ジャッカル21
やはり酔いがさめない。やけで、もう一杯だけ飲んで本庁に帰るぞ、と心の中で叫んでバーボンを注文した。そして、何度も繰り返し読んできた文書を背広の内ポケットから取り出した。プラスティックのファイルに入っている。問題の文書を引き出すとき、他の文書がカウンターの上に落ちた。焼死したといわれている協力者が過去に送ってきた文書とその訳文だった。袋田は、酔ったせいで、面倒くさくて、しばらく散乱した書類をぼんやり見ていた。昨日と今日の会議で、出席者たちは同じ内容の書類を持っていた。しかし、袋田のと彼らのとは微妙に違っていた。今袋田はそれが気になり始めた。その違いが明らかになるまで数分を要した。袋田のコピーは外務省で訳した第一稿をプリントアウトしたもののコピーで、多くの者が持っているのは、純粋に内容だけを印刷したものだった。両者の違いはどこにあるか。袋田は、翻訳者のサインに注目した。手書きのサインが欄外に書き込んであった。第一稿である証拠だった。
問題のコピーのサインは、なんとかKとなっている。他のサインを見るとなんとかKが一番多い。しかしなんとかAもWもある。袋田は酔眼を凝らしてさらによく見た。問題のコピーのKとそれ以外のKが、似ていないように見えてきた。名前の部分を調べた。問題のコピーには、Natsuo Kと書いてあるようだ。その他はすべてReizo Kだった。問題のコピーを訳した人物は、翻訳者としてはイレギュラーだったことがわかった。袋田はうーむと唸ってしまった。
「君はロシア人だよねえ」
「ハイ モルダビア ネ」
「しばらくむこう向いててくれないか」
「ワタシノコト キライカ?」
「好きだよ。むこうを向いてくれたらもっと好きになる」
ロシア女は隣りの椅子に移動して本当に横を向いたままになった。
袋田はズヴェルコフの通信文に眼を通す。今また読んでも、鬼気迫る不可思議な文章に変わりはなかった。袋田はバーボンをグラスの半分だけ飲むと、決してしてはならないことをしてしまった。こんなことが見つかったら即座に懲戒処分だった。酔った勢いで犯してしまった大胆至極な行為だった。
袋田はクリップを緩めると、原文の最後のページを抜き取った。手紙の末尾数行だけが見えるようにコピー用紙を折った。さらに、最後の行を読まれないように下の端を折った。
「もういいよ」