかったのだ。
「それで、ある大企業の内定を勝ち取った。うちの大学で、そこの内定をとったのはその年では僕一人だけだった。僕は見事に伽子に証明することができたんだ。誰でも、努力と覚悟で、変わることができるっていうことを。目が見えないというだけで社会に出ていけないということはない。目が見えないのに世界で活躍している人なんていくらでもいる。もっと視野を広げることができる。その証明を、自分自身ですることができたんだ。当然、僕は内定が決まったその日、伽子にそれを電話で報告した。そして、その足で伽子のもとへと向かった」
 少女は身じろぎもせず、僕の話を聞いていた。僕は、それでますます胸の奥が締め付けられるような気がした。
「僕が伽子の家についたとき、伽子はそこにいなかった。盲目の伽子が、家にいなかったんだ。ドアに鍵はかかっていなかった。伽子は何度注意しても、鍵をかけないでおく悪い習慣があったんだ。理由は今になってもわからない。あるいは自分の身の安全ということについて、とても希薄なイメージしかもっていなかったのかもしれない。でもとにかく、伽子は消えてしまったんだ。煙のように。はじめは真由美と一緒にどこかへ出かけてしまっただけだと思っていた。僕は誰もいない伽子の家のなかで、ひとりで紅茶なんかを淹れたりして彼女を待っていた。だけど、伽子はそこには二度と帰ってこなかった。