流れ星のタンゴ《Part.2》
踊らされちゃったんだから。木村さんはしっかり
テーブルにつかまってなかったからね。
藤原 わかってます、貞子さん!フランソワーズさんみたいな
奔放で気兼ねをしない人にかかったらかなわないよ!
恐ろしい!袖をひっぱられたらもう抵抗できない。
フランソワーズ (指先で藤原の指に軽く触れ)指が真っ赤になっちゃった
じゃない!そんなに気をもまないで!ちょっとタンゴの
体の位置を見せるだけだから。ほら、そんなにもじもじ
しないで!今晩はダンサーも殆どいないのよ。
藤原 この今聴いてるタンゴの曲、なんだか不思議と懐かしい
気分にさせられるんだ… なんて曲?どうもどこかで聴いた
ことがあるような気がするよ…
フランソワーズ スペイン語では、”Ojos negros ”っていう曲よ。『黒い瞳』
ほら踊りましょうよ!?お願いだから!
藤原 うん、じゃぁ… しょうがないな。ウィスキーのませて…
君のその眼で頼まれると。よっし…
藤原は指をテーブルから離しゆっくりと立ち、大きく息をつく。
貞子 (脇を通る)藤原さん、頑張ってね!フランソワーズは
あなたのこと放っておかないわよ!木村さんもあの日
ダンスフロアの真ん中に行くまで同じように困らせられて
いたわよ。
藤原 ちょっと待って… これで僕の人生、サラリーマンとしての
キャリア、評判にさよならだな… (目を閉じる)
フランソワーズ 新大橋から隅田川に飛び込むわけでもあるまいし!
そんな顔しないで!ただ踊るだけじゃない!
フランソワーズは非常に興味をそそられて藤原のためらいを観察する。
藤原はひきつったような息を吐く。
フランソワーズ ニュートン… 万有引力の法則!
藤原はぽかんとして、またずっしりと椅子に座りこむ。
藤原 なんだっての?全然わかんないよ。
フランソワーズ ニュートン、万有引力の法則って言ったのよ。
藤原 あっそ、どっちでもいいから… とにかく今僕は椅子に
座っていて、ダンスフロアにいるわけじゃない… って
だけでも随分いいか。 いやちょっとまって… なんだか
僕の人生とキャリアと評判が戻ってきたような気がする。
フランソワーズ 大丈夫? 私の言うことわかる? いい? 藤原さん、
男と女がアルゼンチン・タンゴを踊るとき、ニュートンの
二つの物体間の引力の法則が完璧に働くのよ !
フランソワーズは手をあげ、天井から下がっているスポットライトを
示したので、藤原はそれをじっとみる。
フランソワーズ なんでスポットライトなんか眺めているの?そっちには
何も面白いことなんてないわよ!私を見て頂戴!
それでね、私ならニュートンの物理の法則に、
男女のオーラの化学反応の法則を付け加えるわ。
藤原 (観念した様子で)男と女のなんだって?
フランソワーズ オーラよ!男女ペアで踊るダンスならどれもニュートン
の引力の法則もオーラの化学反応も働く。
でも、 アルゼンチン・タンゴはと・く・べ・つ!
藤原 (好意的に易々と同意する) と・く・べ・つ...
フランソワーズ 私はこの現象をタンゴの錬金術って呼んでいるの。
藤原 れん・・・何?
フランソワーズ れ・ん・き・ん・じゅ・つ!ほら、ダンスフロアに
行きましょうよ?!ダンスフロアの真ん中で音楽を
聞いて立っているだけでいいから。
菊池 (ウィスキーを運んでくる)藤原さん、今晩はやっかいな
ことになりましたね!?でもまだまだ、アルゼンチン・
タンゴにはもっと他の試練が待っていますよ。
藤原 (疲れきった様子で)わかったよ、じゃダンスフロアに
行ってちょっと立ってようか。君はその「れん」なんとか
を僕に試したいんだろう?
フランソワーズ 錬金術!
藤原 もし僕が君のパートナーになったら、そのタンゴの
錬金術とやらはうまく行くかな?
フランソワーズ (藤原の鼻先で手を振り)違います!錬金術にはまだ
早いの!錬金術は二人のパートナーの体が一体となって
動いて初めて起るんです。女が男に求められているものを
理解しないと起こらないの!
藤原 (愉快そうに)I’m sorry. さしつかえなければ、男は女に
何を求めるのか教えてくれませんか?
フランソワーズ (厳しく)藤原さん、stop it ! 私が話しているのは
日常生活のことではなく、タ・ン・ゴの不思議な力なのよ!
二人は長いこと互いに見つめあう。
”I dare not tell you You are beautiful”のメロディーの一部が聞こえてくる。
フランソワーズはバーのカウンター の中でグラスを洗っている菊池の方をむく。
フランソワーズ お願いします、よしみ先生… ちょっと踊って
いただけません?
フランソワーズはダンスフロアの中央へ行く。菊池は水道の蛇口を閉めて頷く。
二人はタンゴを踊る。藤原は二人が踊るのを見てショックを受けたように
見える。二人が踊り終えると、客が拍手を送る。藤原は怒ったように
ウィスキーを一口飲む。フランソワーズはワインを片手に持って、
再び藤原のもとに帰って来る。
フランソワーズ (息をはずませて)“タンゴというのは水平の欲望を
垂直に表現したものだ”と言った人がいたわ。
藤原は不機嫌になる。フランソワーズがテーブルの端に置いた
ワイングラスを見る。
藤原 君のグラス!落っこちそうだよ!不器用なんだから!
フランソワーズ どうしたの、藤原さん??? あ、わかった、
もしかして… ただのダンスよ!
藤原 へぇ???それであなたは、菊池さんの肉体の錬金術を
感じた?
フランソワーズ 全然!パートナー同士が愛し合っていないと何の錬金術も
作品名:流れ星のタンゴ《Part.2》 作家名:アッシュ ラリッサ