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山の母

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 今なら逃げることが出来るかもしれない。母が眠りかけている。今が走り始めるのにいい機会かもしれない。この山の中から川を駆け下って平地に出るまでどれくらいかかるのかは判らなかったが滝壺へ降りることがかなわなければ野に戻って人の道を探せば人里にも帰れるはずだ。母はますます眠りを深くするのか大きく俯いたきり動かなくなった。寝音は滝の音に紛れて聞こえない。逃げなければと思った。本心であったかどうかは定かではない。嘘でなかったことは確かだ。逃げなくてはいけない。昨日の夜山を歩くうちに感じた恐ろしさは、須磨が帰らなかったことからも間違いと言えなかったし、放っておけばいつなのかは判らなかったがたぶん自分もそうなるはずだった。食われてしまうのである。そういう夢なら幾度も見ている。けれどもまた、それも夢なのかうつつなのかは定かではない。実際自分はもう死んでいるのかもしれない。同衾も夜見る夢で幾度も重ねた。うつつに比べて幾許の重さを持たない夢でも、重ねて重ねて積み重ねればいつかは現実になるのかもしれない。けれども、やっぱり夢のようである。
 日溜まりのある秋の野の中で、うとうと眠る母は少なくとも人をとって食おうとする母には見えない。それがかりそめの、ほんの子供だましだとしても、やっぱりいまそこにあるのは物心がついたときから傍らにいた母で、現実の母には取って食われるようなこともなかった。なかったはずだ。本当にそうだろうか。木の枝から滝壺を見る。ここから飛び降りて、もし滝壺が深ければ生きて川筋を辿ることが出来る。母が作り話をして、実際の滝の底が浅ければ頭をかち割って死ぬ。死ぬとはどういうことなのだろう。夢では幾度も死んではいるが、未だにどういったことなのかが判らない。
 霧が晴れればいいのに、と思った。片手に幹を掴んだまま滝までの距離を測って呟く。木の枝から飛び込もうとするにはいささか遠い。風吹け、と思った。滝に向かって伸ばした手の先から小さくつむじ風が起こる。くるくる渦を巻いた。面白く思って手の先を離れるまでしばらくそれを眺めていると、不意に背後の枝がからころぱきりと鳴った。何だろうと思って振り向く。どっと風が吹いて枝が飛んだ。枝も飛んでいる。吹き飛ばされたのだ。自分の足も宙を踏んでいる。
 見ると足下の霧が晴れていた。滝壺は綺麗な円い形をしているらしい。
 母につれられて展望台に上ったことがある。そのときに見たのと同じくらい低いところに水面が見えて、さらにその奥に滝壺があって、滝壺には淵の青ばかり見える。底が知れないのは比喩ではなかったらしい。こうも青で塗りつぶされては底など知ることも出来ない。宙からそれを眺めてふと、どこかで似たような青を見たことがあるなと思った。夢の中にも現実でも見たことがある。夢には水底の青である。現実には山の家の前の青である。毒があって魚の住まない淵の、生まれなかったはずの奇っ怪な魚ばかり泳ぐ水である。この山川には魚が住まないのだろうか。そうでもない。淵の中に白いものが泳いでいる。やっぱり普通の魚ではない。人の手だ。水上の騒ぎに気が付いてなのか、ひらひら水面から伸び上がっている。立ったままぼんやりそれを眺めた。そうだ、そもそも宙には立てるものだったろうか。風がやんで木の葉がぱらぱら向こうの岸へと落ちても、落ち方を知らないので相変わらず宙に立っている。浮遊感も現実感もなくただただ浮かんでいるだけだ。
 白い手がのびる。
 肩も関節も水面からは姿を現さないのに手の先はいよいよのびて崖の中程を越えた。あの手は一体誰なのだろう。水底の魚なのかもしれない。たぶん、誰でもないのだ。あの水の底にいた子供も魚も、誰であるのか誰も知らない。生まれなかったし生まれなかったようなものだ。そういったものが深い伏流に住んでいる。賽の河原で石詰むは、何も両親に愛された子供ばかりではない。不意に高さが怖くなった。須磨も水の底に行ったのだろうか。
 白い手は面白いくらいするするのびて、青い中に立っている自分の爪先を掴んだ。はじめ傷を冷やすようで快かったがすぐに爪先からの冷たさが寒気に変わって全身を冷やしはじめる。手は冷たい。しかしそれは死んでいるのだから当たり前のことであって、むしろ今は周りの空気の冷たさに今は秋なのだということを思い出さずにいられなかった。手は秋の中でただ冷えただけである。冷たさはむしろいじらしいものに思えて足下から掌を拾うと指先を撫でた。こすっても温かくなるものではない。伸びてきた手を撫でながら宙の中で途方に暮れる。辺りを見ると秋は深まるばかりでますます紅葉が色付いていた。いつの間にこんなに赤くなったのだろう。川筋を伝って降りてくださいと須磨は言っていた。そうだ逃げなくてはいけない。
 須磨は死んでしまったから一人で逃げなければならなかったが降りるすべは知らない。このまま宙を歩いてゆけるだろうか。手を掴んだまま川下を見ていると、遠い水面に泡が浮かんだような気がした。
 ――ないんだぞう。
 魚の声が聞こえて泡がはじける。
 今まで緩みきっていた手の弛緩が溶けて硬直が始まったように固く掌の中へ自分の腕を握り込む。水面から生えた腕の方もぶるぶる震えて一瞬の後に収縮を始めた。同時に掌の中の手が揺れる。手が引っ込むのである。
「え」
 そのまま一気に引きずり込まれる。立ち方を知らない。だから踏みとどまるのも覚束ない。宙にどうやって立っていたかも判らなかった。そもそも宙には立てたものだろうか。
 そう思い出すとたちまち立ち位置を失って墜落を始めた。水面が近付く。白い手がするする水の中に吸い込まれていってその先はどうなっているのか、見ていると水面を突破して派手な水しぶきが上がった。水面をわずか隔てた青い下に無数の魚が蠢いている。毛のない魚である。所々硬いものが付いているのは鱗ではなくて爪なのだろうと思う。のっぺりとした白い肌で瞼はない。ないんだぞう、と魚が口を開いた。そうしてわらわらと散っていく。逃げながら嘲笑っているような気がした。妙にすえたにおいがする。
 掌の中の手をさすりながら。この手もやっぱり笑うのだろうかと考えた。魚と違って顔は見えなかったが別に悪い気はしなかった。そもそも魚に関しても、特段悪い感情を抱いていない。魚は魚である。死者は死者で生きるものと違う。生きているものがどう足掻いたところで越えられないものが死者との間にはあったし、そもそも水底の魚も子供も生まれたことすら無いのではなかったか。誰も知らない。誰も知らないまま水に返されては、あるのはただ魂もなく蠢いている冷たい肉の塊しかないような気がする。魂など本当はあるのかないのかわからないものが生きていることの根底に置くから殺すの殺さないだのややこしい議論になる。誰もはじめからわからないのだ。わからないならばわからないで仕方がないように思える。
作品名:山の母 作家名:坂鴨禾火