ジャッカル21
「しかし君のようなモダンな女性が、宮廷の女官なんて古めかしい職業を、よくも選んだもんだ。ぼくの国では、五十年も前に滅んだ職業だ」
「ケチつけないでよ。私が信念をもって選んだ職業なんだから」
「わかった。すまなかった。信念をもって職業を選んだのは、ぼくだって同じさ。炎天下に重装備で立ち番をやらされようがなにされようが、つらくなんかないよ」
「ただ、信念は、所詮人間がつくり上げたものだからなあ。大間違いの可能性もあるのよ」
女は下を向いたまま小石を蹴飛ばした。
「そりゃあ、しかたがないだろう? ぼくだって、ここだけの話だけれど、社会主義が絶対に正しいとは思ってないさ。しかし、その時そのときの信念に従って生きるしかしょうがないじゃないか」
「そのとおりよ。私もそうしてきたわ。だけどね、信念に従って一所懸命に生きれば生きるほど、たくさんのものを忘れていくような気がするの」
「……宙にどんどん上っていくようで怖いんだろう? 人間が作ったのではないものが、懐かしいんだろう? 地面に降りたくなるんだろう?」
「そうかもしれない……」
「ぼくは、地面に降りちゃいけないと思う。それをしちゃいけないんだ。君は決して忘れないよ。今だって忘れていない。将来も決して忘れることはない。人間が作ったのではないものは、胸に秘めておいて、信念に生きるんだね」
ミハイルは女の横顔をうかがった。うつむきかげんだった顔が徐々に上を向いていく。西日を正面から浴びながら、女は眼鏡の奥の眼を細めた。その瞬間に涙が一滴こぼれて、フレームでせきとめられた。
女はがらりと調子を変えて、爽やかに言い放った。
「あーあ、きょうはおもいきり動きまわれてよかった。あなたのおかげよ。いい人ね、あなたって…… いい人ついでに、もう一ヶ所つきあってね」
午後四時四十五分
エルミタージュ美術館の受付に坐っている太った女職員に、ふたりは入館を断られた。開館時間は四時半までだった。
「忘れ物をしたって言ってよ。場所は判ってるから、二十分ですむって言って」



