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ジャッカル21

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ジュノビエフは、五十代半ばの白髪の紳士である。紺のズボンに金モールの肩章のついた開襟シャツ。キャプテン帽はテーブルの上に投げたところだ。でっぷり太った巨体を、ソファの背にもたれさせて、パイプをふかす姿には、悠揚迫らざる風格がある。かつては旧ソ連海軍極東部の少佐で、ウラジオストックを母港とする駆逐艦の艦長だった。日本海は彼にとって庭か手のひらのようなものだった。海上自衛隊の巡視船と撃ち合いになりそうになったことが数回あった。韓国の巡視船とは派手な銃撃戦を交えたことがある。トンへ(東海)の海戦などと韓国で大げさに報道された。ソ連崩壊とともに、半官半民のロシア漁業会社に入り、漁船の船長として、北アメリカ沿岸から、インド洋までを、トロール網を引いてうろつきまわる生活を続けてきた。妻と二人の高校生の娘は、ウラジオのアパートで暮らしている。
船長室は、操舵室とはうって変わって、操縦や通信の機械が一切ない。濃い紅色の絨毯は分厚く、テーブルの足が二センチほど埋もれていた。白壁には、トナカイの首の剥製と十字にぶっ違えたサーベルが飾ってあった。様々な式典の際に、彼が実際腰に下げていたものだった。天井には、インドかシンガポールのホテルにあるような大きなファンが二つ付いていた。その一つの下にふんぞり返って、ジュノビエフ船長は、もうひとつのファンの下、ソファの手前の床の上に胡坐をかいた男を見下ろした。
日本への密入国者は今まで何人も扱ってきた。政府関係者から売春婦まで、十五年間で三百人を超える。今回は旧知のボクロフスキー次官補が、わざわざウラジオのアパートまで訪ねてきて、密航を頼んだ。日本の海岸線から四キロ以内に連れて行ってくれればいい、報奨は十万ルーブリ、船員一人当たりの口止め料六千ルーブリ。当人は泳いで上陸する……
胡坐をかいて自分を見上げているその男を見つめながら、船長は落ち着かなかった。自分のキャリアに、人生初めての汚点がつく可能性があった。
なにかのミスがあったのだ。でなければこんなことになるはずがなかった。男が相当に重要な人物であるのがいまさらながらにわかった。相談する相手はいない。自分ひとりの判断に頼るしかない。ボクロフスキーへの連絡は禁じられていた。
作品名:ジャッカル21 作家名:安西光彦