ジャッカル21
プーチンは時の指導者に代々順送りにされてきた秘密事項文書を思い出した。二百数十に及ぶそれらの文書の中には、レーニン、スターリン時代のものまで含まれていた。プーチンはその中のひとつの文書を頭の中でめくり始めた。その文書に書いてあることを思い出していた。その中に出てくる人物のひとりに思いを凝らし始めた。
いつ、どこで伝えようか? 傍受されてはならない。近くに人がいてはならない。クレムリンの地下柔道場にこっそり呼ぼう。二十本ほど乱取りをやるか。講道館直伝、三船久三流の巴投げをかけてやる。寝技に持ち込む。そして、耳元で囁く……
七月十三日、午後三時十分、東京
重光は、携帯に耳を傾けていた。興奮のせいで胃が痛くなってきた。
すでに、インディ500の出場選手のリストアップは送られてきていた。レース主催者の公式発表と、新聞、雑誌、パンフレット、カタログ、等に載ったデータをクロスチェックした結果、出場した選手の中に、ロシア人のドライバーは二人しかいなかった。アレクサンドル・アルギーノフと死亡したヤコブ・アレギーノフだ。二人ともソビエト陸軍の少尉だった。アレクサンドルは1965年生まれ、ヤコブは1966年生まれで、出身地は同じ旧ウクライナ・ソビエト社会主義共和国のイヤルートナ郡オーダリニャ村である。兄弟である可能性が極めて高い。
当時ロシアは、国内の混乱が続き、スピード車の開発どころではなかった。しかしドライバーだけは、国威にかけて、軍関係の名手を送ってきていた。各メーカーは取り合いをし、フェラーリとトヨタが落とした。重光は、トヨタの会長秘書を直接口説いて、当時の関係者を探してもらい、見つかり次第当人へのインタビューを続けてきた。当時メカニックに関わっていた人たちは、現在、トヨタを離れて、地方の自動車整備工場の経営者、あるいは責任ある地位についている場合が多かった。現在までに重光は四人の元メカニックに当時の模様を聞いていた。いずれも整備にてんてこ舞いで、お雇いドライバーの細かい特徴などには無関心であったようだ。日本人ドライバーに対してとまったく同様の対処しかしなかった、と全員が語った。重光は、相手が外人なのに、そんな対処が可能だったことに驚いた。
今携帯で話している相手は、当時トヨタ自動車中央アメリカ支店次長、現在トヨタ財団常務の、佐々木充貞である。



