山の母
呆れたように母が箸を置くと須磨の背中に手を伸ばす。背にかかる手に須磨が身を震わせた。手の上げ下げにあわせて引いたり吐いたりする息は細いところを無理に通すようでひゅうひゅうごうごう鳴っている。顔は真っ青だったが背に手を当てられて少しは喉を抜けたのか、段々血色を取り戻しているようである。しばらく無言のまま母も須磨も撫でたり撫でられたりしていたがもういいかい――と母が言った。青ざめたまま須磨が俯く。
なんだい、急に黙っちゃって妙な子だねと言いながら母はげらげら笑った。上機嫌である。盃代わりの塗り椀に手酌で酒をつぎながら春彦もいくかいと杯を勧めた顔を眺めてみると相当聞こし召しているようだ。
「一杯、舐めるくらいならさ」
「えー」
「えー、って陽気になって楽しいよ。それに体にもいい。齢ほぼ千年の慈童が漬けた菊酒なんだから悪いわけがない」
「慈童、」
ようやく元の顔色を戻した須磨がぽつりと呟いた。
「菊酒の謂われですか」
「その分じゃお前、知らないようだね。ええと」
山奥に子供がいたのさと母が言ってそれから首を傾げた。
「何だっけ。……私がみた奴だとひたすら恋の諸相を語っていた覚えがあるんだが。そういえばなんか言ってたな。愛妾だったとか何とか」
「しかし子供でも男児ではありませんか」
「慈童は」
思わず口を挟む。
「穆王の愛童で、絶世の美童」
「お前詳しいね」
母が感心したように言ってああ、あのひとの本を読んだのかと言った。
「あれも古い話が好きだったが春彦も古い話が好きなんだ。続きは言えるかい」
「うん」
半目を閉じて記憶をたぐる。母が言ったのはたぶん歌舞伎だ。ひいきの役者がいるらしい。それに先立つのは謡曲の慈童、さらに遡ると太平記に記事を見る。昔周の穆王、釈迦から賜った法華品の偈を、遠くの山中に配流される慈童に与えたのだという。はいるとは何ですという須磨に、罪の罰に遠くに遣られることだと言葉を付け足しながらふと、須磨に菊慈童の話を説く効用を考えた。物語を説くこと、それ自体に意味はない。単に菊酒の由来、菊の着せ綿の由来、それから重陽の由来を知るくらいで物語を説くことが即ち日頃の生活に何か役に立つわけではないが須磨はどう思うのだろうか。山の暮らしを自分は知らない。春彦さんと同じですと須磨は言うが本当だろうか。その方は山にはいるされたのですかと言う須磨の表情からは何も読みとれない。都から見れば山は配流の地で、知る人と離れ都から遠ざかること自体罰なのに、はじめから山に住み、知る人も姫神のほかは知らない須磨にこのことはどれほどの意味があるのだろう。須磨は須磨で思うことがあるはずだったが自分はぼんやりとしていて判らない。
「そうしてどうなるのですか」
静かに須磨が続きを促した。
「山では楽しく暮らしたのでしょうか。お知り合いになりたいです」
「さあね」
答えたのは母だった。ようやく何か思い出したらしい。
「百年二百年と言わず七八百年さ。思いでの中では楽しい月日が繰り返されていたんだろうが、会えないのなら今日も明日もないだろう。逢瀬の後と同じだ」
「ずうっと思っていらしたのですか」
須磨は表情の読みとれない顔のまま言った。ずっと穆王のことでも思ってたんだろうさと母が言って火鉢にもたれかけてふと笑う。
違う。
「ずうっと」
話を半ば聞き流しながら別のことを考えているのならば、倦んだ色や話とはまるでそぐわない色が花火のように目に浮かんでは消えるはずであったが須磨の目はずっと暗いままの空を見るようで、今にも壊れてしまいそうな気がする。
あまり見ていたいものではない。思考を遮らなければ堂々巡りを繰り返していそうな須磨を何となく正面からは見るのが憚られて、年を取らなかったのは法華の偈のおかげだと話の先を急いだ。なんだか自分まで壊れてしまいそうな気がする。
「穆王は良い王様だったから、釈迦からありがたい呪文をもらっていて、そのうちの二つ、枕に書いて取らせて山では毎日これを唱えろと慈童に言ったから、慈童は毎日これを読んで、それから忘れないように菊の葉に書き付けた。葉に落ちた露が滴って不老長寿の水になって、そうして八百年」
だから慈童が漬けた酒ということなのですねと須磨が言った。ふっと笑った目に先程の暗さはない。
まあそういうことだと母が盃をあおった。
「こいつも半分仙人みたいなものだからね」
そういえばお前はどうなるんだろうと母が顔を覗き込んだ。お前はどう思うと須磨に水を向ける。
「何が得意そうだい」
「目が」
須磨が膳をまたいでおもむろに額に手を伸ばす。
「何かかけておいでですか」
「ああ、行きの道中に夜目が効くようしてやったっけ」
失礼と一言置いて須磨が自分の前髪をかき上げてじっと見る。
「遠見はかけていませんか」
聞かれても何のことであるか判らない。眼鏡のことだろうか。
判らないから声も上げられないでいると、手をおろした須磨が見ているものがどことなく妙なのですよと呟いた。
「どこか遠くの景色が見えたりとか。起きて戸を開ける前、誰かに見られているような気がしたのですが春彦さんだったような気がします。開けると気配も消えたのですが」
「覗きか」
何を見ていたんだかと山菜に箸をのばしていた母が小突く。寝起きでぼうっとしていたから大して面白くもなかったでしょうにと須磨が苦笑いしていたが別に見ようと思って見たわけではない。どこを見たんです――と須磨が言った。
「どうしていたら見えたんですか」
「外の池で」
確か池と言っていたような気がする。
「池の水面を覗いていたら須磨さんが見えた。あと、繁華街とかお父さんとか」
「おとうさん、――と、繁華街とはなんです」
「人がいっぱいいるところ」
須磨が首をひねって何かを考えていたが、ふと地下の水流に似ていますねと言った。例えが今ひとつ判らない。表に流れる川の水ではないだろうことだけは判った。口腔で咀嚼された人参が得体の知れない固まりとなって胃の腑に下り落ちていくのを意識の隅で追いながら、須磨の言う水のことに思いを馳せる。菊水の慈童が菊の葉に置いた法華の偈の、滴り落ちた菊水の、杯に漏れ里人の汲む水の流れからも漏れて地下深く潜った水は粘土質の地層の間を縫って低い方へ下っていく。水の流れは、流れているというそのくせに再び地表にまた現れるのに齢八百とは言わないが、幾百の星霜を置き誰に飲ませるまでもなく自らその齢を消費しているようで後ろめたい。そういった水なのだろうか。しかし翻ってみればそれは地表に生まれることのかなわなかった水である。何が悪いともうとっくの昔に形をなくしたはずの人参がぶくりと泡を吐いた気がした。
――何が悪い。
生まれなかったから、光を浴びなかったから、都合で殺されたから、そんな言葉が突然耳のそばではじけたのを皮切りに天地が返ったような錯覚に陥るが既に天地などないようなものだから関係がない。目の前が暗くなってそのままどさりと落ちたような音がした。耳は生きている。遠くで須磨の声と母の声が聞こえる。
船を漕いでいるよと母が言った。
よほど疲れたんでしょうと須磨も言う。