仮想の壁上
それには、まず、国民が貯蓄をしなければならないような社会を作ることが必要なのではないでしょうか。競争意識に対する繰り返しの教育が文化となり、何事もお金に換算して損得を考える決して豊かではない社会であれば、比較的簡単にできるのではないでしょうか。その貯蓄を利用した間接金融によって、金融機関が中心となった企業集団を組織し、その集団ごとの系列取引によって求心力の維持と排他性の獲得を行いながら、熾烈な競争によって経済至上主義の社会を作り上げたということではないでしょうか。また、この企業集団の破たんを防ぐために、行政が行政指導、許認可権限、補助金、法的規制を駆使して、自由参入を制限するなど企業集団単位の脆弱な部分を保護育成するということがあるのではないでしょうか。そして、この企業集団で株式の持ち合いを通じて系列外に対する企業防衛と系列内に対する統制を行うなど、経済合理性に反し、とても自由主義経済体制とは考えられないようながんじがらめの社会が出来上がったのではないでしょうか。私企業の経営破たんを避けるということは、すなわち、社会の進歩に逆らい不採算部門に国家にとって大切な資金をつぎ込むということではないでしょうか。それは世界で最も成功した社会主義経済とやゆされるゆえんではないでしょうか。
護送船団方式の経済運営に永続性があればそれでよいのでしょうが、また、経済規模が小さくて外国に受け入れられる程度の経済発展ならば国際的に許されるのでしょうが、商取引の国際化が進むと外国からの市場開放の要求も出てくるのではないでしょうか。そうなると既得権の保護を主目的とするこの排他的な方式は外国に対し説明のできないものになるのではないでしょうか。その結果、金融制度改革に伴う規制改革や不良債権処理で金融機関自体経済の大黒柱足りえなくなっているため、近年は護送船団方式の規制体系から市場競争を活用した規制体系に変化したのではないでしょうか。国内市場が飽和状態にあるこの国でこれ以上の発展が望めない企業が海外に活路を見出し、海外に生産手段を構築しようとすれば直接金融に頼らざるを得ないということになるのではないでしょうか。これまで経済の中心であった金融機関も国内経済の縮小のため、海外で利潤を上げるべく現地子会社や合併によって利潤を模索しているのではないでしょうか。それで市場原理により私企業の自然淘汰が行われるようになったのかといえば、必ずしもそうとは言えないのではないかと思うのです。というのは、私企業の破たんを事前の手当てによって防止する信用秩序維持の仕組みがこの国でもしっかりと構築されているのではないでしょうか。影響が大きすぎてつぶせないという私企業が最近はなんと増えたことでしょう。行政の関与と大きすぎてつぶせない私企業による業界秩序維持の努力で取り組む扶助組織がこの国ではしっかりと生き残っているのではないでしょうか。
第12
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第2章 196x.02.25