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井上 正治
井上 正治
novelistID. 45192
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仮想の壁上

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定年制度には、従業員の立場から見た場合の合理的理由が乏しいのではないかと思うのです。たとえ無能力者を育てるための社内教育制度で教育された従業員といえども、やはり年功を重ねることは私企業内部の情報や多様な業務に接する機会も多く、経験することで学べる能力は後輩よりも優れているのではないでしょうか。一般的には、規則に背くことなく普通に勤務している人間であれば、自分の方が他の従業員よりも優れているにもかかわらず何ゆえに退職し収入を失わなければならないのかという思いにとらわれるのではないでしょうか。従って、ここでもみなが納得する仕組みが必要になるのではないでしょうか。それが定年退職に伴う退職金の制度ではないかと思うのです。私企業を退職すれば収入が途絶えるので新しい生活の準備金としての役割が大きいと思うのですが、最も心に残るのは、長期間の労苦に報いる慰労金としての役割ではないでしょうか。周りの人たちから、長期間の企業への貢献をねぎらわれお疲れ様でしたと惜別の情を示され、一生に一度の高額な餞別を渡されれば誰でも強制退職を受け入れるのではないでしょうか。
退職金は後払い賃金という考え方もあると思うのですが、その分現役時代の賃金水準を低くすることが可能となり、私企業にとって多大な超過勤務が可能になるのではないでしょうか。また、収入が途絶える時に退職金という大きな収入を得ることで退職後の社会保障の不備も目立たなくなるのではないかと思うのです。この私企業の従業員だけが加入する労働組合も、必然的に私企業単位に要求が完結する企業別労働組合という形になるのではないでしょうか。このようにして、この国独自の企業統治の形が定着してきたのではないかと思うのです。
 第11
資金獲得業務に携わる人たちの選別に関する企業統治の仕組みについて明らかにしてきましたが、このような企業統治をおこなうための組織についても考えなければ、この業務の全体像をとらえることはできないのではないでしょうか。というのもこのようないびつな企業統治が自由な経済活動の必然性に基づいて自然発生的にできたと考えることはできないのではないかと思うのです。つまり経済活動の自由やそれによって発生する競争に伴う活力や生産性の向上を犠牲にして、恣意的に作り上げられた制度ではないかと思うのです。営利の追求と活動の永続性を目的とする企業活動にとって、商品にならない成果品を製造するために資金をねん出するという行為は、経済合理性を追求する環境においては通常では考えることができず、よほど強固な意思に基づいた行動がなければできるものではないのではないでしょうか。その強固な意志を理解するためにも、組織について考えなければならないのではないでしょうか。
まず、このような業務に携わる人たちを恣意的に選別するときに一番の障害になるのは選別に抵抗しようとする意思、すなわち、その職場構成員の連帯意識ではないでしょうか。共通の利害意識が強固であれば、利害の不一致を引き起こすような選別に順応しようとはしないのではないでしょうか。そのためには連帯意識を無効にするような仕組みが必要になるのではないかと思うのです。同一労働であっても勤務年数などによって賃金が異なるというのがその仕組みの一つではないでしょうか。一般的に、年功序列賃金と言われているものがこれにあたると思うのです。さらに同一年次採用であっても賃金格差を生み出し競争意識を芽生えさせる手段が手当の種類の多さではないでしょうか。基本給だけでは反映できない従業員間の賃金を調整するために、職務や生活環境の違い、人事管理上の必要に基づいて基本給を補完するために支給するとされていますが、この結果同一職場で同一賃金の従業員が全くいないという環境が作られるのではないでしょうか。
次に、職場の業務目標に対し労働内容を細分化して職場従業員の協力体制のもとで業務遂行するのではなく、従業員の上下関係を基本とした管理体制のもとで業務遂行するという仕組みもあると思うのです。確かに、従業員が職場を定期的に異動する体制では、同一職場の従業員の何分の1かは常に業務に未熟なわけで、各従業員が業務を分担することは不可能であると思うのです。そのため、常に命令と服従がなければ目標達成が困難になるので、その職場の先輩後輩の関係では年功序列賃金があるのですが、それを補完するのが複雑な職階制ではないでしょうか。極論すれば、その職場の従業員すべてが上司と部下の関係になれば命令と服従が完璧に実行されるのではないでしょうか。中間管理職や名ばかり管理職の制度がこの企業統治には必要なのではないでしょうか。
このような制度を維持するため、また、従業員の年齢構成や企業の投資計画に基づいた新卒採用のため、膨大な個人情報の集約及びその活用を行って私企業の組織全体を躍動させる中枢管理部門が必要になると思うのです。俗に、「本人よりもその人のことをよく知っている」と言われる巨大中枢管理部門が、この国の私企業において独自の増殖を遂げた部署ではないでしょうか。そしてこの部門は、経営責任者の補佐、すなわち、経営計画や経営戦略の策定を行っているのではないでしょうか。
しかも、恣意的な評価による選別をするためには、評価対象が通信機能の対象者であるかそうでないかを認識している評定者が必要になり、その評定者を適所に配属するためにはその上級者もこのような事態を認識している必要があるのではないでしょうか。このように考えると、私企業の中枢管理部門を中心とした組織全体の管理運営機能を通信機能の対象者がほぼ占有する必要があるのではないかと思うのです。この私企業に限ってみても通信機能の対象者がかなりの数にのぼること、しかも、その構成割合が管理部門において増大することが想像できるのではないでしょうか。
しかし、自由経済社会には需給調整としての好不況の波や技術革新による淘汰があり、私企業であれば常に市場競争にさらされ、最悪の場合には経営破たんの可能性があるのではないでしょうか。終身雇用が定着し、共働き正社員の割合が低いこの国で本人の意思によらない退職を余儀なくされた場合、一気に生活の困難に直面し再起が非常に困難になるのではないでしょうか。特に通信機能の対象者がこのような困難に陥った場合、資金獲得業務の実態や電波部品の存在が公になることを心配しなければならなくなるのではないでしょうか。したがって、私企業の経営破たんを回避することがこの国では最も重要なこととなり、既得権益に対して手厚い保護を加える、護送船団方式として一般に知られている経済運営が必要になるのではないでしょうか。
作品名:仮想の壁上 作家名:井上 正治