ジャッカル21
ワルワラを通しての感触から、役所で見られる以上にボクロフスキーへの政府中枢の信任が厚いことが分かった。そのうちに重大情報が手に入るような気がしてならなかった。それを日本政府に高く買わせたかった。そのときまでは我慢しようと決めていた。日本側の価値判断に時々頭をひねることもあったが、大体はそれなりの報酬を得てきた。金はチューリッヒの銀行に振り込まれるようになっていた。
しかし、貯めた金額を合計しても、とても母親の手術費用には足りなかった。
母親のマリンスカヤは、日本の札幌医科大学の付属病院に入院していた。肝臓と胆のうの癌に罹っている。胆のうの全摘と肝臓の一部移植手術を予定している。癌の増殖はとめられない。急がなければならなかった。モスクワではその種の手術はできない。アメリカとEUは費用がかかり過ぎた。日本に行ったときに、検査だけでもと、外務省の顔見知りに泣き付いた。随分いやな顔をされたが、プライドをかなぐり捨ててはいつくばった。バーター取引としての特別協力者役も引き受けた。やっと母親の入院手続きをとった。母親は、行きたがらなかった。ズヴェルコフは、その時の母親とのやりとりを思い出すたびに胸が痛む。
「ねえ、アントン・アントーヌヴィッチ、私は体の痛みや苦しみはなんともないんだよ。たかが死ぬまでの辛抱じゃないか。それよりお前と別れるほうが、わたしにゃ痛くて苦しいよ」
物心ついたころから母一人子一人で暮してきたのだから、ズヴェルコフにとっても、母親と離れ離れになるのはとてもつらいことだった。しわくちゃになっても美しい母親の顔を見つめながら、彼は繰り返して言ったものだった。
「日本にはしょっちゅう行くから。お願いだから体を治してくれ……」
ズヴェルコフは汗を拭きふきキーを打ち続けた。
(……今月四日に問題の人物はモスクワに召喚された。誰が、どこが召喚したかは分からないが、私の情報源がその日に外務省ビルの応接室で彼の実際の姿を見ている。彼の外見を述べる。コーカソイドであるが顔を見ると東洋人との混血の可能性もある。髪は栗色に近い金髪。目は灰色がかった青。身長は185センチ前後。骨太。筋肉質。十分な訓練を経てきた身体を持つ。格闘技の選手であるかのようだ……)