ジャッカル21
読み終えた唐沢はうんざりした。ここのアドレスは公開されていないし、一週間ごとに変えられていくので、めったにこの種のいたずらはできないようになっていた。しかし、たまにはハッカーが悪ふざけに成功することがあった。そのたびにアクセスの閾を高くせねばならなかった。唐沢は全文を削除しようとする欲望にかろうじて打ち勝って、翻訳を始めた。送信者がCCを隠さなかった理由のひとつがすぐに分かった。単独に送られてきたと誤解した受信者は、忙しいのにふざけやがって、と削除してしまうかもしれない。他所からの問い合わせに備えさせるためにわざとCCを隠さなかったのだ。削除されてなるものかと省内の知っている限りの部署に文書を送ったらしい。慌てふためく送信者の様子が目に浮かぶ。唐沢は少しだけまじめになって翻訳を続けた。
案の定、翻訳の最中に情報官室と組織犯罪室からほぼ同時に連絡が入った。情報官室は次のように言ってきた、内容は大体わかるが正確な訳文をランですぐに送ってくれ、処理について課長クラスでとりあえず討論したい、そちらの会議室を使いたい、ニ時四十分でどうか。組織犯罪室からは、訳文を五部コピーしておいてくれ、出来たらすぐに連絡してくれ、室員がとりに行く、とのことだった。コピーぐらいそっちでとれよ、と唐沢はつぶやいた。どちらの連絡メールにも、このクソ忙しいときにネットオタクのいたずらに付き合っていられるか、とは書いてない。彼らは腹の中ではどう思っているにしろ、すぐに内容を検討する気だ。彼らの反応を見て、唐沢は大いに反省した。あらためて真剣に翻訳に取り組んだ。見つめているモニターの向こうに、中学生のころ毎月のように乗ったゴーリキー公園の大観覧車が、なぜか浮かび上がった。
受信者を怒らせようが、受信者から嫌がられようが、送信者は、情報の伝達に成功したこととなった。
ロシア課第三小会議室には、コの字型にならべた長机をとりかこんで、四人の男が坐っていた。コの字の左上に当たる席に坐っているのが国際組織犯罪室秘書の長柄純吉、その右に同室の国際条約関連係長の古賀重雄、コの字の縦の棒に当たるところには、情報官室二課の課長重光孝雄、コの字の下の横棒に当たるところにロシア課課長の明石定宗。