ジャッカル21
重光は突然言い放った。自分でも気が狂ったか、と心配になった。しかし、重光には確信があった。この九十八歳の老人の選択を尊重すべきだ。絶対にこのふたを開けてはならない。地獄の釜のふたなのか、パンドラの箱のふたなのか、それは分からない。しかし、あけると大変なことを知ってしまうはめになるのは、重光にも推し量ることができた。
「何言ってんですか。いよいよこれからじゃないですか。そうやってこそこそ逃げるから、日本の外務省は、馬鹿にされ続けなんですよ。田舎議員にすら引きずりまわされる。重光さん、あなたもそういう腰抜けだったんですか。とんだブルータスでしたね。見そこないました」
田岡が興奮して立ち上がった。モニターには腹しか映っていなかった。
「次官と大臣にはこれからレポートを書いて送る。外務省としてはできることはすべてした。国家公安委員会や警察庁は、外務省と喧嘩する気はないだろう。警察庁は警視庁を叱咤して単純に首都警備に徹するだけになる。本来警察とはそういうもんだ。田岡氏がそれ以外のことにこれからもさぐりを入れ続けるのは、独断専行とみなされるだろうな」
明石はあきれたように重光を見つめていた。
重光は、自分が、敗北したことを、若き日の志を決定的に裏切ったことを、全身で震えながら確かめていた。
一九六四年、八月三日、午前十一時三十分、旧レニングラード
レニングラードのイサク広場から、ヴァズネセンスキー通りが南に延びて、ボリシャヤ・マールスカヤ通りと交わる角に、アステリアホテルがある。イサク聖堂のほぼ真向かいにあたる。一九一二年に出来たままの、茶色いレンガ造りの六階建ての建物だ。一階の道路側は、アーチ造りになっていて、二階以上は、格子のはまった縦長窓が連なっている。
昨日から明日まで、外国の使節団が、最上階の全室を占有する。日出ずる国の妃殿下が、ヨーロッパ各国の訪問旅行の最終訪問地として、一昨日までのモスクワ滞在の後、このレニングラードに御滞在だった。御夫君の皇太子殿下は、北米と南米各国を御訪問中だった。



