ジャッカル21
まずフルシチョフが、長口舌をふるった。日本は日露戦争により、ロマノフ王朝に決定的なダメジを与え、第一次大戦において、戦争を内乱に転化せんとした同志レーニンの企てを助けた。日ソ共同宣言に屈力した鳩山一郎を首相に選び、民間人であった少女をお妃に選んだ日本人民の賢明さに拍手を送る、云々。演説が終わると、給仕達が、ワインとウオッカとオードブルを載せたテーブルを押しながら入ってきた。幾人かのひとたちの挨拶が終わった頃には、ずいぶんなごやかな雰囲気になっていた。会衆の中から、冗談や笑いが出た。この国でのこの種の会としては、まことに異例だった。妃殿下の御臨席のせいで、皆が軽い躁状態に陥っていたからだった。質問も飛び出した。
「ここ、エルミタージュの御見学は、一昨日なさったと了承しておりますが、特に何にお惹かれになりましたか?」
エルミタージュ美術館の副館長であるシモーノフ氏が質問した。
「ただいま坐っておりますこの椅子です。天下をとった気分になります」
妃殿下はさらりとお答えになった。場内は笑い声でどよめいた。
「孔雀時計も忘れられません。時報を伝えるときの動物たちのしぐさがなんともかわいらしくて」
これを聞いた松村は、首をかしげた。一昨日までは日程をこなすだけで大変だった。ここエルミタージュでも、午後二時きっかりまで二十分以上も待てなかった。妃殿下に時報をお聞かせするひまはなかったはずなのに……
「お巡りになられた都市のうちで、どの都市が最も印象深かったですか?」
英語で質問したのは、珍しく軍服を着ていない男性だった。報道関係者らしかった。妃殿下もにこやかに英語でお答えになった。
「何度か訪れたロンドンは親しく懐かしい都市です。芸術の都パリ、氷の霊峰が囲むチューリッヒ、永遠の都ローマ、幻想のストックホルム、みなそれぞれに……」
ここで妃殿下は言葉を詰まらせた。顔を左右に振りながら、感極まったかのようにおっしゃった。
「ああーっ、レニングラード。 ああーっ、白夜のネヴァ川。
この都市に、私を訪れさせたもうた神に、感謝いたします。もう二度と再び来られないかもしれません。しかし、私はここレニングラードで過ごした短い時間を、生涯忘れることはないでしょう」



