ジャッカル21
ロシア課の自分のデスクに戻って待機していた明石のもとに、三十分後、ロシア外務省から英文の返答がとどいた。外務省次官は、中国訪問中。次官補も極東地域に出張中で連絡が取れない、今回の問い合わせの理由を文書でお送り願いたい、という内容だった。明石は情報官室二課でそわそわしているはずの重光を自分のデスクまで呼び出した。重光は画面を見て顔色を変えた。
二人は冷や汗を流しながら、理由とやらを三十分かけてでっち上げた。唐沢も含めて、課員は全員帰宅していたので、あたりをはばかる必要はないのに、重光は小声で英文を読み上げた。明石はうなずくやいなやReを送った。すぐさま二人は立ち上がり重光のデスクへと急いだ。
モニターの前に陣取ってから二、三分後、まだ荒い息がおさまらず、汗も乾かないうちに、総監秘書室から連絡が入った。二人の口から驚愕の声が漏れた。モニター画面は次のように伝えていた。
(お問い合わせの人物のフラットから、モスクワ時間で昨晩八時半に出火しました。懸命の消火作業にもかかわらず、該当人物の部屋は全焼、東隣の部屋が半焼しました。原因はもっか調査中。焼け跡からズヴェルコフ氏のものとみられる焼死体が発見されました)
七月九日午前五時三十分、新潟港
新潟は今日も雨だった。入梅宣言以来一ヶ月が経っていた。雨粒はごく小さく、降るというよりは、霧が港いっぱいに立ち込めているようだった。水平線がどのあたりに走っているか分からない。見えない海の果てをつかもうとする腕のように、防波堤が左から右へ延びていた。北上する対馬海流を肘で押しのけるようにして、斜めに三千五百メートルの長さで突き出ている大防波堤だ。その中ほどから先は霧雨の中に掻き消えていた。沖合いから時々海獣の咆哮のように、物悲しげな汽笛が聞こえてきた。視界がきかない場合は、船同士が吠えあって、相手の居場所を確認するのだ。結局船たちは沖のほうから種類別に順に並んで入港を待つことになる。