遺伝子組み換え少年
子供――ヒトツバシが、その語感に答える。
「想定通りに物が進むってのも、嫌なもんだよ」
「そうですか」
「うん、そう。突然に脇腹を刺されそうでね。真っ直ぐ正道に沿ってるから。デコイ流す暇もなかったし、邪魔も、しようと思えば捨石で簡単だろうに。その間のなさが、縛りになってるんかね。――周りに誰かいる?」
ヒトツバシはあくまで子供の口調をしている。膝を付いてインカムを被っている男が、指を三本立てる。人差し指と中指と、小指。
「下準備の賜物でしょう――追われていますよ」
「ま、邪魔さえされなきゃよかったんだよ。作業中に手を止められたら取り返し付かないもんな。あとは蠅に大便覗かれてるようなもんだ。あとで、集られようが出たもんは出たんだ。蠅なんて蚊帳ひとつで、進むことすら出来ないんだから。言い訳も増える」
「それは――」
「あの子のせいにすればいいってこと」
ヒトツバシは箪笥に座って、透き通った土嚢の大きさの袋の裏から、少年を見る。女は立ち位置を変えず、常に背筋が立って、笑みを崩さない。
「――ユウタン。君は闘わなくちゃいけないんだ」
ヒトツバシが呟く。
車は速度を上げて、高速道路を走っている。
「そうだ」
ヒトツバシは呟くと、手を右足首に通過させてから、振りかぶって、少年の右目に手を投げ落とした。
新鮮な血が飛び散る。
十センチほどの、鍔のある折り畳みナイフが、ヒトツバシの手に握られている。鈍い輝きを放つ合金の刃を手元から血液が伝う。鍔が小指側の肌を裂き、切っ先が少年の下瞼を押し込んだだけで、固まっていた。
「これくらいはしなきゃ、治まんねえな」
ヒトツバシは毒気のない笑みをして言った。
各々起床
1
第一次耐久実験及び脳ストレスによる睡眠移行時間及び睡眠持続時間計測実験
開始場所 実験後提示。
開始時刻 第一次起床の後、一分から二分二十秒の間。
被験者 [A:bC89-02112-66(破損後投与) 祐丹](以降A:bC89-02112-66と記述)
○実験概要
被験者A:bC89-02112-66に銃撃・打撃を多角度から与え、基本の肉体的・精神的な耐久性を有していることの確認と、脳ストレスによる睡眠状態移行への時間及び睡眠持続時間を測る。尚、最低限の耐久力を有していることは身体再構成時の試験で確定している。さらに、脳ストレスによる睡眠時間は、痛覚限度の働きと、精神的耐久力の摩耗にもよることから、二種の耐久性を測る一応の基準ともなる。
(中略)
長物のライフルを使用した場合に被験者に銃身を掴まれる確率が高く、銃撃が不十分になる可能性を考慮し、.500S&Wマグナム弾を発砲可能なハンドガンである、トーラスレイジングブルModel500を使用銃とし、藁木正六氏(別稿参照)に協力して頂く。
トーラスレイジングブルModel500(写真)リボルバー 装弾数五発 六条右回り
.500S&Wマグナム弾(写真)弾頭重量26g 初活力 約2700ft-lbs
(中略)
第二次起床後は被験者A:bC89-02112-66の人格(八月十七日被験者選定会議時提示資料参照)を考慮し説得を行う。被験者A:bC89-02112-66が逃走を企てた場合に、現状警備では捕獲の可能性は皆無であり、逃走自体を防止するために厳重な警備を敷いていないことを踏まえて、管理する小千科学研究員のみならず取り扱いには注意されたい。計算上の腕力に耐え得る囲いは二日以内に製作可能であるが、悪戯な隔離は無防備の協力をも得難くなると判断され廃止にされたことと、幾千の実験体、優良な実験データの束を集めようと被験者A:bC89-02112-66の検体価値に及ばぬこと忘れぬようにして頂きたい。
下の項に抵触した場合には、如何なる状況にあろうとも実験を中止とし、小千科学所長の指示に従う事。
一、被験者A:bC89-02112-66に破損個所が見受けられた場合。
二、被験者A:bC89-02112-66が逃走を開始した場合。
三、被験者A:bC89-02112-66を二人以上の人間が囲んだ場合。
四、被験者A:bC89-02112-66に対する初撃が開始時刻の第一次起床後一分を過ぎず、二分二十秒を過ぎている場合。また、攻撃を開始せずに第一次起床後二分二十秒を過ぎた場合。
五、被験者A:bC89-02112-66の第一次起床が遺伝子組み換え(細胞一新)後二日を過ぎても始まらなかった場合。
六、その他、責任者である小千科学研究所所長が看過不能な事項の起きた場合。
概要はこのようなものです。詳しくは実験終了後に実験の映像を送りますが、質疑があれば、お電話下さい。千田が答えます。
小千科学研究所 所長 ヒトツバシ
2
第一次耐久実験及び脳ストレスによる睡眠移行時間及び睡眠時間計測の過程及び結果報告。
開始場所 独立行政法人国立病院機構 大阪中央病院 第四棟 地下二階A-3室。
被験者[A:bC89-02112-66(破損後投与) 祐丹](以降被験者A:bC89-02112-66と記述)
協力者 藁木正六(写真・前稿参照)
○実験概要
「第一次耐久実験及び脳ストレスによるによる睡眠移行時間及び睡眠時間計測実験」参照。
○実験過程(銃撃位置は図2・3・4及び映像参照)
被験者A:bC89-02112-66、08:12:55に第一次起床成功。瞼を開いた途端に上半身を跳ね起こし、周囲を眺め、頭骨を掴み上半身を捻らせ、開かせていた部屋の扉の方向に項垂れて、頭骨を掴んでいた両手を顔面に移動させる。表情は悲哀と笑みの増減。同時、藁木正六が革靴を鳴らしながら地下二階B-7室よりA-3室へ向かう。それについて、藁木正六を危険の記号とするため、着衣している白衣に300mlの輸血用血液を付着させることとした。
A-3室内に08:14:01藁木正六が足を踏み入れる。被験者A:bC89-02112-66に反応なし。藁木所持銃を眉間に合わせ、腕の影が被験者A:bC89-02112-66の身体に掛かって初めて首を上げ見上げる。被験者A:bC89-02112-66が起立し「俺が悪いんかよ」と発言すると同時に08:14:51藁木同銃発砲。