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山の母

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 竜は自分を飲んだまま順調に川を下っているらしい。目をつぶっていてもそんなことがわかった。川の中までは母の力は及ばないのか、追撃も川の中には及んでこない。と言うより自分は母よりも、水の統制が得手であるらしい。統制とはつまり言うことを聞かせることかなと思った。つまり水の中なら自由である。紅葉が張り付いていたあとが痛んで川の中でも疼いた。水掻きと母が言った言葉が脳裏を巡って手や指が未だにどうなっているのか知れない。怖くて目が開けられなかった。川を下る。流れの急なところばかりを竜が滑って行くので流されてゆく速度は恐ろしく早い。それでも汽車より遅いのだろうか。中流になって流れが緩くなったら川を出て走らなければならないはずだ。外の様子が気になってこわごわ目を開けると、自分の方は見ないようにしながら川の面を覗く。
 母は追ってこないようだった。紅葉ばかりが追って来た。追わずともじきに引き返して来ると思っているらしい。川の左右の切り立った崖がだんだん崩れて小石ばかりの河原になって、さらに先を見れば人が住むか定かではないがトタン屋根のあばらやが見える。父の里はもうそこだ。急流を越えて緩みだした流れをまどろこしく感じて、水面を走りかけて、そうだ人里が近いのだと思った。浅ましい体は隠しておきたかった。とはいえ見付けてほしかった。もし人であるなら、人のままなら人を巻き込んで大事にするが吉だが人でなければ巻き込んだ分面倒になるのは何となく想像することが出来る。捕まったら香具師に売られて見せ物にされるかもしれない。母は見世物が好きだった。わざわざ人間の手足があるところに尾鰭を付けて人魚だと言ったり、わざと醜い化粧をつけて罪業因果を語るくらいだから本物の水掻きや甲羅のある人間ならば化粧や道具代が浮いて随分楽だ。絵の具や張りぼてであり得ないものを本物らしく作ることの方がただ生えたりする鰭や甲羅よりもよっぽど魔法のように思えたが、それが取れないのは嫌だ。まだ見ていない自分の手足に水掻きがあって鱗や甲羅があって水掻きがあればまるで河童で、そうして甲羅も水掻きも落とせない自分の体だ。剃ったり剥がすのは生爪を剥がすのと同じでとても痛そうな気がする。想像するだけで背中に痛みが走った。鱗や甲羅は剥がすことにして、手の水掻きは鋏で切るのだろうか。水掻きには目に見えるか見えないくらいの細い血管が数多走って指の皮膜の隅々に血を通わせているはずだから水掻きは既に身体の一部である。少なくとも想像の中ではそうだった。皮膜は薄いのに柔らかくて弾力がある。胎児を包む羊膜と同じだ。羊膜は出産の時に破れる。鋏で切ることもあるのだろうか。赤子未満の子供の手をひねるのに鉈はいささか大仰にすぎる。母胎を傷つけぬようもっと細くて長い、内側に刃の付いた鉗子で股を切ってその先の手の五指を分けて最後にへその緒を切って胎盤と分ける。とりとめのない方向に頭が向かっているのを感じた。ぼんやりと発熱しているような気がする。熱があるときは自分では熱があるのかどうか額に手をあててみてもどういうわけか大抵あてにならない。ただ、体を包む水が温くなっているような気がするのは熱が上がって水を温めているのだろうか。却って身体の方が冷めているのかもしれない。
 熱が逃げ出して、どんどん熱が逃げて、そうして熱が冷めきってしまったら体はただ冷たい肉の塊になる。熱が冷めても動くことは出来るのだろか。荼毘に付したら灰になってしまう。温くしておけば動けそうな気もしたが、既に死んでいれば腐敗して蛆や菌糸が生えることになる。須磨が鉈で切ったとき、鳥や蝶が飛ぶのは、まだ温いうちに別のものになったものが逃げ出したからかなと思った。自分は暖められた須磨の肉を食っている。つまり須磨を食っていて、自分は須磨なのだろうか。父は須磨を知らないから自分を見ても誰なのかわからない。父に会いたかった。春彦と呼んでもらえれば、甲羅や水掻きがあったとしてもなおるような気がする。
 父は母のことを知っているのだろうか。母が父のいない間にほかの男と逢い引きしていることも、その数が数多に渉ることも、そうしてその男どもの行方が知れないことも自分の父が本当は誰なのかわからないことも、どれくらい知っているのだろう。母の愛人には何人も会ったが自分が父と呼べるのは、いつも母とすれ違いに帰ってきて数多の童話を読む父だ。父は博物好奇の人である。父が判らなかったら香具師に売られてしまうのかなと思った。母とは好みが違ったがいわゆる好事家とのつきあいも広い。たまにお土産と称して好事家から譲り受けた人形をくれることがあったがいかにも不気味で調べてみたら怪物の人形だったこともあるから、怪物好きも知己にあるのに違いない。もし化け物なら父から怪物好きの知己に渡って、それから先はやっぱり知らない。近頃では見世物も珍しかった。あてもなくさまよい歩くか好事家の箱の中で眠るか、とりあえず名前を呼ばれることはもうないのだと思う。
 川の中で父の名を呼んだ。届くのかどうかは知らない。流れる水は秋も深まるばかりで母は山の上からどんどん紅葉を流しているのか、それが肌にまとわりつくとひりりとする。時折水面に浮かび上がってあたりを眺めると、桜や楓のまだ青い葉の上に、時折紅葉の衣が混じって笑いながら葉の色を変えていた。自分は竜の背中に掴まりながらせわしなく水面と水の中とを往復していた。息はしないでも苦しくなかった。けれどもそのままぼんやりしていると水に溶けてしまいそうで怖かった。事実水と体との境がつかない。手の指をなぞるとまだ五指はあるようだったが水掻きという言葉が耳から離れないせいで手の形すら曖昧である。既に身体の一部なのだろうか。水を凝り固めたような水掻きが体の一部にあるならばそれは水とは同じではないか。自ら顔を出すとその輪郭が少しはっきりするような気がする。熱はどんどん冷めてゆくようだった。何度も水面に上がるせいで肌も紅葉に焼かれてぼろぼろのはずだった。嘴と鱗甲羅は判らない。水面にあった枝を掴んで蓑代わりに被って紅葉を防いでいると、つんと腐臭のするものがまとわりつく。思わず剥がしてみると食べかけのまま放置した弁当の包みがビニールの袋の中で溶けていた。慌てて川に潜るが残り滓は容易には取れない。それでも水面に浮かんであたりを眺めていると遠くで鳥が飛ぶのが見えた。小さな鳥である。もう川は足が着くほどの深さになっていた。立って眺めている間に足の間を紅葉が流れる。
作品名:山の母 作家名:坂鴨禾火