ジャッカル21
霞ヶ関の外務省ビルでは、地球の自転に連携して、各局が活動時間帯を持っている。たとえば、日本時間の午前二時になると、欧州局の英国課では、あちこちからため息やあくび、パソコンの電源を切る音が聞こえてくる。英国の午後五時にあたり、英国人はたとえ外務官僚でも、時報を聞くなり机から立ち去る者が多いからだ。霞ヶ関の英国課も楽になる。十人ほどの?当番?を残して、あとの課員は帰宅する。車を自ら運転する場合もあるが、眠気による事故を恐れて公用車で送られる者が多い。あるいは、歩いていけるところに共同でマンションを借りていて、そこに帰る者たちもかなりいる。こういう事情は、どの部局にも共通している。
欧州局ロシア課には八人しか残っていない。モスクワは夜の八時を過ぎたところだ。局長室、応接室、三つの小会議室、大会議室、どれも無人である。八人は、パルティションで仕切られたメインルームに点々と散らばっている。
そのうち、ひとりだけが、特殊な場所にいる。その場所は、メインルームの南西の隅に、天井に届くほど背の高いパルティションで区切られている。ドアつきなので、閉めると個室になる。課員が、トイレ、と称している翻訳室だ。どの課にもトイレに相当する場所がある。北米課にも囲ってはないが、部屋の隅に専用デスクが置いてある。かつて小和田雅子嬢が、たびたび坐った席だ。彼女の翻訳や通訳は省内で好評だったが、当人はくだらない仕事だと思っていたのか、不満げだった。
唐沢夏雄は、入省五年目のキャリアである。昨日から今日にかけてそのトイレに出たり入ったりしてきた。中で合計五時間を費やした。ほとんどの課員はロシア語に通じているが、翻訳となると帰国子女のバイリンガル三名が交代で請け負うことになる。唐沢はその三人には入らない。中学時代をモスクワで過ごしただけだから厳密にバイリンガルかどうかは微妙だ。だが、三人のうち竹ノ内進と会田勇次は海外出張中で、鹿島玲造は休暇をとっていた。唐沢が駆りだされるのは仕方なかった。こういうことは過去にも時々あった。