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ジャッカル21

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二人は、ちょっと一回りの予定だったのに、旧ペテルスブルク市街を一周してしまった。夕方からボリショイ・ドラマ劇場に行って前衛劇を見、さっきまで居酒屋にいた。女は、ネヴァ川に連れて行ってくれと言った。女は川を眺めて喜びの声をあげた、「まあ、想像してた以上にすばらしい!」 女は岸辺の平坦地に降りると、階段のあるところでは水辺まで降りて行き、草地に花を見つければしゃがんで眺め、堤防に駆け上がって背伸びをし、時々ミハイルを振り返って微笑んだ。疲れを知らない女だ。今はおとなしくなって、両手を後ろに組んで、薄闇と霧の中、白夜の中をゆらりゆらりと歩いていた。ミハイルは、この女には、まだ忘れ物があるんじゃないか? と訝った。
日本人の女は、恥ずかしがり屋で、男に従順で、あまり家から外に出ない、一生目立たない存在だと聞いていた。しかしこの女は違っていた。居酒屋で馬鹿話をしながら、よく分かった。
彼女は、少々わがままではあるけれど、度胸があって、男にも遠慮がなく、好奇心が強く、反応がすばやく、ユーモアとウィットに富み、頭脳明晰で、活発で活動的で、きらきら輝いていた。酔っ払った荒くれ労働者達が周りを取り巻いてはやし立ててもへっちゃらだった。
しかしふと落ち込むこともたびたびあった。一瞬の目のうつろ、つかの間の呆然、我知らずのうつむき、短い沈黙、脈絡をふと失う言葉、などに、彼女が抱える憂愁が窺われた。ミハイルは、頃合いを計りながら、公園の遊歩道で語ったことを、辛抱強く繰り返した。
彼女への関心が刻々と高まっていくのをどうしようもなかった。相手のほうにも、それに対応するものが芽生えているようだというかすかな感触があった。彼は、自分の今の気持ちを単に関心と呼ぶのはもはや不適当ではなかろうか、と疑い、うろたえた。会ってまだ十時間しか経っていない女を、何らかの感情の対象にするのは軽薄だと反省した。しかし心情はそんな理性的な制御に抗った。愛がいやおうなく頭をもたげてきたのだ。

二人は旧海軍省の裏に当たる岸辺を歩いていく。堤の上に時計塔の尖塔が、さすがに暗い東の空を背景に、ぼんやり薄紅色に色づいて覗いていた。ここから下宿までの川辺の道が、ミハイルの通勤路だった。排気ガスの臭いを、川風が消してくれて爽快なので、ここを通ることにしていた。
作品名:ジャッカル21 作家名:安西光彦