遺伝子組み換え少年
波の飛沫は入らない。人影の瞳が輝くと、その一帯の波が一段高くなった。
けらけらとした赤い光源。覗き込む赤い光源に、けらけらとした感情が映り、けらけらとしているように見える。赤い光源は鏡であり、眺めていて飽きない。飽きれば途端に別の行動として現れる。
「完成」
わたしは言うた。
急いた気が内にあることは承知で、波に揺られていると、身体が動かずとも済む。身体は波となる。さざめく波の上にある重みこそがわたしであった。未だ、始動させたくない。波に揺られたままでは、幾年でも待つことは可能であったが、漂う波でしかないから、機会を窺い歩き出すと云う事も不可能になる。今歩き出せば、尋常でない彼の待つ時間があり、其れは避けたいと想っている。直立したわたしとしての、待つ時間は苛立ちでしかない。ヒトには待機の熱量を作るために消費する物質と組織が有り、其れを嬉とする事も可能であろうが、わたしにはない。嬉も苦も、待つ時間は苛立ちだけがくびれの鈍い砂時計の如く積もる。
苛立ちであるところの待つ時間を天秤に掛けても、遅れる事は避けたいとも想っている。やっと、完成したのである。完成に要した時間は急いた気が生まれてからの比ではない。其の上で、先頭に立って是を進めていたわたしが出遅れると云う事になり、待つ時間を消費するために波に漂っている事を悟られたくはないから、わたしは理由なく遅れる事にもなるが、其れは好かない。確かな性質は覚えていないがゼゼムとラントロンも、わたしの場所に訪れるであろう。そして、遅れるというだけで酷く無味な日となりそうで、其れも好ましくなかった。
そう云えば、彼の子供にも礼を言わなければならない。天才の子供。わたしは彼の子供を気に入っている。ヒトには、わたしたちにはない才能を得たものがいる。其れは、待つ時間を嬉とする事と同義であろう。
波に漂っている。
波となっている。
深い闇の中、色の付いた人影は二つの赤い光源から感情を辿っている。
波となっている間は、時間を数える事は出来ない。前述の通り、待つこととは両立せず、茫洋と感情を辿る事は仔細ないが、決めた時間に出立することは不可能である。わたしは波の上の重みであるだけである。現在遅れているという可能性すらある。「完成」と呟いてから幾分経っていただろうか。幾時間、幾日経っているだろうか。前に食事をしたのは何時だったか、日の出から日の入りまでの時間停止していた可能性も無きにしも非ず、という思考に煩わされるなら――
赤い二つの光源に、けらけらとしたわたしが映っている。
次の日が出たなら、背を波から外そう。背を波から外せば、自然と歩き始める。夜中に訪れたなら、ヒトは眠っているかもしれない。
6
狭い部屋だった。
生活感がない。
扉向かいの嵌め殺しの窓から、岩肌が見える。ところどころに黄熱灯が、藤壷のように岩肌にくっ付いて、黄熱灯を脇に金属製の梯子の錆びた上端があった。そこは日の当たらない地下であり、高所でもあった。
嵌め殺しの窓からの茶色い明りと開き切っている扉からの白っぽい光が、家具を把握できる程度の光量を部屋の内に作っている。床には廊下と同種のねずみ色のタイルカーペットが敷かれていて、道沿いの擁壁に似た、室内としては騒がしい四角模様がコンクリートの壁には深めに、天井には浅く掘られ、天井に椀型のカバーをされた電球があるが、点っていなかった。
黒革の安楽椅子と木の机が、部屋の角に合わせられていた。対角線の角には、転げ落ちそうな細さの、布団の畳まれていない寝台がある。机の上にはモニターの三つある妙な形のノートパソコンが乗って、寝台を除いた三品は質の良さが見た目に溢れていたが、狭い部屋にはそれだけの品しかなかった。四畳半ほどの部屋で、形は奥に長めにはなっていて、角に付けられた大ぶりな机と安楽椅子から開き戸までは、二歩の距離がある。廊下は円形となっていて観賞用の植物もなく、空だった。異様に簡素である。他にある扉は横滑りの見た目で、狭い部屋を六時として、二時の位置にエレベーターがあり、十二時の位置に階段がある。空調が効いて、廊下から狭い部屋までが涼しい。
小千科学研究所。
東京地下の大空洞に、丸型の水筒に似た鋼鉄の歪んだ球体が座っている。下部が膨らみ鋼鉄が黒々としていて、頂点に飲み口の出っ張りがある。丸型水筒から枝葉した通路は地層壁に繋がっていて、地下鉄の線路にも繋がっている。そのすべてはこの丸型水筒が極めて特例的に国の庇護下にあることを意味していた。
神童と呼ばれ育てられた集団の中から、一つ抜けた人間が集められている。
その頂点の飲み口に位置している、所長室だった。
その一人である吉岡正見は、意志の強そうな面で、開き切った扉の外から室内を覗いている。
刈り上げた髪に、魚屋や定食屋を自営していそうな面構えであった。ボタンのない綿の長袖が身体に張り付いている。下はジーンズだ。ラフな私服に映るのに、吉岡の意志の強そうな面は、面接前の大学三年生のように気を張っている。吉岡はこの部屋に入ったこともなければ、この部屋の収められている階層に足を踏み入れたこともなく、開いている扉の中を覗くこと自体に、深淵を覗き込むような抵抗があった。三日寝ていない。皮膚に疲れが刻まれながら、表情としては一切の疲労を隠している。胸には許可を得て足を踏み入れられる高揚感と、文字で呼び出されたことへの不安とがあった。
昨日、A:bC89-02112-66に関する検査結果と映像の送付を至急に要請する電話が、特殊自然科学研究管理センターからあって、指示を仰ぎに不在の所長の携帯に電話を掛けたが繋がらず、携帯とPCの両方に、同文であることの断りを入れて、電話の内容をメールで送信したのだ。時置いてのPCからの返信には "部屋までこい"とだけ書かれていて、その一文に従い、階段を上り、立っているのである。第一次実験後の面会を終えれば帰るとは聞いていたが、想定より帰京が早い。メールの内容に就いての呼び出しとだけ思っているわけではなく、自分は検査結果と映像を見る事の許された、そしてその理論の一部であれども解することの可能な限られた人間の一人であるという自負もあった。
むしろ、解せないことは、実験を行う旨を早々に伝えさせた点である。"第一次耐久実験及び脳ストレスによる睡眠移行時間及び睡眠持続時間計測実験"という名の資料が大阪班から電送され、配るように命じられた。内容は実験概要にのみ裂かれていて、その過程が省かれている。A:bC89-02112-66に関する実験を何時に完了しようと伝える義務が生ずることは、小千科学に於いては有り得ないが、相手方に対して多少の気遣いをしても、損にはならないはずだった。エリートは権威権力に弱いが、自尊心を踏み躙られる行為は忘れず、安全な復讐の機会に必ずそれを果たすものである。