ジャッカル21
「わかった。すぐに着替えてくるから、あそこに見える旗のそばの、シュークリーム屋で待ってろ」
「日本人がたくさん来るの?」
女が眉をしかめた。
「あんまり来ないところを選んだつもりだ」
ミハエルは、市庁舎でシャワーを浴び、着替えをして、交代手続きをとった。シュークリーム屋に入ったのは十五分後だった。女は、口の周りにクリームをつけ、ジャガイモのようなシュークリームと格闘中だった。昼食時なので甘いもの屋はすいていると思っていたのに、店内はほぼ満席だった。
「行動が迅速ね。さすが軍人。ああ、これ、三個目よ。ダイエットのことは忘れちゃった」
ミハエルは、あきれながら正面に坐り、女に問いかけた。
「君の名は?」
女は激しくむせた。
「……アー、アヤコ」
「姓は?」
「ショウ…… シュウ……シュークリームと申します。 そんなこと、どうだっていいでしょ? 自分のほうは名のらないでおいて!」
女は右の鼻の穴から垂れてきたカスタードクリームを、手でぬぐいながら抗議した。ぬぐうしぐさを楽しんでいるようだった。ミハイルは名刺を渡した。
「なんて読むのかわからないわ。それに、あなたの信用度を高めたいのなら、個人の電話と住所も書いておいたほうがいいとおもうよ」
ミハイルは、用心深い女だな、と思いながらも、言われたとおりにした。
「ミハイル・ボルフェノヴィッチ・アレギーノフ。よく移動するから、実家の住所を書いておくよ」
ミハイルはそばを通り過ぎようとしたウェイトレスから、ちびた鉛筆を借りて、名刺の裏に大きな字で、ウクライナ・ソビエト社会主義共和国イヤルートナ郡オーダリニャ村と書いた。
「どうもありがとう。さあて、もう一個食べて、これでお昼ご飯の代わりにしよおっと。あのねえ、私行きたいところがあるのよ」
午後一時二十分
二人はイズマイロフスキー通りを東に折れて、スタリュールヌイ横丁に入り、二番目の四つ角で立ち止まった。「罪と罰」の中で、作者ドストエフスキーが、主人公ラスコーリニコフの下宿とみなした、五階建ての建物がたっていた。レンガを漆喰で固めた壁は、くすんだ黄色だ。それぞれの窓の上に、傾斜のゆるい屋根が、ひさしの代わりに突き出ている。
「入ってみましょうよ」
ミハイルが返事をする前に、アヤコというその女は、彼の手を引くと、半地下の食料市場に入った。



