ジャッカル21
重光は、モニターの画面に映っているその死者の顔と記録を見つめたままだった。それは、インディアナ州の地方紙の記事だった。1992年度のインディー500レースで事故が発生し、フェラーリに乗ったロシア出身の選手が死亡したという内容だった。アフガニスタンのテロ事件は九・一一以後のことで、ビン・ラディン追跡中に起きたから、時間的に大きなずれがある。この男は無関係だ、と重光は思うのだが、疑惑は晴れず、モニターを切り替えられない。その男の顔が、新潟から送られてきたATMの監視カメラに映っていた男の顔、あるいはデパートの店員たちの証言をもとにして作ったモンタージュ写真の顔とよく似ていたからだ。造作が似ているというより、表情や雰囲気が似ていた。生まれ育ちが同じである感じがした。
重光は妄想にふけったまま、危うく眠り込みそうになり、我に返った。何をせねばならないかと考えた。
この年のインディー500レースの出場者をすべて調べよう。日本人の大会関係者がいたら、当時の様子を訊いてみよう。当時のトヨタチームのメンバーに話を聞こう。特にこの、事故死したロシア人の出場記録を、細かく検討してみよう……
七月十一日、午前十一時、富山
針葉樹林帯の薄暗がりを抜けると、急に視界が開け、剣岳、立山、薬師岳と連なる北アルプスの山々が姿を現した。尾根を白雲が駆けていた。谷間にも雲がうずくまっていると思えたが、日光に輝くようすから、残雪であることがわかった。お花畑の中を、ジャッカルが運転する四輪駆動車は登坂していく。
偽の運転免許証は、使い捨てにしないと危険だった。あと二回、レンタカーを借りられる。指定された日時の、指定された場所に行き着くまで、二回しか使えないのはきつい条件だった。あとは車を盗むしかない。救出者は、連続して三日のあいだ、一定の場所で、一定の時刻から、最長八時間待機することになっていた。その時間帯にその場所に着いていないとジャッカルは救出されない。
左右には何十個あるかわからないほどの小池、つまり池塘が散らばり、その周りを薄緑色の牧草とピンクやオレンジの高山植物が囲んでいた。黒ゆり、ワタスゲ、りんどう等の群落が湿地帯に広がっていた。モンシロチョウやモンキチョウが飛び、はなむぐりが飛び、トンボが飛んでいた。春夏秋が一斉にやってきたようだった。ジャッカルは独り言をつぶやいた。